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虹の麓に  作者: にな
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黄色い花1

初夏の森の中を、一羽の小鳥が飛んでいる。

薫る風に淡い黄の翼を広げ、ゆったりとした速さで空を舞う。時々その速度を増し、落ちるように急降下する。かと思うと、すっと羽根の角度を緩めて、また舞い上がる。

風と遊ぶその姿には、まるでこの世に憂うべきことなど何一つ抱えていないような優雅さがあった。


背の高い木々を縫うように飛び交ううちに疲れたのか、枝の上に足を下ろし、留まって羽を休める。足を折り畳んで、ぷっくりとした腹を枝に乗せた。そのまま穏やかな日の中で羽を繕いはじめる。艶のある羽根をつくつくと嘴で突つくと、整った毛並みから小さく乱れた羽毛が飛び出した。あまり毛繕いは上手くないらしい。

それは、ひとつの微笑ましい森の風景であった。


だが、その美しい景色が長続きすることはなかった。

小鳥がふと何かに気づいて顔を上げた。慌てて空高く舞い上がる。


ごうっという一陣の風。空を切り裂く鋭い矢じりが、美しい黄の羽根を掠めた。あわや矢を避けたものの、宙で飛行姿勢を崩した小鳥は、まっ逆さまに地に落ちていった。


一方地上には、手で日除けを作りながらその様子を眺めている男がいる。彼は二の矢をつがえることなく弓を肩に掛けなおし、落ちてくる小鳥を黙って見守った。

彼の目の前で、落下する黄の小鳥の体がするすると膨らんでいく。対の羽根は二本の腕に。小枝のように細かった足がふくらはぎに。丸い胴が、滑らかな曲線を描く体に。……やがて小鳥は、黄みの強い生成の服を着た若い娘へと姿を変えた。

猫のように回転して着地した娘は、跪いた姿勢のまま、恨めしげに男を見上げた。

「……なんてことをなさるんです」

「なんだ、お前だったのか」

赤毛の男はしらじらしく言い放つと、灰がかった青の瞳で馬上から娘を見下した。艶のある毛並みの黒馬が、主人に賛同するように、ぶるりと声を鳴らした。



小鳥に化けていた娘の名はアリョーク。森の魔法使いである。赤毛の男は、言わずもがな、クトルリアの皇子ルキウスであった。




+++++++



丁度今から二週間前のことだ。


森の入口近くまで鳥に化けて飛んでいったアリョークは、さっと人間に舞い戻るとポストの傍へと着地した。

(よーし、やっと本調子に戻ったな)

一人で満足げに頷く。


先日森で起こったルキウス皇子の暗殺騒ぎの際、渦中に巻き込まれた彼女は酷い目に遭った。腕を切られるわ殴られるわ、挙句の果てに首を絞められて殺されかけるわ。

一人でも森での生活に手が回るようになるくらいに怪我と魔力が回復するまで、三日もかかった。

皇子が残した医師と護衛の兵士に礼を言って帰したときには、やっと静かな生活が戻って来たとほっとしたものだ。


再訪問を予告して去っていた皇子は、それから一切音沙汰がなかった。「また来る」と手紙を残したのは気まぐれに過ぎなかったのだと思い込んだアリョークは、穏やかな日々に嵐を呼び込んできた男と縁が切れたことを、手放しに喜んだ。


落ち着いた日常を取り戻した彼女は、以前と変わらず日課をこなしていた。ポストの点検も彼女の毎日の仕事のうちの一つだ。

木の枝に縄でぶら下げた小さな箱。森の魔法使いに用がある人間は、このポストに依頼を書いた手紙を入れていく。

アリョークは鼻歌を歌いながら、木陰の中でポストを開けた。

中に一枚の手紙が入っていた。


アリョークはポストを閉じた。

(……えーと、今のは見間違いかしら)

重い音を立てながら脈拍を増す心臓を押さえる。手紙には、見覚えのある封が捺されていた。……皇家の印、竜の刻印が捺された封蝋。

(見間違いよね。お願いだからそうであってください)

アリョークは混乱し、しかし切実に念じながら、もう一度ポストを開けた。

中に竜の封蝋が捺された手紙が入っていた。

アリョークはポストを閉じた。


むなしい抵抗の後に、しおれながらポストを三たび開いたアリョークは、薄暗い箱の中から手紙を取り出した。そして重い気持ちのまま家に持ち帰った。

すぐに中身を改めるのが億劫で、帰ってからもしばらく未開封のまま机の上に放置していたのだが、それはあまり賢い選択ではなかった。開封するまでの時間が、ひどく陰鬱で落ち着かないものになったからだ。


散々ためらった後、アリョークは思い切って手紙の封を切った。

手紙には、相も変わらず上等な教育を受けた者にしては荒っぽい字で、こう書かれていた。

“そろそろ行く。案内を寄越せ”

署名も何もなかったが、この字と封蝋の印を見れば、誰が送りつけて来たものなのかなど一目瞭然だ。


(どうしよう……)

森の家は、アリョークの幻術でその在り処を隠している。彼女が書いた招待状――それを持つ者が幻術を見破れるように魔法をかけてある――がなければ、魔法使いの家を訪ねることはできない。

