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虹の麓に  作者: にな
10/20

黄色い花5


長くなったので二つに分けました。この後すぐ6に繋がります。

アリョークは自分の部屋の中で一人、佇んでいた。

渡された薬の正体はつかめたものの、肝心な問題が残っている。

(ルキウス皇子……)

彼女は深く頭を悩ませた。もし、彼がアリョークの答えを信じなかったとしたら、あるいはまた別のことで彼の怒りを買ってしまい、無理矢理森から連れ出されそうになったら。

今度の皇子の襲撃……もとい訪問は、前回や前々回と異なって、いつやってくるのかが分かっている。それまでに何か、奥の手として対策を講じられないだろうか。

昨日までは薬の解明で頭がいっぱいだったが、こうして分析の必要がなくなってしまうと、このまま皇子の言いなりになっているのは悔しすぎるという思いが強くこみ上げてくる。

何か、あの皇子の暴走を封じるような……それこそ、魔法のような妙計はないだろうか。


アリョークは暫く思い詰めたあと、ついに覚悟を決めて顔を上げた。

机の抽き出しを引く。中に詰まったインクや羽ペン、吸い取り紙などを避けて、彼女の指が冷たいものに触れた。出て来たのは、幅広の小刀。鞘から抜いて日に照らす。穏やかな日の中、刃が場違いな輝きをもってきらめいた。冷たい色の刃を清潔な布で拭う。

アリョークは大きく息を吸い、吐くと、呼吸を抑えながら、刃を自分の手首に押し当てた。





+++++++++++++





約束の十五日後、ルキウスは森の中を蹄の音高く馬で駆けていた。

彼の先を、白い小鳥が案内をするようにすいすいと飛んでいく。アリョークが放った魔法の鳥だ。


約束の期日の三日前に届いた、アリョークの招待状。以前届いた手紙と同じく、いつの間にか枕元にあったそれには、短い文章が記してあった。

「約束の日にお待ちしております」、と。その他には案内図も何もなかった。

(随分と積極的なことだな)

案内状など来なくとも、無理やり森の魔法使いの元に押し掛けようと思っていた彼は、訝しげに封筒を見つめた。

(何か企んでいる、か?)

暗躍する謀略の中で生きる彼は、従順なアリョークの態度に疑問を持った。あれだけ手放しの子供のように激しく抵抗を見せた彼女が、今さら大人しくルキウス相手にに膝をついて見せるだろうか。かといって、例の薬品の分析を終えられたとも思えない。国で一番の腕を競い合う一薬師たちが、躍起になって調査したというのに、結局成分も何も分からなかったのだ。

(まあ、どちらでもいいか)

ひ弱で小賢しい魔法使いが何を企んでいるのか、見極めてみせるのも面白い。ルキウスはにやりと笑うと、上半身を前傾して馬の足を急がせた。



しばらく愛馬を駆り続けたルキウスは、やがて見えて来た森の家の前に、手綱を引いて馬の歩調を緩めさせた。白い小鳥が、役目を終えたと言わんばかりに彼の手にとまり、一声鳴いたかと思うと、くるりと元の一枚の手紙へと戻った。



寂しい森の中に、ぽつねんと置き去りにされたかのような石造りの家。薄暗い木々の間に、白い壁が不思議と溶け込んでいる。

中はなかなか広いのだが、それでも小さく見えるのは、屋根が低いせいだろう。

その屋根に、今日は黒い鳥が十数羽も留まっていた。くく、くく、と低く静かな鳴き声を立てながら、瓦の上を行き来している。いかにも不吉な光景だったが、ルキウスは気にも留めず、一度視線を上げただけで通り過ぎた。馬から飛び降りて小屋に繋ぐ。まっすぐ森の家に向かい、勢い良く扉を開け放った。


「おい、来たぞ」

中で声を上げると、間もなく、ほの暗い廊下からぼうっと青白い顔が現れた。

「ようこそおいで下さいました」

平坦な口調で挨拶すると、森の魔法使いは慇懃に腰を折った。その拍子に、結わえた長い髪が右肩からこぼれる。小さな黒い滝のように揺れ下がる髪を見て、ルキウスは小さな違和感をもった。

