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私は白と黒の悪魔に取り憑かれた。
それは、モノクロなのに鮮やかで、無口なのにお喋りで。私と喋る時は下手くそなのに、あの子と喋る時は綺麗な日本語を喋るんだ。
私の人生の半分以上、それと共に生きている。
「知沙は次のコンクール何の曲にするの?」
「エチュードはショパンで、自由曲はドビュッシーかな、ラヴェルでもいいけど。フランスもの流行ってるからさ。流行りに乗ってみようと思って。」
「こないだもラヴェル弾いてたもんね。私はベートーヴェンにしようと思うんだけど何番か迷ってる。」
普段の会話。カタカナが多い会話。コンクールの会話。
「そういえばさ、知沙知ってる?これ最近流行りのタレントなんだけど…」
友達の朝香がそう言ってスマホの画面を見せてくれた。そこに映っていたのは、顔が整っている男の人。
「え、あ、し、知らない。ごめん。」
「そうだよね、ごめん。」
また会話が終わってしまった。
さっきまでの饒舌はどこかへ行ってしまった。
世間知らず、だと思う。
テレビは観ないし、スマホも、メッセージを送ることと動画で演奏を観るだけ。年齢は20歳なのに、私の常識はまだ5歳にもなってないかもしれない。
「朝香ちゃんは何でも知ってるね。」
同じ音大生なのに。同じぐらいピアノと生きてきた人間なのに。と言えない言葉を飲み込んだ。
私よりピアノ始めたのは遅いくせに、私より練習してないくせに、私よりテレビもスマホも詳しいくせに、私よりなんで白と黒のそれと、楽しそうに会話するの?私よりなんで、認められているの?
つくづく嫌な女だなと思う。
全部、なくなってしまえばいいのにと思う。
「髪、切ろっかな。」
朝香ちゃんと別れた私は、なんとなく。なんとなく髪を切った。腰ぐらいあった黒いものは、肩ぐらいになった。
「お客さん、泣いてたよ。ほら、拭いて。」
髪は軽くなったのに、私の気持ちは重いままだ。