少女たちの冬 幻想郷短編集3話
第一話 十六夜咲夜
咲夜はしゃぶ葉で夕飯を食べた。
IHヒーターの火力を強くすると、じきに「薬膳火鍋(大辛)」の鍋はぐつぐつと煮立ってきた。
あたりに立ち込める、ナツメグや八角、ホワジャオの香りと、喉に突きささるような唐辛子の蒸気。
咲夜の斜め前に座るカップルの女のほうが、この攻撃的な湯気にたびたびゲホゲホとむせかえっていた…。ひととおり、野菜も肉も煮えたので、咲夜はIHヒーターをとろ火にした。カップルの女の咳もおさまった。
ご存じの通り、鍋料理の肉は咲夜にとってはオマケ。彼女はいつも、鍋に野菜を親の仇のように大量にぶちこんで食べるのだ。つまり、しゃぶ葉のようなしゃぶしゃぶ食べ放題の店は、まさに彼女の嗜好にうってつけなのである。平皿に山盛りにした白菜、もやし、ニラ、タケノコ、キノコ類、大根にニンジン、ネギ…これらはあっという間になくなって、また野菜を盛りにビュッフェへと咲夜は出かけていく。席にもどってくると、さきほどのカップルが咲夜の席の前に立って、スマホなど眺めながら談笑していた。まあまあ邪魔だったが、咲夜はためらいもせずに自分の席へと滑り込むと、持ってきた野菜(小松菜とレンコンがおいしそうだったので、多めに取ってきた)をドサドサと鍋に入れた。当然、こういう雑なことをすると鍋の温度は下がるので、IHヒーターの火力を再び強にする。勢いを取り戻した鍋は再びぐつぐつと強烈な湯気を吐き出し、周囲へのエアロゾル攻撃を再開する。攻撃再開(Xjapan)だ。するとやっぱり、件のカップル女は、ゲホゲホやり始めた。早くここから離れればいいのにね(笑)
そこで、咲夜にとって意外なことが巻き起こった。咲夜の後ろの席の男が、
「人のそばで咳してるんじゃないよ!このコロナ女!」
と、キレてカップルに食ってかかったのだ。どうやら、最初に咲夜が唐辛子汁を煮立てたときに女が咳をしていたときから、腹に据えかねていたらしい。まあそれはそうと、咲夜は目の前の鍋のほうに食ってかかることにした。う~ん、やっぱりおいしい。
そこからはもう大騒ぎ。カップルの男のほうは、
「俺の女をウイルス扱いしてんじゃねえよ、おっさん!」と反論、
店員さん(河北まゆこ似)は、血相を変えて飛んできて、
「お客様、店内での口論はどうかお控えください!」となだめ、咲夜は野菜の中で真っ先に煮えるニラを拾い上げてハフハフハフポストと食べる。カップル女のほうは、先ほどよりいっそうゲホっている。多分、本当はもう咳なんて出ないけど、なんとなくばつが悪いので咳を続けているんだろうなぁと思った。ほら、盛り上がらない飲み会では、何をすればいいか手持無沙汰になっちゃって酒やたばこの量が増えますよね。あんな感じです。みっともない男二人の争いを止める河北まゆこも大変だよね。「お腹に、良い~リズムを!(鼻声)」お~っと、そうこうしているうちに、お鍋の底からボワっと、忘れ去られてトロトロに煮えた白菜の茎が登場だ。咲夜はフーフーして、「はもっ!…」と口に運ぶと、ほくそえみながらこうつぶやいた。
「ハローフォガットンハクサイ」驚け~←かわいい
結局、カップルと男の3人は強制退店処分となったらしく、2度と咲夜の目の前に現れることはなかった。緊張で静まり返る店内、それまでは気にも留めなかった、鍋のぐつぐつと煮えたぎる音がクリアーに聞こえる。果たしてこの音は、幸せを意味するのか、それとも不幸せを意味するのだろうか。
少なくとも、完全で瀟洒な従者にとっては、そんな問いは愚にもつかないものであるようだ。なぜなら、満足そうな顔でしゃぶしゃぶを食べ終え、デザートとして棗の身を食べて、舌で種を転がしていたからである。ちなみにこの棗の実、火鍋の薬膳のひとつとして、はじめからスープに浮かんでいたものである。咲夜は今日も幸せだ。なぜなら、世の中を整えることはできないとしても、自分の心は整えることができるということを知っているからである。そして、自分の心を整えることをf(g)、世の中の乱れぶりをf(t)とおけば、世界の感じ方は(gοt)だからである。これが彼女の処世術なのだ。f(g)が限りなくゼロに近づけるような関数ならば、どんなf(t)が来ても大丈夫なのである。
