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虹の麓に  作者: にな
13/20

紫電2

赤毛の男はいつものようにつかつかと靴音も高く部屋の中に入り込むと、アリョークの目の前で偉そうに腕を組んだ。

「なんだ、その間抜け面は」

彼がそう言うと、主人に合いの手を入れるように、肩の上の雄鷲が鳴いた。嬉しげにアリョークの髪と同じ色の翼を広げ、彼女の肩に移る。アリョークはというと、彼女はまさにルキウスの言う通り、口をぽかんと開けた間抜けな顔をしていた。巨大な鷲に力任せにぐりぐりと嘴をこすりつけられ、やっと意識を取り戻す。同時に、椅子を蹴倒す勢いで立ち上がった。

「で、でででっ、ででででで、ででん、でんっ」

「太鼓か、おまえは」

「でっ、殿下、亡くなられたのでは?!」

「引きこもりの癖に耳が早いな」

ルキウスはアリョークの側をすり抜け、すれ違いざまに荷物を投げてよこした。慌てて麻袋を受けとる。そのずっしりとした重みに、アリョーク目を白黒させた。

彼は勝手に向かいの椅子に座り込むと、靴紐をゆるめて長靴を脱ぎ、ぽいぽいと投げ捨てた。

「てっきりおまえは知らんだろうと思っていた。まだ、皇都にも伝わってばかりの頃だろうからな」

「で、殿下……」

アリョークは控えめな声で尋ねた。

「幽霊になられた割には、相変わらずお元気ですね」

「おまえが冗談を言うのは珍しいな。だが、つまらん」

至って本気で言ったことなのだが、とアリョークは心の中で呟いた。

「一体何があったのです」

「また暗殺されかけた。狩りに招かれて行った先でだ」

「ま、また、ですか……」

春先の暗殺騒ぎを思い出し、アリョークは顔を顰めた。ルキウスに敵が多いのは承知しているが、半年に二度も命を狙われるというのは、やはり尋常ではない。この皇子に牙をむく無数の陰謀に、今更ながら戦慄する思いだった。


机にそっと荷物を置くと、卓上に降り立った雄鷲が、彼女の指を甘噛みした。アリョークが生み出した魔性の鳥。しかし、その仕草はまるで雛のようにあどけない。彼女が嘴の周りをこすってやると、鷲は気持ちよさそうに目を細めた。その嘴の先、そしてかぎ爪には、赤黒いものがこびりついている。

(血だ)

どうやら我が子は皇子が死地から脱出するのに一役買って出たらしい。そのためにルキウスに譲り渡したとはいえ、この無邪気な生き物が人間たちのどす黒い争いごとや殺生に関わったのかと思うと、内心複雑な思いだった。


「しばらくここに滞在する。馬はあとでおまえが小屋に繋いでおけ」

「はあ……」

相変わらずの傲岸な物言い。だが、どこか覇気がないことに疑問を抱きながら、アリョークは窓の外に目をやった。家の近くの木には、栗毛の馬がつながれている。

(栗毛?)

アリョークは首を傾げた。ルキウスはいつもここに、お気に入りの黒毛の馬でやって来ていた。本人から聞いた話によると、子馬のうちからルキウス自らの手で育てたらしい。もちろんルキウスの性格上、わざわざ愛馬だと公言したりはしなかったが、その様子からして彼なりに慈しみを注いでいるのは明白だった。黒馬の方も愛情に応え、その賢さと忠義で主人に尽くしていた。気難しい馬で、ルキウス以外の人間には決して気を許さず、他人から与えられた餌や水には絶対に口を付けなかった。ましてや、その背に乗ろうなどと試みたものならば、蹴られて大怪我をするのが落ちだろう。

その黒馬が、主人の危機に居合わせていない。

(変だ)

嫌な予感が自らの中で形を持ちはじめるのを感じながら、アリョークは恐る恐る訊ねた。

「殿下、いつものあの黒馬は、どうしたのですか」

「死んだ」

感情のこもらない返事に、ああ、とアリョークは息を飲んだ。予想通りの答えだったが、それでも堪える。かつて傷ついたルキウスのもとにアリョークを導いた、あの忠義者は死んでしまったのだ。人間たちの、泥沼のような謀略の中に巻き込まれて。

