プロローグ
私は三十路にして病となった。
脳に良性の腫瘍ができたので、半年ほど入院し手術。
リハビリの為、自宅から通院している。
仕事は休職という形でクビにはなっていない。一応資格を二つほどもっており回復具合も考慮してくれたらしい。人手不足もあったのかも。
脳と言ったが、手術は下垂体の近くの物で、口腔から鼻孔にかけてメスを入れた為、傷跡も外見上はもう見えない。飲まなければならない薬とは縁が切れず不自由もあるが、略略感謝するべき状態である。
失ったものは多々あるが、復職もできそうであるし、生きてはいる。まぁ、そんなこんなで、私は病を得て生き残った。人は、というか私は今更であるが、死にかけてから少し行き暮れている。
そんなある日の事だ。
私は目眩がするので、薬を飲んでいる。手術は成功だが、除去した部分は、そういったコントロール部分に影響があるため、そうした不快な症状が常にある。
そこで抑える薬と無くなった物を補う薬をかかさず飲まねばならない。
そして、切らす事が無いように病院へ通う。
その日は、MRAという血管の検査をした。首から頭部の血管の状態を撮影するものだ。まぁ、MRI検査と同じ機械だ。
ヘッドフォンをして轟音の中、頭部を動かさないで撮影する苦行が終わり、脳神経外科の診察を受けて。程ほどに順調というお墨付きをもらう。
血液検査もクリアして、ホッとしたのが午後の2時だった。
朝の八時半から、その時間まで水分だけ。いや、薬だけだったので空腹でフラフラだった。
バスの時間までは時間はあるし、急ぐわけでもない。病院の中にあるコンビニへ寄ることにした。
時間帯のせいか、パン類もご飯類も無い。
仕方がないので、ジュースを手にしようとして思いとどまる。水分は十分にとっていた。これ以上は帰りのバスがヤバい。
チョコとポテトチップスというメタボチョイスになった。
バスが来るまで食事スペースで菓子を貪る三十路女。色々拗らせてんなぁ。と、内心笑うが、見た目はガリガリの短髪でメタボとは程遠い。菓子を食べながら、ため息がでる。
景色が悪い、早くバスが来ないかな。
その座ってる位置からは、ガンマナイフの施設が見える。悪性だったらどうしよっかって思ってた頃とは天と地だ。でも、気が塞ぐ。私の親は癌で死んだ。だから、自分の時も同じだと戦々恐々としていた。
良性とわかるまでの身辺整理は、自分でも狂気じみていたと思う。そして、すべてが終わった今、気が抜けて反動で鬱々としていた。何故か罪悪感のようなものがあるのだ。
医者曰く、これも手術のせいであるそうな。
ポテトチップスという塩と油を完食すると、バスの時間になった。ゴミを始末して停留所にたつ。他にも数人高齢の人達が並んでいた。
運転は止められている。仕事に復帰する頃には運転できるといいなぁ、と、ぼんやり考えていた。
そして、ゆるキャラの塗装がされた青いマイクロバスが来た。
私の前に二人、私の後ろに三人。
マイクロバスに乗り込むと出入り口付近の椅子に座る。酔わないようにするためだ。バスには後ろの方に二人座っていた。
乗客は合わせて8人である。
このバスは市内を循環する。私の住む古い家は、循環経路の最後から二つ目の停留所である。だいたい時間にして一時間ちょっと。
ダウンロードした音楽を聴きながら、もしくは読み上げアプリで話を聴きながら帰るのだ。
目を回さないように、トイレに行きたくならないようにという子供のような覚悟である。
それでも、薬のお陰で楽にはなった。
そんな風にバスに揺られながら考えていた。
やはり午後の中途半端な時間帯のせいか、病院から乗る者以外は乗り込んでは来なかった。
病院から程近い住宅街で一人おり、次に繁華街の手前で一人。
次が新興住宅地で三人、そこから総合商業施設で二人降りた。
天気は良かった。
暑くもなく寒くもなく。
いつも通っている歯医者を通りすぎ坂道を降りると自宅に一番近い停留所だ。そこから人家の少ない田んぼ道を抜けて、バスは駅に向かうのだ。
停車ボタンを押してからの、イヤホンをそのままに下車する。
私はバスの後ろを見送りながら歩き出した。