第二話 二ツ岩マミゾウ
東京から新潟に帰省した私は、信越線の加茂駅に歩み入ろうとしていた。2本の線路しかない駅にしてはやけに長いプラットホームに目を奪われるが、これはかつてこの駅が、国鉄とともに蒲原鉄道というローカル線も乗り入れる駅だったからである。
わざわざ東京から直接新幹線で新潟駅に行かずに、長岡で降りて在来線で加茂駅に来たのにはお目当てがあり、そのお目当ても無事回収した。駅の西口から少し歩いたところにあるラーメン屋で、燕三条系背油ギトギトラーメンと、手打ちの皮がもっちりとしたギョーザでビールをひっかけてきたのだ。ラーメン屋の夜営業の部がスタートした直後にこうやって飲むのは良いものである。そして混んできたあたりでラーメンとギョーザも食べ終わり、ビールのグラスも空にして、そそくさと退散するというわけだ。また、言うまでもないことだが、私がこういうおやじ臭い行為をするときには、あの博麗のバカミコの姿に化けてからやっている。二ツ岩マミゾウ嬢は上品なレディで通っておりますのでネ。おほほほほ。
長岡行の電車がやってきた。私はこれから新潟市に帰るので、この電車に用はない。降りてきた客はほとんどが高校生、そこに勤め人や高齢者がぽつりぽつりと混じっているといった感じだ。片田舎によくある光景である。改札を通り抜ける、同じような顔、顔、顔。
歩くリズムも、前の人の背中を見て歩くためか一様だ。一通りの降車客が改札を通り抜け、あるものはそのまま歩いて、あるものは駐輪場から愛車を引きずり出し、またあるものは迎えに来ていた家族の車に乗り込み、駅から散り散りになっていった。
一人遅れて改札を通ってきた人がいた。
彼は上がワイシャツ、下は紺のスラックス姿で、革靴を履いて、鞄を手に提げている。右足が膝から下にかけて奇妙にねじれており、そのせいで歩き方は頭を常に左右に振ってもがくものになり、そのねじれた右足を一歩ごとに懸命に持ち上げていた。長岡方面からの電車がやってきたので、私は彼から視線を切って、電車に乗り込んだ。
新潟市へと向かって揺られながら、私はさきほどの光景を思い出していた。私は実は彼に逢ったことがあるのだ。それはもう12年も前、まだ私が学生だった時分だ。朝の新潟駅。
今さっき見た、頭を左右に振って不具の右足を持ち上げる歩き方も全く一緒だった。若かった彼は、駅の出口に向かっていったので、「ああ、市内に勤めに出ている人なんだな」とは思ったが、どの方面からの電車から降りてきたかもわからなかったので、彼がどこから通っているのかはわからなかったし、興味もなかった。もちろん、それっきり12年間の間、彼のことを思い出したことなど一度もない。だが、今しがた彼の姿を見た瞬間に、12年前の朝の新潟駅の光景が鮮明によみがえったのだから、人の記憶とは不思議なものである。本当にふとしたきっかけで、タイムスリップでもしたかのように、過去の臨場感が襲い掛かってくるのだ。
「そうか…あの人は、加茂から通っていた人なんだな…」
窓の外を眺めながら、私はボソリとつぶやいた。もうあたりは暗くなって、遠くに見える角田山と弥彦山、国上山の姿も、空の色との区別をあいまいにし、そしてすっかり同化して見えなくなった。
第3話 チルノ
冬。幻想郷の住民は、だいたいみんな暖房の効いた部屋でダラダラしていた。
博麗の巫女は、神社の詰め所の一角に置かれたダルマストーブのそばに寝転がり、腰をさすっている。
「あぁ~腰が痛い。雪かきはほんっとつらいわねぇ。」
外套を着込んで雪かきをしていると、やがて全身が汗ばんでくる。やっと境内の雪かきが終わったころには、もう頬は薄紅色に上気しているほどだった。だが、暑いからと言ってストーブの効いていない場所にずっといると、あっという間に汗が凍り付くように冷えてしまうのだ。なので、ちょうど湯冷めを防ぐときのように、多少暑いのは我慢して、こうしてストーブの傍で休んでいるというわけだ。