「おれを自分の元に呼びつけるのは、父とお前くらいだ」

「恐れ入ります」

あたり障りのないことを話しながら、魔法使いの姿を上から下までじっくりと眺めてみる。

以前会ったときと比べて、顔色が悪いような気がした。彼がぶつけた難題に頭を悩ませているうちに、睡眠を取り損ねたのかもしれない。

(相変わらず、粗末な姿をしている)

彼女は前に会ったときと同じ、地味な綿の長衣に身を包んでいた。

(もし下賜するならば、もう少しましな格好をさせねばな)

彼が薄情にもそんなことを考えたとき、ふと彼女の手首が目に入った。片方の手首に、しっかりと包帯が巻かれている。

「どうした、怪我でもしたか」

「ええ、少し」

アリョークは曖昧に答え、それ以上詳しくは言わなかった。

元々他人の痛みに疎いルキウスは、それだけで傷への興味を失った。それ以上突っ込んだことは訊かないまま、彼の関心はすぐさま別に移った。


「こうして呼び立てたからには、あの毒を解いてみせたのだろうな。それとも、いよいよ森を出て見知らぬ男の元に侍ることにしたか?」

「いいえ、殿下」

だが、彼女はそっと首を振ってみせた。

「賭けは私の勝ちです」

「なに?」

「どうぞ、こちらに。お見せしたいものがございます」

アリョークは静かな声でそう言うと、廊下を率先して歩きはじめた。気味が悪いほど落ち着いた様子だ。先日泣きながら暴れてみせた女と、同一人物には見えない。彼女の変貌を不審に思ったが、ルキウスは肩をすくめると、すぐに外套を翻して後をついていった。

初めに感じた違和感の正体は、とうとう掴み損ねたままだった。



案内について食堂の中に入ると、アリョークが「どうぞ」と言って椅子をすすめて来た。大人しく椅子に腰を落ちつけると、まず机の上に載った二つの瓶が目に入る。片方は空。もう片方は、中身が満たされたままだ。

その隣に、見慣れない瓶が置いてある。こちらもルキウスが与えたものと同じように、気化を防ぐ特殊な布でしっかりと口が覆われていた。ただし、中身は液体ではない。近寄ってよく見ると、なにやら白い粉が入っていた。

「なんだ、これは」

ルキウスは無造作にその瓶を手に取った。

「触れないようにお気を付けください。それは殿下にいただいた瓶の中身の水分を飛ばしたものです」

「これが?」

ルキウスは怪訝な声を上げて、中の物質に見入った。よくよく見ると、一部に粗い塩のような結晶がある。色は完全な白ではなく、うっすらと黄味を帯びていた。


「で、結局なんだ、これは」

「エリニヤという植物から採れる汁を乾燥させたものです」

アリョークは一旦言葉を切ると、皇子の手からすっと瓶を取り上げようと手を伸ばして来た。乱暴な手つきではなかったが、器の縁を握った手が強固な意志を持っていることを感じ、ルキウスは逆らわずに手を離した。

「この状態でも害があるのか」

「いいえ。ですが、手についてうっかり粘膜に触れてしまうと厄介ですから」

アリョークは取り上げた器をそっと机に戻すと、それを押して遠くにやった。

「殿下、エリニヤについて、何かご存知のことはございますか」

「知らん。聞いたこともない」

「そうですか……、そうでしょうね」

目を伏せた彼女を、置いてけぼりにされたルキウスは不満げに睨んだ。

アリョークは低い声で呪文を唱え始めると、ぱん、と手を一つ叩いた。彼女が合わさった手のひらを広げた途端、手品のようにするすると一本の花が生えてきた。

蛇のように首を伸ばす細い茎。薄い葉は鋸の刃のようにぎざぎざと縁を尖らせて生い茂る。茎の先に小さな蕾がついたかと思うと、みるみるうちにその身を膨ませて、あっという間に見たこともない花を咲かせた。上品に黄色く色づいた花弁は日に透けそうなほど薄く、幾重にも幾重にも連なって、美しい渦を作り出している。その様は、上質の絹を丁寧に寄せて作った装飾品のように優美だった。

