151 ダンジョンを廃棄する理由
トランペッタの警邏事務所で、ダンジョンのアップデートの時を待つ。
真夜中の0時だから、タマモちゃんはホールの端にあるベンチで毛布に包まっている。
私は、温くなったマグカップのコーヒーを飲みながら、トランペッタ周辺のダンジョン内の様子を捉えた画像を、警邏さん達と一緒に見守っている。
「確率は低いんですよね?」
「フォウ・ナインだそうだ。万が一ってことなんだろうね」
若い警邏さんの問いに、ダンさんが呟くように声を出す。
アップデート3分前になると、私語すら聞こえてこない。全員が分担を請け負ったダンジョンの映像を食い入るように見ていた。
「10秒前……、6……、3、2,1、今!」
カウントダウンが終わった。
アップデートの時間は5ミリセカンドらしいから、私達には認識すらできない内に終了したことになる。
とはいえ、電脳間の通信時間ということになると、無視できないほどの長時間となるようだ。
また、変な連中がやってきたのだろうか?
「中央から連絡です。『他国のコンタクトを確認!』以上です」
「やはりやってきたってことだな。しばらく監視を継続してくれ。レムリア世界には100個近いダンジョンがあるんだ。もし侵入者がいたなら、そのまま閉鎖すれば事足りる」
ダンジョンを放棄するってことかな?
閉鎖空間ならではの荒業だ。廃棄したダンジョンの元の仕様を元に、近くに新たなダンジョンを作れば全体としての数は維持できる。
「さすがに初心者用のダンジョンには侵入してこないみたいね」
「やはり、30階層を越えるクラス4以上が狙い目なんだろうな。監視網に引っ掛からない内に、逃げ切れると思ってるんだろう。モモちゃん、済まないけどもう少し待機してくれないかな?」
「良いですよ。朝までお付き合いします」
私の答えに、アンヌさんが笑みを浮かべて頷いてくれた。
オヤツ目当てなのが分かっちゃったかな?
「どうだ? 他の警邏事務所で動きがあったか?」
「今のところは、どの警邏事務所も沈黙状態です。本部に問い合わせが殺到しているようで、連絡がつきません」
「本部でも分からなにんだろうな。何かあればメールが来るはずだ。他の警邏事務所も異常が無いことを気味悪がってるんじゃないのかな?」
「とりあえずは、現所維持ね。監視は継続よ!」
ホールで仮想スクリーンを眺めている警邏さん達に、アンヌさんが指示をしている。
とはいえ、変化はどんな形で起こるんだろう?
前みたいに、異形の姿をしたエイリアンであるなら、見付けることも容易なんだけど。
アップデートから1時間が過ぎたところで、全員が小休止を取る。
ロールケーキと薄めのコーヒーはよく合うと思うな。
頭が疲れた時には甘い物! やはり出てきたね。
「今のところは、全くの異常なし。とはいえ電脳への接触は、端なる嫌がらせとは思えないわ」
「記録は残ってるはずだから、どの電脳にアクセスがあったかがは直ぐに分かるはずなんだが……。未だにメールは来てないか!」
「1つ来てます。でも今来たばかりですよ。内容は『79番ダンジョンを廃棄する!』だけですね」
ダンさんが急いで該当するダンジョンの位置を探し始めた。
一覧表があるみたいだな。私が見ても良いんだろうか?
「ここか……。ラグランジュ王国の北東部にあるクラス3のダンジョンだ」
「廃棄するにも理由があるでしょうに……」
「知られたくないということなんだろうな。自分達の弱点を知らせる恐れが出てくる」
あの王国は、財団が作っていると言ってたからね。かなり自衛隊にも食い込んでいるみたいだから、部個の開発で財を成したのだろうか?
キュブレム辺りが実用化されたら、戦争が変わってしまいかねない。
「ラグランジュ王国だけなんでしょうか?」
「現在確認されているのはそれだけよ。元々がヨーロッパの小さな王国と伝手があったみたいだから、そこから侵入されたのかもしれないわね」
インターネットのような全世界の通信網ではなく、個別の通信回線を介して侵入されたということなんだろうか?
企業の通信回線、ましてや武器開発を行うような企業なら、セキュリティはかなり高いと思うんだけどねぇ……。
「本部から再び届きました。『72番、73番を廃棄する』以上です」
ホールの中が騒めきだした。
番号が近いから、たぶんラグランジュ近郊に違いない。
地図上に示された位置は、ラグランジュ王国の西にある群島だった。
「ここか……。この辺りは辺境もいいところだなぁ。魔族の王国へのルートの1つにはなるんだが、あえてこんな辺鄙なルートを攻略するプレイヤーはいるんだろうか?」
「それを言ってはいけないと言われてるでしょう。魔族の王国に向かうルートを作ることはあの財団へ貸した要求だったみたいなの。
誰もやってこないとしても、向こうとしては、要求に答えたということなんでしょうね」
それはどうかな?