だから、この手紙も見なかったことにして招待状を返さなければ、一国の皇子であるルキウスとてアリョークに会うことは叶わない。

できれば無視したかった。だが、無視すると恐ろしいことが起こりそうな気がする。

アリョークは仕方なしに机に向かうと、羽ペンを握り、インクを付けてのろのろと返事を書きはじめた。

あまりにペンの進みが遅いので、彼女の字は涙を落としたかのように滲みまくった。


本音をだけを書くのなら、アリョークの手紙はルキウスのそれのよりも短くなる。

“お断りだ”とたった一言書けば良いのだから。

しかしそういうわけにもいかない。そんなことを書けば、あの皇子は怒って森に火を放ちそうだ。

だからたった一言で済む返事を、「傷がまだ癒えない」だの「あれ以来寝込んで療養している」だの適当な理由をつけた上、やわらかい言葉で何重にも何重にもくるんで丁重な手紙にしたためたのだ。


魔法で作った小鳥に手紙をくわえさせ、城に向けて飛ばした時には、「どうかこれで飽きるか諦めるかしてくれ」と悲壮な気分で願ったものだ。その願いは、叶うことなく儚く散ったのだが。




++++++++++





「どうぞ」

見つかってしまった敗北感に打ちのめされながら、アリョークはのろのろとした動きでルキウスに茶を勧めた。


所変わって、森の家。

「家まで案内しろ」という皇子に、なんだかんだと言いくるめられてしまった(というか、ルキウスが常に腰の剣に手をかけているのが恐ろしかった)アリョークは、仕方なしに皇子の再来訪を許していた。


「なぜあの鳥が私だとお分かりになったのですか?」

アリョークはずっと気になっていたことを訊ねた。変身魔法は完璧だったという自負がある。彼女が化けたのは、食べるところもなく、狩って誇れるほどでもない小柄な鳥だったのに、それでもルキウスはわざわざ打ち落とそうとかかってきたのだ。


「お前だと思ってやったわけではない。この前お前が出した鳥と似ていたからな、もしやお前の使役する獣ではないかと思って射かけたのだが」

ルキウスは事も無げにそこまで言うと、言葉を止めて茶を一口含んだ。

アリョークは呆れた。遠く離れた小鳥を見分けることができるなど、ごく普通の視力の持ち主ではまず出来ないことだ。

「本人だとは思わなかった。ま、外れて命拾いしたな、魔法使い」

無責任な一言に、カップを持つ手がぶるぶると震えた。言っていることの物騒さに対して、その口調の軽薄さはなんなのだ。こちらは危うくまっぷたつにされるところだったというのに。


彼女の耳が怒りで赤くなっていることなど気にするはずもなく、横柄な態度で椅子に座った皇子は、避難めいた声を出した。

「おれはまた来ると言っただろう。なぜ応じなかった」

「はぁ……」

あんたに会いたくないからだよ! などとは言えず、アリョークは言い訳を探しながらルキウスのカップに茶を追加した。

「あのとき暗殺者どもにやられた傷が、どうもなかなか治り切りませんで」

嘘ではない。首周りには、まだ絞められたときの薄く痣が残っている。だが、その様がみっともなくはあるものの、客人をもてなすことができないほど酷い傷でもない。当然ルキウスがその答えに納得するはずもなく、彼は太い眉を跳ね上げた。

「元気そうに見えるがな」

「昨日までは死にそうだったのです」

冷や汗をかきながら、アリョークは無茶な嘘を突き通した。

皇族に対して無礼にもほどがある。だが、構うものかと思った。人から離れ、森に篭る魔法使いに、俗世のことなど関係ないのだ。

「確か二週間も前に、その旨を手紙でお返事したはずです。具合の悪い女性のところを訪ねるなど、非常識な人間のすることではありませんか」

アリョークは虚勢を張って強気な語気で返事を吐いた。

家まで入れてはしまったものの、これを最後に皇子を退散させるつもりだ。後は二度と彼に捕まらないように気を付けながら生活すれば良い。今すべきことは、なんとしても彼を追い払うことだ。気合いを入れ、アリョークはきっと皇子を見つめた。

「昨日までお前がどうだったのかなど、興味はない。今こうして迎え出る余裕があるのだからいい」

だが、ルキウスはこともなげに彼女の闘志を一蹴した。

「それに、お前の手紙は破り捨てた」

「は?」

思わずアリョークは顔を上げた。ルキウスは淡々と続ける。

「無駄に長たらしい手紙だったからな。三行目で飽きた」

アリョークはますます顔が引きつるのを感じた。

つまり、本題に入る前、時候の挨拶のあたりで飽きたというのか。嘘をつけ、と彼女は思った。色よくない返事を見て破り捨てたに決まっている。千々に破られてしまった哀れな自分の手紙を思い、アリョークはポットを握る手の力を強めた。

(苦心して書いたものだったのに)

怒りの温度を跳ね上げたアリョークは、それを押さえつけるのに必死になった。

「手紙はもっと簡潔であるべきだ。挨拶だのなんだの、無駄が多すぎる。おれはそう思う」

「……左様でございますか」

「次はもっと手短にしろ」

アリョークは返事をするかわりに、「もっと寄越せ」とばかりに突き出されたルキウスのカップを、わざと無視してポットを脇に置いた。



「それで、本日のご用向きは何でございましょう」

慇懃無礼な態度で、アリョークはいらいらと額にかかる黒髪を払った。用がないのなら帰れとでも言うような素振りだ。

空のカップを不満げに弄っていたルキウスは、彼女の意志に反して、その一言にぱっと笑みを浮かべた。

「そうだ、その話なんだがな」

満面の笑みで彼は語りはじめた。灰青の瞳が青みを増し、楽しいことを思いついた子供のようにきらきらと輝く。その見たこともない無邪気な笑みに、アリョークは逆に不吉なものを感じた。


ルキウスはぐっと前にのめり出る。アリョークはそれにおされるように仰け反る。

彼は明らかに引きつった表情の彼女に構うことなく、その先を続けた。


「魔法使いよ、お前、おれの家来になれ」






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