腹が減ったな。と、ぼんやりしながら。
見送るバスの後部座席に、学生が二人見えた。
信号で右折して駅方向に見送りながら、私は何が冷蔵庫にあったかと考えていた。
家に着いて食事をしてから電話をかけた。
病院に予約の繰り上げをお願いした。次の日に、予約外の診療時間に診てもらう事になった。
***
医者がどう考えたのか、結論は、お薬を増やしましょう、だった。
検査は全身に及んだが、視覚にも異常は無く脳のダメージらしき兆候も無い。もちろん、手術や薬による幻覚や誤認が無いとは言い切れないし心因性の場合も疑われる。
当然、今は検出できないが病気の場合もだ。
脳機能障害、幻視、錯視、自律神経障害。
私に幾通りかの選択肢がある。
そして、医者の言葉から、治ると言いきれる治療方法は無いと理解した。神経の病気で外科的な治療で完治する類いではない。後は生活を維持できるような投薬、カウンセリングやリハビリとなるわけだ。
そして、私が現状を理解し生活を維持できる一番の選択肢を選ぶべきだと言う。
考えずに受け入れられるようになるべきだ。と、まぁ、担当の医者は言った。
幸いにも、今のところ脳の萎縮や病変は発見できていないのだから。
幸いなのである、らしい。
私は素直に薬をもらった。
私は仕事がしたいし、肉体的に不都合がなければよい。
私は、医者からすれば典型的な心の病によくある怒りに支配された。恐れと不安に反応してだろう。それと同時に罪悪感が小さくなった事にも気付いた。
生きにくくなるはずの事柄に救われているのか、と、あきれたが。そうして方針としては、怒りながらも医者の言う通り、考えない事にした。
日々の生活では、目立った誤認をしなかったのもある。
悪化してから考えよう。問題の先送りしか手段がない。定期検査を受けつつ、ジリジリと毎日過ごすのは辛いのもある。
心の掃除をし、問題点を片隅に押し込めると、繁雑な日常に戻る。
復職の為の準備に、会社に連絡を入れると、通常業務はまだまだハード過ぎるから、社内の研修に参加してみないか?との意を伝えられた。
これがリストラの前段階、ではなく社内資格研修は半年毎に必ずうけるものだ。私は二回飛ばしているので、今回は逃げられない。座学が嫌いなのはもちろんだが、本社のビルの敷居が高い。そして、出される弁当が不味い。
福利厚生がバッチリとうたう会社の借り上げたマンションに泊まり、賄いまでついちゃう。だがこれも不味い。経費の削減するなら、賄い無しでいいのに。そして、タダじゃない‥。
文句が言えるだけありがたいのだが、人間は贅沢な生き物なのだ。
お泊まりセットに研修用の文房具を揃えると、ノートパソコンを開く。目眩は最近治まっている。デジタル機器を利用する時間を限定しているが、やっと日常が戻ってきた気がする。
会社から送ってきたデータやらをプリントアウト。まとめてファイルして鞄に入れる。電卓は何処だ?
それから薬は小分けにして、いつも身に付けておく分と宿泊日数プラスαで用意。念のためお薬手帳に保険証を免許証共々貴重品をまとめる。
忘れそうになる化粧品類を詰めながら、菓子を買い込むべきかと悩んだ。その程度の悩みで十分だ。これ以上は、心を痛め付けないで欲しい。
私は、独り暮らしとなった実家で、ため息をつく。
入院前に家財を整理してしまい、家族の写真や生活に必要な物しか残っていない。平屋の小さな家だが、キッチンと浴室トイレを除いた四部屋は、押し入れも空っぽで売りに出されているような感じだ。
小さな庭は雑草が生えているが、物置の中身も無い。
実は家そのものも処分するつもりだった。
でも今になって、賃貸では先行きが不安になった。
これから先があるのだ。
家族が死んで、病気になって、もう後始末ばかりに気をはってきたが。考え方を変えねばならない。
前向きにはなれないが、不幸自慢も嫌だ。
せっかく片付けたのだから、手を入れて自分でリフォームも楽しいかも。車を使えればだが。
これも次回の検査と診察で要相談。心でチェックを入れると、私は再びため息をつく。
溜め息はストレスを軽減する。幸せは逃げないから、ため息はつくべきなのである。