霊夢の掌は、長時間スコップを握っていたために本来なら血液が大量に流れ込むはずが、外気の寒さと相殺されて、作業中は気にならなかった。だが今は、暖かい部屋で安静にしているので、堰を切ったように掌に血流がほとばしり、紅潮してドクンドクンと脈打っているのを感じていた。
「なんか、暑いし喉もちょっと乾いたから、アイスでも食べたいわね~。シャーベット系の。」
霊夢が外に目をやると、クーラーボックスを小脇に抱えた少女が、何やら囃し立てながらこちらに向かってくるのが見えた。耳を澄ますと、
「チュ~~ウペットチューペット~♪夢のチューペットチルノ~♪」
と、朗らかな声で歌いながら、弾むような足取りでチルノがやってきた。
「あらあら、チルノは元気ねぇ~。もうちょっと早く来てくれれば、お汁粉(雪かきの隠語)が残ってたからあげようと思ったのにー。」
「霊夢、チューペット買わない?おいしいよ。1本20円、半分で10円っていう売り方もできるよ。」
「じゃあ1本もらおうかしら。」
「はい。」
霊夢はチューペットをパキッと折ると、両手に持って食べ始めた。
「うーん久しぶりに食べたけどおいしいわねー。冬に暖房で頭が熱っぽくなってるところに冷たいアイス、これってなかなかいいのよねぇ~。頭寒足熱って感じ?」
チルノは巫女から受け取った小銭をしまいつつ、彼女の足元をじっと見た。ヒョウ柄の股引に、虹色の毛糸の靴下を履いている…
「おしゃれは足元から、ってことか」と、小さなチューペット行商人はつぶやく。
「ところでチルノ、なかなかいい商売を思いついたじゃない。怠惰な幻想郷の連中は、私みたいに雪かきなんかせずに、暖房の効いた部屋でゴロゴロしてるに決まってるから、リフレッシュするためにアイスが食べたくなるはずね。」
「うん。魔理沙と紫と幽々子は毎回買ってくれるし、早苗とか磨弓も買ってくれることが多いよ。あとは、偶然あった人とかが買ってくれるかな。まずたくさんのアイスを毎回買ってくれる常連の固定客を回って、ほんで次にちょっと買ってくれるとこを回って、最後にぶらぶらと客を探したり、新規開拓をしたりってとこかな。」
「じゃあ、外回りの最初の数時間でたくさん売れて、あとは徐々に売れ行きが鈍っていくって感じなのね。」
「そうだよ。今日は、最初の1時間で、持ってきたチューペットの山が半分と、ポキッと折った片割れひとつが売れたの。ほんで、次の一時間で、チューペットの山がまた半分になって、また片割れがひとつ売れてぇ~、次の一時間で、またチューペットの山が半分になって、また片割れがひとつ売れてぇ~、次の一時間で、、またチューペットの山が半分になって、また片割れがひとつ売れてぇ~、最後の一時間でここ博麗神社に寄って、チューペットの山の半分になって、また片割れがひとつ売れたから、たった今全部のチューペットが売り切れたんだよ!えへへ~」
チルノは得意げに笑った。
「一日に〇〇本も売るなんて、やるわね!」
霊夢はウインクした。
さて、ここで読者のみなさんに質問です。霊夢はチルノのクーラーボックスに、チルノが家を出た時点で入っていたチューペットの本数を見事に当てたわけですが、みなさんも霊夢になったつもりで当てて見てください。
解答: 全行程スタート時にクーラーボックスにあるチューペットの本数をX0、1時間後の本数をX1、…とすると、5時間後の本数はX5である。5時間後にすべてのチューペットが売り切れたとチルノが言っているから、X5は0である。また、X4の半分と、1/2本のチューペットが売れたことでX5=0となったのだから、X4/2 - 1/2 =X5=0 から、X4=1。
また、チルノのセリフから、Xnの写像としてX(n-1)が与えられるときの関数f(x)は、nの値によらず等しい。X5 + 1/2 = X4 /2 つまり2X5 + 1 = X4 にX5=0を代入して、X4=1となり、XnをX(n-1)にする関数f(x) = 2Xn + 1だということがわかった。n = 0にするためにこれを5回繰り返し、X0=31 よって、チルノがこの日売り切ったチューペットの本数は31本。