「まず馬に矢が射かけられた。だから、敵の馬を奪ってここまで来た」

「そんな……」

ルキウスは宙を睨み付けたまま、動かない。その背中を見て、アリョークは彼が傷ついていることを悟った。血も涙もないと思っていた、あのルキウスが。


いつになく迫力の薄い彼の後ろ姿に、アリョークはなぜだか急に不安になった。

そっと彼に歩み寄り、二本の指を彼の首に押し当てる。ルキウスは突然の接触に不快そうな顔をしたが、振り払いはしなかった。

「……何をする」

「いえ、ちょっと……あ、脈がある」

「当たり前だ」

アリョークはそっと指を外した。

「ほんとに、生きておいででしたか」

アリョークが呟くように今さらなことを言うと、彼は嫌そうな顔で彼女を見上げ、罵倒しようとした。が、一旦口をつぐんだ。

「なんだ、その顔は。おれが生きているのが、そんなに嬉しいか」

「……そうかもしれません」

「それとも、おれが死に損ねたのが気に入らないのか」

「そうかもしれません」

「どっちだ、この阿呆」

彼の罵声を聞いた途端、アリョークはぽろりと涙をこぼした。その涙を見たルキウスが、盛大に顔をしかめる。

「なぜ泣く」

「わかりません」

涙を袖で拭う。

「多分、ほっとしたのだと思います」

「…………妙な奴」

その答えを聞くと、ルキウスはさらに顔をしかめた。だが、それ以上彼女を罵ることはしせず、無言で腰に留めていた長剣を卓上に乗せた。

この涙がどこから来るものなのか、アリョークにもうまく説明できなかった。ただ、誰にも弱みを見せられないルキウスの姿が、なぜだか哀しくて仕方なかった。彼の中に、少しでも命を慈しむ心があったことが嬉しかった。こんなことを言ったならば、誇り高い彼は烈火の如く怒るだろうが。

産みの親と現在の主人、両方の気を引きたがった雄鷲が、二人の肩を忙しく行き来した。アリョークは気の多い我が子を見て、泣き笑いの表情を作った。それを見ていたルキウスが、何を思ったのか、椅子から立ち上がる。彼女の肩に乗った鷲が、主人を見上げて首を傾げた。彼が自分の元に歩み寄り、指を伸ばしてくるのを、アリョークはぼんやりと見ていた。



「あっ」

突然、アリョークがすっとんきょうな声を上げた。彼女に手を伸ばしかけていたルキウスが、途端に不機嫌な表情になる。

「なんだ、一体」

ルキウスが機嫌の悪い声で訊ねたが、アリョークは口をぱくぱくと動かすばかりで、何も答えない。みるみる内に真っ青になる顔を、ルキウスは呆れるような、しかし半ば感心する思いで見守った。


「や、やばい……大事なこと、忘れてた」

アリョークは小声で一言呟いた。そして、唐突にルキウスの背に周り、ぐいぐいと押し始める。

「出ていってください。早く」

「はあ?」

ルキウスは背中の女を振り返った。

「さっき言ったばかりだろうが、しばらくここにいると」

「駄目、絶対だめ!」

アリョークはいつぞや彼に家来になるように迫られた時と同じ、しかしそれ以上に切羽詰まった声で詰め寄った。

「危険なの、早く出ていって」

「なんだ、その言い様は」

ルキウスはむっとした表情で彼女の腕を掴み、軽くひねり上げた。アリョークの動きが封じられる。

「また暗殺者が来ることを心配しているのか?」

「そうじゃありません」

「安心しろ、奴らがおまえを殺しそうになったら、先におれがおまえを殺してやる」

「全然安心できないんですけど!」

アリョークは必死にもがいて抵抗しながら叫んだ。

「違うんです、危ないのはわたしじゃなくて、殿下、あなたです!」


次の瞬間、ルキウスの背中に冷たいものが走った。咄嗟にアリョークを突き飛ばし、自分もその勢いで反対方向にとびずさる。それと同時に、部屋の奥、廊下の先から、何か黒いものが風のように飛びかかって来た。

