舞台は幕が下りるまでですよ
王立シュテルム魔法学園の卒業式後に行われる祝いのパーティ。
私は今宵行われるそのパーティで、婚約者から婚約破棄をされる。
──のですが、一抹の不安しかありませんわ
「ヴィヴィッド嬢!」
カツン、と硬質な靴が床を鳴らす。
お話をしていた令嬢達に断りを入れて後ろを振り向けば、そこには婚約者であるこの国の第二王子、カルル・アルジュリー・シュテルム殿下が立っていた。横に一人の令嬢を引き連れて。
その令嬢はふんわりとしたピンクゴールドの髪を結い上げ、ペリドットの瞳を潤ませながらその豊満な胸部を王子の腕へとぎゅっと押し付けていた。そう、ぎゅっとだ。
……はしたないと思わないのだろうか。
「……なんでございましょうか」
「貴様がこのリリー・マデルン嬢にした卑劣な行いのことを聞いたぞ!将来、私の横に立つ者として、そのような行いが許されることだと思ったのか!」
「……身に覚えのないことでございます」
自身の扇を握っていた手に力が入る。
ミシリという音は聞かなかった事にしよう。
「存ぜぬと申すか!」
「はい」
「……カルツ!」
カルル殿下の声に、後ろへ控えていた藍色の髪に碧眼を眼鏡のレンズで隠した男が一歩前へと出てくる。紙束を持ったその方はカルツ・ハイデン様──魔法師団長のご子息だ。彼は魔法が得意でそれを駆使して諜報等も担っていて、学生の身でありながら既に魔法師団に属している程優秀だ。そんな彼が持つ紙束は、つまりそういうことなのだろう。
「全て調べはついております。無駄な抵抗はされぬ方が良いかと」
「なんのことかしら」
「ここまできてもまだ知らぬ存ぜぬを通すというのか?」
「ええ、まったく身に覚えのないことですので」
「貴様は……っ!」
その声色に、私は悟った。
先ほどミシリと嫌な音を立てた扇を更に力強く握り、自らの金色の瞳で王子の金色の瞳と視線を交わす。
「自らの過ちを認めぬ者に私の隣に立つ資格はない!
ヴィヴィッド・アルメリー嬢!
お前との婚約は破棄しゅる!!!!!」
「なーあんでそこで噛むんですの!!!!!!!!!!?」
ベシィ!と持っていた扇を床に叩きつける。
あああああ、もう、やっぱり不安が的中してしまった!!!
空気も最高潮に張りつめた中でのことだったので、固唾をのんで見守っていた周囲の者達も取り繕えず、噴出し笑いをしてしまった者もいる。完全に茶番劇と化してしまった。
「あれだけ!!念入りに!!!練習したでしょう!!!?ばかカル!!!!!!」
「だ、だ、だって!言う前にヴィヴィが視線を合わせるから!!緊張しちゃったんじゃないか!!」
「私の所為ですの!?」
「ヴィヴィに見つめられたら緊張するのは当たり前じゃないか!!」
ぎゃあぎゃあと喚きたてる私とカルル殿下に、ぽかんとした顔をしているのは横に立つ桃色令嬢だけ。
というかなんですの、髪の毛がピンクが強めに出たピンクゴールドですのに、どうしてドレスまでピンクなんでしょうか。頭の天辺からつま先までドピンクすぎて目がちかちかしますわ。
「そもそも!!これ自体、私は嫌だと言ったじゃないか!!!嘘でもヴィヴィと婚約破棄とか!!無理!!!やだ!!!!!!」
「やだじゃないですわ!最終的にちゃんと納得したでしょう!貴方は皆の頑張りを無に帰すつもりですの!?シャキッとなさい!第二王子殿下!」
「ぐっ……」
しょんぼりとしたカルル殿下に幻の犬耳が見えるようだ。
漆黒の艶やかな髪の下で揺れる金色もどこか縋るような色を浮かべている。
だがしかし、舞台を整えてくれた皆の頑張りを無駄にはできない。
「ちょ、ちょっと、なんなのよ!どういうことなのよ!!!」
我にかえったリリー嬢が奇声をあげる。
婚約破棄からのストーリーはもう使えないが、我が王国の影は優秀なので問題はないだろう。
「……はあ、仕方ないですわ。貴女に一時の夢を見させてあげることもできないようですので、速やかに、簡潔に行きますわよ。皆様よろしいですわね」
私の言葉に周囲の令嬢子息は肯定の意を示す。
この場に居て現状を分かっていないのは目の前のご令嬢と炙りだされたとも知らずに居る者達だけである。
「はあ!?意味わかんない!カルル様!どうしてその女のところに行くんですか!!婚約破棄して私を婚約者にしてくれるのでしょう!?そんな悪役令嬢、早く婚約破棄してください!」
「悪役令嬢、ね…」
隣に立つカルル殿下をちらりと見る。
殿下は面目ない…と先ほどからシュンとしたままだった。まだ舞台の上なのだから、いい加減立ち直ってちゃんと第二王子をしてもらいたいものである。
私はハーフアップにしている自らの白銀の髪を揺らして一歩前へと出る。
「貴女の言動は全て調査済みですわ。リリー・マデルン嬢…いえ、前世のお名前で呼んであげたほうがよろしくて?」
「っっ!?」