あえていばらの道を進みたいという猛者というか、マゾみたいな連中だっているはずだ。
自衛隊の一部の人達と色々やってるみたいだから、あまり歓迎はされないに違いない。
「ラグランジュ王国は、3つのダンジョンを削除したのか……」
「本部の会議はもめるでしょうね。あの財団の発言力も弱まるんじゃないかしら?」
「撤退はしないだろうけどねぇ。だが、本当にラグランジュだけなんだろうか?」
ダンさんが、ダンジョン内の状況監視をしている人達に視線を移した。
どんな些細な事象も見落とさないように、大きく目を見開いて仮想スクリーンを眺めている担当者は沈黙したままだ。
「せめて、どんな理由でダンジョンを廃棄したのかが分かればねぇ……」
アンヌさんの小さな呟きに、私達は 頷くだけだった。
「運営サイドにコメントが多数届いているようです。『ダンジョン閉鎖をいつまで続けるのか』との問い合わせですね」
「リアルタイムなら1時間も過ぎてないはずだぞ! 全く、急かせると碌なことがないんだが」
「……運営本部の公式コメントがこれね。『ダンジョン管理用電脳の冷却水漏れ』ですって。ハード的な対応になりそうだから、リアル世界で数時間は持たせられると考えたみたい」
「レムリア世界では2日間か……」
ダンさんが頭を抱えている。
管轄するダンジョンに侵入の痕跡を探すのはかなりの労力になるんだろう。ダンジョン管理を行っている電脳自体もハッキングの有無が調べられて入るんだろうけど、プログラム自体が電脳自ら作り上げたものらしい。
人間には理解できかねるとの話だから、プログラムを構成する文字をアップデートの前後で変化しているか否かを確認するだけらしい。
電脳自体の自己診断結果では異常なしとの報告があるそうだ。
だけど、魔獣もダンジョン内での進化を容認したらしいから、キメラだって発生しうるとの判断が出ないとも限らない。
やはり最後は人の判断ということになるんだろうね。どれだけ文化が進んでも、人のことは人が対処しなければならないようだ。
「もう1時間経過したところで、約割る分担を見直そう。2日間この状態では部下が持たないぞ」
「2交替制で良いでしょう? モモちゃんは、しばらく横になっていても良いわよ」
「タマモちゃんが起きてからにします。やはり何も無いことが気になりますから」
何もないというよりも、何も変化を捉えられないということになるんだろうか?
確実に何かが起こったはずだ。
だが、それがラグランジュ王国の管轄するダンジョンだけだと断言するにはまだ早いような気がするんだよね。
長時間ダンジョン内の映像を見ている警邏さん達にも疲労が見え始めている。アクビが出たり、椅子を倒すようにして背伸びをして眠気を押さえているのが見えてきた。
アップデートから数時間が過ぎて、ホール内の警邏さん達の数も半減している。
昼前には交替できると言ってたけど、それまで持つのか気になるところだ。
朝日が昇るころ、タマモちゃんが目を覚ました。
アンヌさんが奥に連れて行ったのは、顔を洗わせるためかな?
しばらくして、さっぱりとした表情でタマモちゃんが私の隣に座ったから、たぶんそうなんだろう。
「何かあったの?」
「ララアさんの王国でダンジョンを3つ廃棄したみたいなの。その理由が分からなくて、警邏さん達はあの通りなのよ」
ちらりと仮想スクリーンを眺めている警邏さん達をタマモちゃんが眺めて首をかしげている。
タマモちゃん的には、大の大人がただスクリーンを眺めている姿は理解しがたいものだったようだ。
「全く変わらないと思うんだけどねぇ。明日の真夜中まではダンジョンに入れないみたいだから、ああやってダンジョン内の様子を見てるんだけど」
「変化が無ければそれでいい。でも、次のダンジョンに向かうのは明後日になるの?」
「そうね。そうなると、問題の核心であるラグランジュに行ってみようか!」
「ララアお姉ちゃんに、また会えるんだね。連絡しとくね!」
バングルを操作し始めたタマモちゃんを見て、私とアンヌさんが笑みを浮かべる。
アンヌさん達にとっても、私達がもたらす情報が欲しいところなんだろう。
「あれ! ララアお姉ちゃんからだ!」
タマモちゃんの独り言に、アンヌさんと顔を見合わせてしまった。
どんな内容なんだろう?
タマモちゃんに頼んで、仮想スクリーンを拡大してもらう。
そのメール文を、タマモちゃんの後ろから、アンヌさんと一緒に覗き込むようにして読み進める。
『タマモちゃんへ
こっちは大変なの。モモさんと一緒に来てくれると嬉しいな。
ダンジョンのアップデートの隙を突いてウイルスの侵入があったらしく、ダンジョン3つが廃棄されたわ。
短時間だからプレイヤーの侵入は無かったようだけど、遅効性ウイルス自体はかなり厄介な代物みたい。
種類は「進化の促進」かな。ダンジョン内の準ボスキャラはプレイヤーの動きを学ぶことができるのよ。だんだんと難度が上がるということになるんでしょうけど、これを逆利用することで凶悪な魔獣が出来てしまいそうなの。
兄様が、すでにカウンターを放ったようだけど、それで次が来ないとは本人も思っていないはずよ。
詳しい話は、来たときにナナイが説明すると言ってたわ。
By ララア』
「そういうはなしか!」
「そういうことね。……皆! 聞いて頂戴。
ラグランジュからの情報よ。相手は遅効性のウイルスらしいわ。攻撃を受けて進化するダンジョン内の魔獣の特性を逆利用する形だから、直ぐに変化は見えないと思うの。進化を容認する魔獣の行動を確認して頂戴!」
「私達は直ぐにラグランジュに向かおうと思います」
「そうね。私達も情報が欲しいわ。あの王国の閉鎖体質は本当に困ってしまう。
でも、その前に一眠りして出掛けなさい」
24時間戦えるんだけどなぁ。でも、ここはアンヌさんの御好意をありがたく受けておこう。
ナナイさんの話を聞いている途中で眠ってしまうのも問題だもの。