「つっ」

ルキウスの太い腕に、一筋の赤い傷が浅く走る。彼の勘は獣のように鋭かったが、アリョークに構っていた分、反応が遅れた。

「なんだ、これは」

ルキウスは自分に傷をつけた敵を、驚きをもって見つめた。

それは、黒い毛の狼だった。ただし、体は普通のそれよりも倍は大きい。鋭い目付き、無駄のない肉体。自然の生き物ではない証に、全身から黒い煙のようなものがおどろおどろしく立ち上っている。

「今度は狼を作ったのか、おまえは」

「いいから外に走って!」

この期に及んで焦りを見せないルキウスに、アリョークが泣きそうな声で叫んだ。そして体当たりするようにして扉を開く。ルキウスは机の上の剣をつかみ取ると、一気に外へと転がり出た。確かに、狭い部屋の中で長剣を振り回すのは分が悪い。

狼はアリョークには見向きもせず、外に出た皇子に素早く飛びかかった。ルキウスは鞘に納めたままの剣で牙を受け、目の前に晒された腹を思い切り蹴った。魔性の獣がぎゃん、と悲鳴を上げた。しかし、すぐに体勢を立て直して立ち上がり、ルキウスに向かって低く構えてみせる。

(靴を履いていれば、肋骨の一本や二本折ってやれたのに)

ルキウスは裸足で直に草を踏みしめながら、舌打ちをした。

「もっとです、もっと家から離れて!」

家の中から、アリョークの差し迫った声が聞こえる。その声の通り、ルキウスはじりじりと後ずさる。獣は前の男を目の中に捕らえたまま、飛びかかる機会をうかがっていた。ルキウスが剣を抜く。獣が後ろ足で大地を蹴る。




がつん、と鈍い音がして、狼が宙で身をよじった。そのまま地に転がり伏す。

いつでも斬れるよう構えていたルキウスは、拍子抜けして眉を顰めた。立ち上がった獣が、ルキウスに飛びつこうとする。そして、また空中で何かに弾かれる。

まるで、見えない硝子の壁が目の前にあって、それが狼の攻撃を阻んでいるかのようだった。ルキウスは難なく通り抜け出来たというのに。何が起こっているのかまったく分からず、ルキウスは首を捻った。


すると、家から飛び出してきたアリョークが、狼の首にかじりつくように抱きしめた。

「やめて、やめなさい!」

しかし狼は鬱陶しそうに首を振ると、彼女を引きずって走り出した。

「う、うわあっ、ちょっと!」

アリョークはしばらく家の周りを引きずり回された後、力尽きて手を離した。土まみれで突っ伏す彼女を、ルキウスが呆れて見下ろした。

「おい、魔法使い」

「は、はい」

アリョークががばりと顔を上げる。

「なんだ、これは。おれにはさっぱり訳が分からん、説明しろ」

「ほ、ほら、夏になるといろんな生き物が盛んに活動するでしょう? 蚊とか」

「ほー、この森には随分とでかい蚊が出るのだな」

狼を見下ろしながら、ルキウスは蔑んだ口調で皮肉った。その間にも、狼は懲りずにルキウスめがけてむなしい突進を繰り返していた。がつん、がつんという音が会話の中に挿入され、大変鬱陶しい。


部屋にひとり置き去りにされた雄鷲が、怒った声で鳴きながら出て来た。彼は勢い良くルキウスに近寄ろうとしたのだが、それは叶わなかった。狼のときと同じように、黒鷲も見えない壁に弾かれる。彼は地面の上で数回羽ばたいたあと、不満そうにアリョークの頭の上に乗った。

「こいつと同じようなものか」

魔法使いの頭に溶け込むように腰を落ち着けた黒い雄鷲を指差しながら、ルキウスが胡散臭そうに言った。狼の方は、アリョークにも鷲にも興味を見せない。

「いいえ、少し違います……ちょっと、どいてよ」


アリョークは頭の上の鷲を手でどけると、土を払いながら立ち上がった。

「わたしは、この森からたくさん魔力をもらっているのですが、夏になると森の持つ生命力と一緒に、魔力が異常に高まりまして」

「で?」

「えー、なんというか、大きくなりすぎてわたしの体の中に収まりきらなくなった魔力が、こうして一人歩きしてしまうのです。毎年、夏になると、必ず。それが他人に害をなすこともありますので、こうして結界を張って魔力が漏れないようにはしているのですが」

