黄色い花2
「家来?」
アリョークは呆気にとられてルキウスの言葉を繰り返した。
「私が? 殿下の?」
「他に誰がいる」
言い切られて、今度こそアリョークは言葉を失った。
「悪い話ではあるまい。給金はそれなりに払うし、土地屋敷も与えよう。望むのならば爵位だってくれてやる」
「ちょ、ちょっとお待ち下さい、殿下」
アリョークはしどろもどろになりながら、なんとか言葉を紡いだ。
「なぜ私なのです? 私が……私が、魔法使いだからですか?」
「そうに決まっているだろう。馬鹿かお前は」
「ですが」アリョークは混乱しながらも続ける。
「宮廷にも、お抱えの魔法使い殿がいらっしゃるでしょう……私などを今更お召し抱えにならなくとも、」
「あのお飾りたちのことを言っているのか? あいつらは駄目だ、まるで役に立たん」
アリョークの言葉を遮って、ルキウスは手を振った。
「元々無能なくせに、おれの言うことを聞くことさえしない。いつも父や兄たちの顔色ばかり伺っている。穀潰しどもめ」
宮廷内の魔法使いのことを思い出したのか、眉間に皺を寄せて不機嫌さを露にしている。
「だから、お前をおれ直属の魔法使いとして雇おうというのだ。訓練された強者を凌ぐお前ならば、あの糞どもより、随分ましな働きをするだろうと思ってな」
その不快そうな顔を見て、そういえば、とアリョークは思い出した。
宮廷に仕える魔法使いの実力がどの程度のものかは知らないが、なんでも世襲制で代替わりしていると聞く。
魔法使いにも色々な者がいる。アリョークのように土地に居着き、生きる知識として魔法を使う者、盲目的に知識を求める者、戦いのための力として術を用いる者。どんな道を選ぶにせよ、それなりの切磋琢磨がなければ成長もない。
だから、宮廷でぬくぬくと暮らしている貴族出身の魔法使いなど、大したものではなかろうとアリョークは勝手に考えていた。競争も奪取もなく、形骸化した儀式のように、ただ受け継がれているだけの椅子。
(わたしだって、そんなものに興味はない)
アリョークはぽつりと頭の中で呟いた。
(わたしが欲しいのは、この森での平穏な暮らし。それだけあれば、他に何も要らない)
そう考えた瞬間、答えは自然に口から出ていた。
「お断りします」
反射的に返事をしたアリョークに、ルキウスは顔を顰め、率直に不快感を露にした。
「なぜだ」
「なぜだとおっしゃいましても……」
言い訳を考えながら、はたと思い当たった。ここで、アリョークがルキウスの思うような人物ではないこと……自分が森の外でいかに役に立たない人物だということを思い知らせれば、この言い出したら聞かなそうな皇子も、興味を失って城に戻ってくれるのではあるまいか。
(これだ!)