「これが、エリニヤか?」

「はい」

アリョークは土をすくうように窪ませて花を根付かせた手を、すっとルキウスに差し出した。目の前で揺れる花は、どこか人工的なものを感じさせる美しさを持っている。温室の薔薇のように手をかけて育てられているのがよく分かる、豪華で疵のない花。ルキウスは物珍しさに指を伸ばしたが、その手は花を通り抜けて空を掻いた。

「なんだ」

驚いたルキウスは声を上げた。

「これは幻術か、お前の」

「その通りでございます」

静かに頷いて、アリョークは眉を寄せた。魔法が作り出した幻の花は、彼女の手の中で儚く揺れた。


「麻薬の原料になるのです、このエリニヤは」

アリョークはぐっと拳を握りしめた。まるで、花を握りつぶすかのように。それと同時に、彼女の手のひらから、黄色い花の幻が消え去った。

「花が落ちたあと、残った種子が青いうちに採集します。それを傷つけると、白い汁が滲んでくる。あとは汁を渇かせば、それだけで依存性の強い麻薬の完成です。値段の相場は分かりませんが、かなりの高値で捌けるとか。

効果としては、まずはご存知の通り、体内に廻って麻痺させます。それから」

一旦言葉を切ると、アリョークはじっとルキウスを見据えた。

「殿下、倒れていらした時に、なにか妙なものを見ませんでしたか」

「なにか、とは」

「わけの分からないものとか、あり得ないものとか……夢か幻かとしか思えないようなものを」

「ああ、そういえば」

思い出したルキウスは頷いた。

「おれの傍に屈んだお前が、死んだはずの奴らに見えて仕方なかったな」

「私が?」

「あれはなかなか珍妙な体験だったぞ。目の前の女の顔かたちが、次々に変わるんだ」

ルキウスはその時の記憶を掘り返しながら、獰猛な笑みを浮かべた。

「ずっと前に殺したあの女の顔になったときは、逆にぞくぞくしたぞ。今度はどうやって殺してやろうかと」

「……あの女?」

「皇后のことだ」

昨日の天気でも語るような気軽さで、皇子はとんでもない話を続けた。

「あの糞ばばあは、何度殺しても飽き足らん。体が動いていたら、あの時お前を殺していただろうな」

「で、ですが」

色のない顔を更に青ざめさせ、アリョークが絶句しそうになりながら訊ねて来た。

「ですが、皇后猊下は、寺院への参拝の道行きに、山賊に襲われて亡くなられたと……」

「表向きはそうなっているな」

ルキウスは剣の柄を手のひらで弄びながら答えた。

「信心深い我が義母上は、愛して止まない神に命乞いをしながら死んでいったよ。あれだけ教会に寄付をしたというのに、神はあの女を顧みもしなかった」

「ど、どうして……」

「あの女がおれを殺そうとしていたからだ。おれの道を妨げる者には死を与える。皇后だろうが国王だろうが、邪魔者はまとめて殺してやる」

「そんな……親子で殺し合うだなんて……」

呆然とするアリョークを、ルキウスは鼻で笑った。

「義理の母を殺した程度で、胸を痛めるような男に見えるか? 兄二人を殺した、このおれが」

目眩がしそうな気分になりながら、アリョークは口を手で覆った。

「そうして殺して殺して、殿下はどこに行かれるのです。何を目指しておられるのですか」

「さあな」

ルキウスはしらけた表情で頬杖をついた。アリョークは何か言いたげに口を開いたが、結局何も言わないまま、唇を一文字に引き締めた。


「話を、元に戻します」

皇子に背を向けて、アリョークは戸棚に手を掛けた。

「エリニヤには、強い幻覚作用と多幸感……気分が激しく昂揚する作用がございます。常習性も強く、一度癖になるとやめられない」

「別に構わんだろう、本人が使いたいのなら、わざわざ止めなくとも」

「いけません」

棚をいじっていたアリョークは、一度振り返ってルキウスに向き直った。

「あの粉は、体に酷く障るのです。筋肉を壊し、骨や歯を溶かします。末期には頭も壊れて、恐ろしい幻覚を見ながら死んで行く。精神も身体も殺す、恐ろしい薬なのです」

「……ああ、そう」

今にも噛み付いてきそうなアリョークの剣幕に飲まれて、ルキウスはいささか冴えない返事をした。彼女はきゅっと皇子を睨みつけると、また後ろを向いて棚を探りはじめた。

「あれは普通、水タバコなどに混ぜて使うものなのです。熱を加えて気化させ、それを吸います……ですが常温でも、空気に少し溶け出すのです。エリニヤの粉は高価ですから、もちろん中毒者は富裕層に多かった。その一方で、最下層の人間にも中毒者がいたのです」