アリョークは触れられない、見えもしない壁を辿るように、手のひらで宙をかいてみせた。

彼女や鷲が攻撃されないのは、狼が両者を敵ではないと判断しているからだ。仲間とまではいかずとも、同じ魔力を纏う、同種の者だと。

「その結果がこれか」

「はい……」

皇子に指差された狼が、低い声でルキウスを威嚇した。

アリョークは全く言うことを効かない自らの化身を、げんなりしながら見つめた。夏になると魔力が想像もしなかった形で暴れ回るのは毎年のことだが、こんな獣の姿をとるのは初めてだ。もしや日頃皇子に感じている不満がそのまま形を持ってしまったのではと思い、アリョークは嫌な汗をかいた。

「も、申し訳ありません。本当は前もって手紙でお知らせしようと思っていたのですが、その先に例の誤報が耳に入ってきまして……」

「おれが死んだと思い込み、連絡する機会を失った、と」

「はい」

苛々としはじめたルキウスの声に、アリョークは小柄な体を更に縮めた。

「その年によりますけれども、この状態は大抵二週間から三週間続きます。申し訳ありませんが、別のお宿をとられた方がよろしいかと」

恐る恐る提案するアリョークと、家の前をうろうろと歩きながら自分を威嚇している彼女の化身を見ながら、ルキウスは考え込んだ。


「……おれの靴を持って来い」

「はい、只今」

アリョークが急いで家の中に戻り、彼の長靴を取り戻してくる。ルキウスはそれを履きながら、頭の中を整理し終えた。

「部下に指示を出しておきたい。以前使ったような魔法は出来るか」

一度アリョークが使ってみせた、魔法で作った鳥を飛ばして連絡を取る方法を指して、ルキウスは彼女に訊ねた。

「今の私では不可能です、この通り、魔力が根こそぎ出て行ってしまっているので……ですが、この子なら同じことが出来ます」

そう言うと、アリョークは宙を飛んでいた鷲を捕まえて、手の甲にとまらせた。鷲に何事かを囁き、彼を乗せたまま結界に手を伸ばす。おとなしく彼女の手に乗っていた雄鷲は、すっと結界を通り抜けることが出来た。外のルキウスに手渡された彼は、ルキウスの腕の上で嬉しそうに鳴いた。

「どうぞ。その子にご命令を。以前の鳥と同じく、ご指示の通りの方の元に伝言をお伝えします」

アリョークの言葉に従ってルキウスが命令を出すと、鷲は一声鳴いて、皇都のほうに飛び立っていった。



それを見送ったルキウスは、何を思ったか、ひょいと結界の中に飛び込んで来た。アリョークは仰天して、慌てて狼に飛びつき、彼が皇子を襲うのを阻んだ。

「な、何をなさっているのですか! 危険ですから、中に入らないでください!」

「嫌だ。なぜおれが畜生ごときに場所を譲らねばならない」

彼がこちらに向かって切っ先を向けるのを、狼の首にかじりついたアリョークは絶句しながら見守った。もはや、彼の中に愛馬を失って悲しんでいたらしき影は見えない。そこにはいつもと同じ、残酷で凶暴な皇子の姿があった。

「ちょうどいい、おれも鬱憤が溜まっていたところだ。この傷の礼を、たっぷりとしてやろう」

「ちょ、ちょっと待って……おやめ下さい、こんなところで大事なお命を落としてしまったら、」

「おれが負けるとでも思うのか? よりによって、おまえの分身に」

アリョークの言葉を遮ると、ルキウスは彼女の方へずかずかと近寄って来た。

「来い、潰して肉にしてやる」

ルキウスの短い挑発に、狼は大きく首を振るった。アリョークがたまらず腕を離す。土を爪で削って飛びかかってくる巨体の狼に、ルキウスは獰猛な笑みを浮かべた。


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