その思い付きに興奮したアリョークは、自分がいかに皇子の部下にふさわしくないのかを、勢い込んで語りはじめた。断る理由など、腐るほどある。
「まずはですね、殿下。私は、平民どころか臣民でさえありません」
実を言うと、アリョークは租税を納めていない。盗賊や異国の兵の侵略からの保護を必要としていないから、というのがその理由なのだが、クトルリアの領内に住んでいる以上、これは違法行為および皇家への反逆行為である。
厳正に法律の上で均せば、アリョークは犯罪者のくくりの中に放り込まれるのである。それが今まで見逃されて来たのは、彼女が腕の良い民間薬師として、地域の役に立って来たからに過ぎない。
「私のような、どこの馬の骨とも知れない女が殿下のお傍に侍るなど、あってはならないこと。殿下のご名誉に関わります」
もっともらしい言い訳に、アリョークは自分でも満足した。平民から宮仕えに、という話でさえ聞いたことがないのに、まともな国民ですらない者を登用するなど、非常識にも程がある。
「それに、」とアリョークは自分の胸に手を当てて続けた。
「私は女です」
「見れば分かる」
面白くなさそうに頬杖をつく皇子にもめげず、さらに言い募る。
「女を家臣とするのは、殿方にとって、とても不名誉なことなのではありませんか?」
この国において、男にとって女というものは、大切に庇護すべき存在であり、同時に従わせるべき存在でもある。貴族の女性はもちろんのこと、裕福な平民の家の女性の間でも、働くことはあり得ないこととされている。男だてらに稼いでくるなど、はしたないことだと。
そう言う点から照らし合わせてみると、アリョークはとことん常識から逸脱した存在なのだ。宮廷に出入りするようになれば、さぞかし白い目で見られることだろう。
「えーと、それから……」
「もういい、黙れ」
ルキウスはうんざりした顔で手を振った。
「その程度のことを、おれが思い当たらなかったと思うか? 女だからの何だの、そんなことはおれが気にするべきことであって、お前が考えることじゃない」
「し、しかし」
「要するに、お前はこの話に乗り気ではないのだな? なぜだ」
ずばり言い当てられて、アリョークは視線を逸らし、宙に迷わせた。
「そ、それは……」
どもるアリョークに、ルキウスはいらいらしはじめた。
「言い訳はもうたくさんだ。正直に言え」
どん、と食卓を蹴飛ばして先を促すと、アリョークの肩がびくりと震えた。
「……も、森……」
「森?」
「森から、出たくないのです……」
「はあ?」
今にも泣きそうな表情で言われた言葉に、今度はルキウスの方が聞き返す羽目になった。
「出たくない? 森から?」
「はい……特に、皇都のような大都会に行くだなんて、耐えられません」
「……それは、なんでまた」
訳が分からないルキウスは、怒ることも忘れて訊ねる。悲壮な決意でアリョークは口を開いたが、顔は餌をもらい損ねた犬のように情けなかった。
「ひ、人がいっぱいいるから……苦手なのです、人が多いところは」
その返事に、ルキウスは沈黙した。二人の間に重苦しい空気が流れる。
窓の外で、小鳥がのどかな声で鳴いた。
「……つまり、お前は」先に沈黙を破ったのはルキウスだった。
「森に引きこもっていたいというだけの理由で、このおれの誘いを蹴るということか。うん?」
「そ、そういうことに、なりますね」
その答えを聞いたルキウスは、静かに息をつき、片手でゆっくりと前髪を掻き揚げた。
「………………ふっ……くくくく」
ルキウスは大きな手で額を押さえながら、低い声で笑い始めた。魔王というものが存在するのならかくもあらん、といった風の笑い声に、アリョークはただただ怯えることしかできなかった。
「ふざけるなっ!」
ルキウスは食卓をどんと叩いた。カップと一緒にアリョークまでが跳ね上がる。最早彼女を手駒として手に入れたいという気はかき消えていたが、逆に何としてでも森から引きずり出してやりたくなった。
彼は断固とした口調で命令した。
「出てこい」
「嫌です」
「出てこい」
「嫌です」
「いいから出てこい!」
「絶対に嫌です!」