中からいくつもの紙の山を取り出し、それを机に載せてはを繰り返しながら、アリョークはムキになって続けた。

「エリニヤの農園で働かされていた農奴です。彼らは狂って死んでいきます。痩せさばらえた体なのにも関わらず、凄い力で暴れる。幻と戦いながら、最後はそんな奴隷を持て余した役人たちに殺される」

「詳しいな」

「こちらに資料も山ほどございます」


その言葉通り、アリョークはどさりと紙の束を出して見せた。うず高く積まれたそれを前にしてルキウスは絶句した。一枚目を取り上げて見る。ややインクの薄れた字が、書面の上に細かに書かれている。

「この山、全てがそうか」

更に一枚目、二枚とめくりながら、ルキウスは呆れたような声を出した。

「私の師が、この薬に関する研究をしていたのです」

アリョークは山の中から一枚を取り出すと、丁寧な字面の文章を、そっと撫でた。

「必要ならば複写いたします。師は常々言っておりました。知識を独占することは、自らの知識も狭めることになると」

「いや、待て」

うっとりと語るアリョークを、ルキウスは苛々しながら制した。

「お前が言っていることを信じるとすると、宮廷の薬師どもは、とんでもない無能揃いということになるぞ。お前の師が、たった一人でこれだけ調べ尽くしたものを、どうして奴らは一切知らんのだ」

「その方たちを責めても仕方ありませんよ」

アリョークはやっと気を落ち着け、自分と交代するように憤慨しはじめたルキウスを宥めるように言った。

「エリニヤは、表向きは存在しないことになっていますから」

アリョークは自分が持っていた一枚を、ルキウスに手渡した。仕方なく受取ったルキウスは、ざっとそれに目を通す。



……かの国のエリニヤの大農園は、対外的には麦畑と偽られていた。背が高いという点以外は似ても似つかないエリニヤを麦と呼ぶことに、はたしてどれだけの隠蔽効果があったのか、甚だ疑問である。しかし、それでも農園で働く人間、特に奴隷たちは、自分たちが育てる植物を麦と呼ぶことを厳しく強いられていた。

国庫の財源となっているエリニヤの粉の情報は徹底して管理されており、その秘密を守るため、農園は、一つの閉じられた生活共同体として存在していた。内部の環境は劣悪。奴隷の多く、少なくとも大人になった者は、個人差はあれど皆中毒症状に悩まされている。

その環境に耐えかね、脱走を試みる者もいるが、全て捕らえられ、見せしめとして八つ裂きにされる。周囲には壁と監視の網が隙間なく張り巡らされ、中の者が逃げ出すことも、外の者が無断で入り込むことも叶わない。……



そこまで読んで、ルキウスは顔を上げた。

「つまり、この国が独占しているために、クトルリアではエリニヤの存在が知られていないということだな」

紙の上に書かれた国をとんとんと指先で叩く。そこに記述されているのは、クトルリアから遥か東、山を越えたところにある国の名前だ。

「ええ。市場も近隣諸国に限られていたはずですが、どうやら拡大を図ったようですね。国境を越え山を越えたクトルリアにまで渡ってくるとは」

その口調に隠しきれない嫌悪の念が潜んでいることを、ルキウスは敏感に感じ取った。興味が湧き出るままに、彼女の顔を覗き込む。

「お前、何ぞエリニヤに恨みでもあるのか」

「……いえ、別に、お話しするようなことは」

何か隠したがっている様子の煮え切らない返事に、逆に好奇心を駆られる。このまま口をつぐまれては面白くないと思ったルキウスは、ふと頭に浮かんだ思いつきに、口の端を釣り上げた。



6に続きます

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