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冷却不能な紅葉狩り

作者: かえるん

「やはり山登りは秋の散策に限るな。」


 前を行く海斗が言う。名前に海があるのにも関わらず山派なのはおかしさを感じる。本人は海のように懐深い大人物になれればよいのだと弁解する。懐深い大人物であればこの登山もその厚き人望で大人数引き連れてしているはずだが、参加者が私達二人だけなのはまだ眠れる獅子が如く本領を発揮していないからか。


「そうだね。」


 今日の天気は雲が多めの晴れ模様だ。秋も深まりつつある11月の本日は過ごしやすい気温だ。今頂上を目指して登りつつある山の標高はあまり高いとはいえず、登山道も割合に開けた緩やかなコースを選んだおかげで苦労はない。温暖化が影響しているのか、暦は秋の深まりを示すが、まだ紅葉したての様子である。


 実は、私はどちらかと言えば海派である。山は登るのに体力を消費するし、そこら中に虫がいるのも嫌だ。山登りの良さとして自然の景観を楽しめることや、遠くの景色を眺望することが挙げられるけれど、自然の美しい景観はどこかの絵画展で見る方がいいし、遠くの景色を眺望することにもあまり興味はない。


 ただ、私は私の前を行く朴念仁と二人きりの時間を過ごしたくて、今回の登山にしぶしぶ付いてくることにしたのだ。登りつつある山や山を愛好する登山家には申し訳ないが、私はその手段として登山を利用したに過ぎないのである。汗のべたつきも、足元の悪さも、虫のうごめきも、不快この上ない登山を愛好するはずがないのだ。


 海斗は身長が男性の平均には到達しているけれど、私が女子にしては高いせいで目線が同じくらい。海斗は高校までサッカーをしていたので、太ももやふくらはぎは肉付きがいいが、全体的に細身で軟弱そうに見えなくもない。容姿がそこはかとなくいいように見えるのは私の感情的な補正が発揮されているからに違いない。


 私がこのおたんこなすに興味を抱き始めたのは大学一年生のある講義のグループワークの時だ。私は海斗が私とは違うグループの代表としてグループワークの成果を発表する様子に心を掴まれたのだ。説明の様子はとても味気ない感じで淡々としていたが、海斗の成果と思われる内容はとてもCriticalだった。


 グループワークの問題に対してCriticalだったのか、私のストライクゾーンに対してCriticalだったのか、今ではもはや思い出すことも叶わない状態である。私は珍しくなけなしの勇気を振り絞り、翌週の同じ講義が始まる前海斗に話しかけた。海斗は興味なさげに淡々としていたが、悪く思われていないことは感じられた。


「人間は自然を物理的にも観念的にも駆逐してきた。都市空間を俯瞰すれば即座に理解できることだけど、都市空間には統制管理された貧弱な自然ばかりだ。人間ほど自然嫌いな生物もいないだろうよ。人間は自然を恐れすぎているところがある。」


「でも、登山道が整備されてなけりゃ、登山も安全にできないんだよ。私、森が鬱蒼としている中に建てられた家に住む気にはならないな。家の中に虫は入り込んでくるし、交通の便も良くないだろうし、電気とか水道とか色々大変だしさ。」


「君の意見はよく理解できる。自然災害の対策もしないわけにはいかない。人間の生死に関わる重要なことだから。ただ、何故かとても寂しい気持ちを引き寄せなくもない。つまり、他者と共に生きることを拒絶しているようだ。」


 私は海斗が一人で過ごすことを好いているように見えていた。そんな海斗が寂しいだなんて言う日が来るとは想像したことさえない。人類の自然に対する態度を人類の他者に対する態度に重ねているわけだけれど、海斗が人類の自然に対する態度を他者の自分に対する態度に重ねている可能性も考えられた。


 展望デッキを完備した頂上の様子が見えてくる。海斗は人類の高慢さ加減を展望デッキに見出しさえするだろう。ただ、私には海斗が話しているような大それた話が興味深くはあるけれど、どこかこの場をロマンチックにするための材料として聴いていた。私は海斗が語る夢見がちな少女趣味の世界観に恋をしているのだろう。


「ある登山グループが人間のかつて登頂したことがない山頂に自分達の国旗を突き刺したということがある。人間は登頂することでさえ国家の威信を示すことに利用してしまうようだ。宇宙も同じようなものだが、山もまた誰のものでもない。」


「でも、人間はどうしても不安になるから、自分のものだって主張したくなる。自分のものだって主張するだけじゃなくて、実力で支配したり相手を屈服させたりする。海斗も建前上公平さを保障する仕組みの中で自分のものを獲得してきたんだよ。」


 海斗は何も言わずにただ少しばかり哀しげな顔をした。海斗はいつも淡々としているように見えるけれど、海斗はその繊細さ故に傷ついてきたのだろう。私はそんな繊細で傷つきやすい海斗に母性をくすぐられている。私は処世術に長けたリアリストでそれなりの自負もあるけれど、海斗のような浮世離れした存在に惹かれることもあるらしい。


 閑散とした展望デッキの階段を上り、雲の多い晴れ模様の下景色を眺める。私はどこまでも世の中に強気なリアリストでしかないので、海斗との付き合い方に関しても冷静に計算している。海斗が現実をとても不器用にしか生きられないことを理解しているので、海斗との関係は一時のアヴァンチュールにしなければならなくなるだろう。


「海斗はさ、そのままだとさ、人の間で生きるのは難しいよ。」


「否定はしない。ただ、君には感謝している。君は僕の傍にいてくれるから。」


 私は恋愛時の脳内メカニズムに関して一通りのことは理解しているけれど、理解していようとも統制し切れるものではないことを今体感できている。ああ、こんな名も知られていない辺鄙な山の頂上まで一体私は何をしにきているのだろう。海斗を損切りすることもできないまま、海斗が心に占める割合が高まるばかりだ。


「いい加減怒るよ?」


「何を?」


 私が未だに信じがたいことは繊細な海斗が私の好意に気づいた様子を見せたことがないことだ。海斗は自分自身の魅力や価値に関して過小評価しすぎる嫌いがあるから、まさかこの私が海斗に恋心を抱いているなどとは微塵も頭を掠めることはない。本当のところ、私は海斗にこの恋心を気づいて欲しいのかどうか解らないままでいる。


 展望デッキからの眺めは山々が連なるばかりで、後は山に囲まれた小さな町が見えるだけだ。風景絵画に比べて見劣りしないかどうか尋ねられれば、食事は誰と食べるかが重要であることを答えるだろう。何をしに来たか問われれば、わざと無垢な振りをしながら、紅葉狩りだと答えよう。


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