アリョークは叫んだ。思わずかっとなり、細い手首を掴み上げようとする。しかしルキウスが手を伸ばす前に、アリョークはヒステリックに呪文を唱えはじめた。皇子は咄嗟に短剣に手を掛ける。強い魔力の波動を感じ、彼の全身の毛がぶわりと逆立った。彼は電光石火の勢いで自慢の剣を鞘走らせたが、それでもアリョークの術の方が速かった。
瞬間。
彼の目の前が、一面黄色に染まった。
「……おい」
斬りつけかけた手を止め、激しく呆れながら、ルキウスはアリョークに語りかけた。
「おい、魔法使い。……お前は一体、何がしたいんだ」
彼の目の前――さっきまでアリョークが居た場所に、最早彼女の姿は見えなかった。変わりにあるのは、緑と黄のかたまり。
唐突に床を突き破り、むくむくとその身を伸ばした草が、繭のように彼女を覆い守っているのだった。ご丁寧に黄色い花まで咲かせている。
いつでも抜けるように腰の剣に手を掛けながら、用心深く近くに寄る。すると、何やらくぐもった声が聞こえた。ルキウスは耳を澄ませた。……きつく緻密に編まれた蔓の中から、「嫌だぁ、外に出たくない、森から出たくない……」というすすり泣きが聞こえてきた。
ルキウスは瞬発的な怒りに駆られた。彼が何よりも嫌いなもの。それは、まさに今のアリョークのような、情けなくて弱い生物。
彼は数歩後ずさって構えた。
「もういい、死ね」
無情に言い捨てて、目の前の花鞠を剣で払う。……が、あっさり弾かれた。鍛えた鋼鉄のごとき手応えに、ルキウスの手首が痺れる。魔力を吸って急激に伸びた草は、ごくありふれた野草なのにも関わらず、植物だとは信じられないほどの硬度を保っていた。
愛用の短剣の刃が無惨に欠けているのを見たルキウスは、ゆっくりとそれを鞘に戻した。先ほどから一転、静かになった彼は、こつ、こつ……と靴音を立ててアリョークの傍へ向かった。彼女が作った、草花のかたまりに歩み寄る。そして、優美と言っていい手つきで、黄色の花を撫でた。
「なあ……魔法使い」
ルキウスの指が、そっと花弁のふちをなぞる。穏やかな声で彼は続けた。
「十秒待つ。それまでに出てこなければ、お前を、森ごと、焼き払ってやる」
大事な部分を一言一言区切って告げると、途端に花が音もなく枯れだした。萎れた草の編み目から、子供のような泣きっ面の女が出す。その顔を見て、ルキウスはもう一度沸き立つような苛立ちに駆られた。再度薙ぎ払いたい気持ちをこらえながら、彼はアリョークの前で腕を組んだ。
「そんなに森を出るのが嫌か」
「嫌です……」
「選べ。死ぬのとどっちが嫌か」
「どっちも嫌です……」
濡れた犬のようにしょぼくれた彼女は、ルキウスの剣呑な視線に俯いた。
ひたすら煮え切らないアリョークに、ルキウスは舌打ちを一つ落とした。
どうもこの魔法使いが掴めない。臆病なくせに強情。賢明かと思えば愚鈍。大人しく膝を折るかと思いきや、ちっとも言うことを聞かない。
訳の分からない魔法使いを、ルキウスは改めて見下ろした。背で波打つ長い黒髪。涙で濡れた黒い瞳。
髪は茶や金、瞳は青か茶が多いこの土地では、この組み合わせはなかなか見られない。珍しがられるだろうから、奴隷として売り飛ばせばそこそこの金になるだろう。また、黒髪黒目は、最も魔力を蓄えやすい色合わせだという。だが、半べその彼女からは、その神秘性は全くと言っていいほど感じられなかった。
混血が進んだ異国風の顔立ちからして、この辺りの人間ではない。恐らく、ここから北東に向かい、山を跨いだ先にある土地の方の血が流れている。
ルキウスは珍妙で奇妙な模様の昆虫を見つけたような、なんとも複雑な気分になった。この訳の分からない生き物を、今すぐ握りつぶしたい。そうでなくば、死ぬほど弱るまで徹底的に突ついて、その間どんな反応をするのかを見たい。迷いながら刃こぼれのした短剣の柄に指を彷徨わせていたルキウスは、やがてその手を下ろした。そして、誰をも戦慄させる禍々しい笑みを浮かべた。
「ならば魔法使い、おれと賭けをするか」
「……賭け?」
アリョークが顔を上げる。
「お前に、もう一つ、用件があったのを思い出した」
ルキウスは懐に入っていた小瓶を、ゆっくりと取り出した。