「先に断っておきますが、私は転生者ではございませんわ。もちろん殿下も。転生者の子孫の方はこのホールの中にいらっしゃいますが、それはよろしいでしょう。彼ら自体は転生者ではありませんもの。それで、先ほど貴女が仰った悪役令嬢という言葉ですが、それは我が国では最大の禁句となっておりますの。きちんと歴史について学べばどうして禁句となったのか分かるはずですが、貴女はそうではないようですわね」
「な、なによ!転生者だったらなんだっていうのよ!?私はヒロインよ!!私はカルル様と結ばれることが決まっているのよ!?どうして最後の最後まで邪魔するのよ!!!」
「……邪魔もなにも。貴女は歴史をご存じないようですので、簡単にまとめてお伝えしましょう。我が国は誕生して1000年を超えていますが、その中で度々学園内ないしは準ずる場所で不祥事が起こっておりました。婚約者がいるはずの殿方たちがこぞって一人のご令嬢を愛し、その果てに自らの婚約者を突き放して破棄してしまう…というものです。そのような者達がいる時代が繁栄した記録はなく、歴史を重ねてもなお発生するので問題は一時代では済まないと判断し、魔法師団を中心に解決策を探し始めました。その過程で転生者という存在を認識し、二度と愚かな時代が訪れないように策を案じることにしたのです」
一度言葉を切ってリリー嬢を見やると、飲み込めていないのか目を白黒させている。
「転生者と名乗る方の多くはこの国をげぇむの物語の舞台だと仰っていたようです。げぇむは娯楽だと聞き及んでおりますので、転生者の方々にとってはこの国での事を遊戯と同等なのだと認識しております。ですので、我が国では貴女のようなふるまいをする方にはその遊戯の舞台の役で接することとしています」
「…………はあ!?」
「つまり、私は君に好意を抱いていないし、全ては相手役として舞台の上で踊っていたということだ」
「カル、今は口を挟まないで」
「はい……」
あ、またシュンとした。
その様子が少し可愛く見えてしまったので、ンンッと咳き込んで続きを話す。
「この卒業式後の祝賀パーティーまでが舞台です。貴女の夢はこの舞台上だけのもの。もし貴女がこの国の令嬢としてきちんと生きていく覚悟を決めていらしたら特に問題ありませんでしたが、貴女は殿下や高位貴族の子息を誑かしました。そして……隣国とも密接にしておりますわね」
「そ、それは、隣国に隠しキャラがいるから……っ」
「そのために我が国の情報を隣国へ売った、と?」
「情報!?そ、そんなことはしてないわよ!!!」
「……ふふ、そうでしょうね。それをしたのは貴女の御父上ですわ…ですわね?」
ちろりとリリー嬢の後ろを見れば、カルツが頷いて返す。
「はい。先ほどマデルン男爵を騎士と魔法師に捕捉させて邸を調査させたところ、隠されていた地下室から証拠物品が見つかりましてそこから鼠どもを一斉摘発するよう指示が出ました。ちなみにこのホールに居た鼠は既に捕らえておりますのでご安心ください」
「相変わらず手早いわね」
「恐れ入ります」
優雅に礼をとるカルツ。魔法師団はただ単に魔法を使える団ではない。魔法を駆使してあらゆる悪事を明るみに出す手腕は寒気がするほどに手早い。今この場に居るのに別場所のことを見て来たかのように言えるのは、彼が遠方と連絡をとる魔法を使っているからであろう。私も魔法は使えるのだけど、どういう仕組みの魔法なのか何度聞いても理解ができないので魔法師団は皆頼もしくも恐ろしい。
「では、残っているのはリリー・マデルン嬢、貴女だけですわね」
「……っ、なんで、なんで、なんでよ!!私はちゃんとこなしたのよ!?イベントも!選択肢も!一言一句間違ってないはずよ!!悪役令嬢が…いや、この国自体がバグなだけよ!!!私は悪くないわ!!!」
「ばぐ…というのは分かりませんが、例え貴女の中で一言一句間違っていないとしても我が国は劇場ではありませんし、全ての人は一人の人間として生きております。貴女の動向を探るべく舞台は整えましたが、いつだって貴女は舞台を降りることができました。役を成すのではなく、貴女がリリー・マデルン嬢として生きていこうとしてくださるだけでよかったのです。ですが、ここまで来てしまえば後は幕が下りるまで踊り続けるしかありません」
「嘘よ嘘よ嘘よ、私はリリー・マデルンよ!!ちゃんとそうやって生きてきたわ!!!なんであんたが正しいみたいになってんのよ!!悪役令嬢ならちゃんと悪役令嬢らしくしなさいよ!!王子も!!私をちゃんと愛して隣に居て慰めなさいよ!!なんで悪役令嬢の傍にいんのよ!!!カルツも!私の為に力を使いなさいよ!化け物と嗤われてる貴方を分かってあげられるのは私だけよ!この女を今すぐ外へと追い出してよ!!!どうして言う事を聞かないの!?私はもうすぐ隣国の王子様に娶られるの!!隣国の王妃になるのよ!!!なんでどうしてこんな目にあわなきゃなんないのよ!!!」
ヒステリックな叫び声がホールに響き渡る。
誰もそれに言葉を返さない。
舞台の上で叫び狂う一人の少女をただ見ている。
劇の最後で主役に光が当たった時のように。
──そうして、この舞台は幕を下ろした。