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ウサギ

「モノクロームばかりね、貴方の写真って」


「光を映すのに、色は邪魔だから」


「それに風景ばかり。噴水、広場、中世の砦に墓地…… どうして人物を撮らないの?」


「興味ないんだ」



 彼女の部屋は、一等寝台車の個室だった。


 出入りする扉は、専用の鍵で施錠が可能。室内には専用の洗面台に加えて、驚いたことにトイレとシャワーまで備え付けられている。


 オレのチケットの数倍の料金を支払っているのだろうけれど、そのことを尋ねても「お金のことは知らない」と唇を歪めながら一蹴された。



 室内には、オレのバックパックとは似ても似つかない瀟洒な作りの革製スーツケース。


 旅慣れた様子だけれど、貧乏旅行でないことは明らかだった。オレの視線に気付いた彼女が、自嘲気味に鼻を鳴らす。



「初めての一人旅なの、イギリスから。でも、結局は家の者が全部お膳立てしちゃって。私はそれを辿るだけ」



「家の者」というのは、どういった人物を指すのだろう。具体的にはよくわからなかったが執事とか、そういう意味だろうか。


 気の利いた言葉が浮かばないオレは、さっき彼女に渡した林檎に手を伸ばす。



 彼女を怖がらせない様に個室の反対側へ腰を降ろしてから、折り畳みナイフを取り出した。


 果実の上部に刃を当てて、等間隔に皮を削り取っていく。スルスルと紐状に延びていく、赤い林檎の皮。


 彼女に視線を向けると、物珍しそうにじっとオレの手許を窺っている。



 少し萎びた果実をくし形に切って差し出すと、嬉しそうに頬張った。余程、腹が減っていたのだろう。


 興が乗ってきたので、二つ目の林檎は皮を剥く前にくし型に切って、子供の弁当に入っているみたいなウサギの形に仕上げた。


 彼女は口を真ん丸に開いたまま、いまにも吹き出しそうな表情。


 掌に一つ、そっと乗せてあげる。



「こんなに可愛いと、食べられないわ」


「ただの林檎だよ」


「いえ、無理よ。でも、食べたいの」


「ウサギが好きなの?」


「そう。あんなに愛らしい生き物って、他にないと思わない? なのに、私の家族は……」



 視線で続きを促すが、彼女は黙り込んでしまった。


 イギリスの上層階級には狩りを嗜む長い歴史があって、クマ、シカ、オオカミ、キツネの他にウサギも狩猟の対象とされてきたと聞いた記憶がある。



 彼女の無言に込められた意味に思いを巡らせていると、不意に強い眼差しが向けられた。



「ねぇ、私を撮って」


「……無理だよ」


「どうして? やる前から無理だなんて、決めないで」


「そうじゃない。ここは暗すぎるんだ。オレのカメラは旧式のレンジファインダーだし、室内撮影に適したポートレイトレンズも持って来ていない」



 しばらくにらみ合いが続いたが、彼女から先にふと視線を逸らすと「シャワー浴びるから」と低い声で告げられた。


 つまり、出て行けという意味だろう。


 扉に手を掛けたところで、外側からノックの音が響く。控え目ながらもしっかりと耳に届く、独特のリズムで三回。



 扉の向こうには、車掌が立っていた。


 ポルトガル国境を越えて、パスポート検査が終わったのだろう。


 英国民であることを表す臙脂色の彼女のパスポート。菊の紋章が印字されたオレのパスポートもついでに受け取っておく。


 車掌はチラリとオレに視線を向けたが、何も言わずに去っていった。



 パスポートのページをめくって真新しいビザのスタンプを確認していると、背後でカーテンを引く音がして、すぐに水音が聞こえ始める。


「マジかよ」と思わず日本語で呟きながら、慌てて部屋を出た。

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