第十三話 敵中突破④
実際のところ、武蔵の策はブライスの性格や思考などは考慮されていない。
それはそうである。
なにせこの策が用意されたのは、武蔵がラピュセルと共に奇襲部隊と出陣する前で、出陣直前にルーミンへと託したものだからだ。
もちろん、一騎討ちに持ち込めなかった場合の次善策も考えられてはいたが、その場合はより厳しい戦いとなったはずだ。
つまり、ここまでーー大将同士の一騎討ちまでーー持ち込めたのは、将兵たちの働きはもちろんだが、運によるところも大きかった。
「おおおおお!」
「はああああ!」
だが一騎討ちとなれば、それはもう通じない。
バゼランの右薙ぎはブライスが半歩後退することで紙一重で回避され、そこから繰り出される大きな踏み込みからの突きを、バゼランは斧槍の柄で受け、弾き返す。
お返しとばかりに今度はバゼランが踏み込んで両手持ちの上段から一撃を振り下ろすが、横にかわされ地面を砕くのみ。
すぐさま横薙ぎの剣撃が襲いくるが、左手は柄を押し、右手は逆に柄を引くことで斧槍を素早く盾とし、その一撃を受け止めた。
そのまま鍔迫り合い、互いに至近距離から睨み合う。
「やるじゃねえか」
「貴公もな」
二人同時に後ろへ跳んだ。
間合いを取り、互いの得物を構え直す。
「やはり剣を交えるのはいい。特に貴公のような騎士との闘いは心が奮い立つ」
「そいつは同感だ。お前さんのような強い奴との闘いなら尚更な」
互いを称賛し、不敵に笑い合う。
二人の実力は互角だった。
一騎討ちが始まってしばらく経つが、まだ互いに傷一つ負っていない。
「貴公らの負けられない理由はよくわかる。だが、私にも……いや、我らにも勝たねばならない理由があってな」
言いながら、ブライスは身をわずか低くした。
「悪いが、勝ちを譲ることはできんぞ」
「はっ、上等。そも、譲られた勝利になんぞ意味はない 」
バゼランも腰をわずか落とし、その場で迎撃の構えを見せる。
「無粋なことは捨てて置け。そんでーーできるもんなら、遠慮なく叩き伏せてみろや!」
「ではーーそうさせていただく!」
ブライスが駆ける。
バゼランとの間合いはみるみる縮まっていき。
「はぁっ!」
「ぅらあっ!」
互いの渾身の一撃が交錯した。
□□□□□
(……どうするべきかしら)
二人の一騎討ちを見守りながら、レイサは逡巡していた。
どうするべきか、というのはもちろん、敵に不意討ちを仕掛けるかどうか、である。
夫ブライスとの闘いに意識が集中しているバゼランも、同じくそれを見守っている敵の姫ラピュセルも、恐らく今なら容易く討ち取れる。
卑怯であることは承知しているし、ブライスがそういった手段を最も嫌うこともよくわかっている。
だが、それでも。どのような手段を選んででも、ブライスを勝たせなければならない。大きな重荷を背負った彼の助けとなるために。
レイサが自身に課した使命は、ただその一点。
たとえそれでブライスから離縁を突きつけられたとしても。
(ごめんなさい、ブライス)
この場の誰もが、二人の激しい斬り合いを固唾を飲んで見守っている。
やるなら、まだブライスに余力がある今しかない。
内心で高潔な夫に謝罪しながら、レイサはゆっくりと側の兵の陰に隠れ、小声で詠唱を開始した。
狙うのは、バゼラン。
ラピュセルを狙う方が確実ではあるが、そちらは周りを兵士がびっしりと固めている。運が悪ければ、仕留めきれない可能性も僅かだがあった。
ならば、より確実に仕留められる方を狙う。
(あなたの望み、私が叶えてみせる……!)
詠唱を終え、後は魔法解放のタイミングを図る。
狙うべきは、ブライスとバゼランが離れた瞬間。
相変わらず一進一退を繰り返す二人の闘いを見つめるレイサの額を、一筋の汗が流れ落ち。
「「はああああっ!」」
一際大きな剣戟音。
直後、二人の距離が大きく離れた。
ーー今しかない!
「【雷竜吐息】!」
魔法を解放する。
バゼランの頭上に巨大な魔法陣が出現し、激しく明滅。次の瞬間、命を焼き付くす幾条もの雷が降り注ぐ。
バゼランが気がついた頃には、雷はその身を焦がし尽くしーー
「【魔断障壁】!」
ーーはしなかった。
バゼランを覆う対魔法用の防御壁が、すんでのところで全ての雷を弾き返したのだ。
「なっ!?」
ありえない。
敵からは完全な死角、かつ完璧なタイミングでの不意打ちだったはずだ。
驚愕に目を見開いて視線を巡らし、レイサは防御魔法の使い手を捜す。
「……あの娘は……!」
見つけた。
一騎討ちを見守る敵側の最前列に、空色の髪をした少女を。
どうやら向こうも気がついたようで、まっすぐこちらを睨んでいる。
報告によれば、確か王女ラピュセルの護衛の一人で……魔導士であると。
歯を食い縛ってその娘を睨み返しーー
「レイサ」
「っ!」
ブライスの静かな、しかし怒気を孕んだ声に名を呼ばれ、レイサの体は強張った。
□□□□□
敵将ブライスと、不意打ちで魔法を放った女性の魔導士、ラピュセルによれば確かレイサというブライスの妻が何やら揉めだしたことで、必然的に一騎討ちが中断された。
「……ほぅ……」
ひとまず、自分の務めは果たせたらしいと知り、マーチルは深く息を吐き出した。
マーチルの役目。
それは、目論み通りバゼランがブライスとの一騎討ちに持ち込めた場合に、敵の横槍に備えること。
敵にはわざわざバゼランとの一騎討ちを受ける必要などない。にも関わらず受けたのなら、それは大将個人の思考や嗜好に依るところが大きいはず。
ならば、それを不満に思う者や、不満まではいかずとも思うところがある者は少なからずいるはずである。
そしてそういった者が、ラピュセルやバゼランを不意打ちで攻撃する可能性はゼロではない。二人のうち一人だけでも討てれば、それで大勢は決するのだから。
故に、武蔵は託していた。卓越した魔法の才を持つマーチルならば、きっと二人を護れるはずだと。
「よくやったな」
大役を果たしたマーチルの頭に、大きく無骨な手が乗せられた。
バゼランである。
「おかげで命拾いしたぞ。さすがにあれを喰らったらやばかった」
「いえ。ご無事で何よりでした」
「おう。あの様子じゃあ、さすがに次は無いだろ。ひとまずは肩の力を抜いておけ」
バゼランの視線を追いかける。
そこでは、ブライスとレイサが何かを話していた。
背を向けているためブライスの顔は見えないが、俯いてうなだれているレイサの様子を見るに、恐らくは怒っているのだろう。
「あとは俺の仕事だ。最低限の警戒は維持してもらうが、まあ楽にしろ」
「はいーーって、手甲着けてるんですからそんな乱暴に撫でないでください痛いです!」
ワシワシと乱暴に頭を撫でられ、痛みのあまり思わず大声で抗議する。
ガハハ、とバゼランは豪快に笑うと手を離して、再び元の位置へと戻っていった。
「まったく……」
「お疲れ」
苦笑しつつその背中を見送っていると、隣に並んでそう労いの言葉をかけたのはウィルである。
「うまくいったな」
「ええ。どうなるかと思ったけどね」
幼なじみ故の気軽さに自然と相好を崩してから、最近彼とあまり会話をしていなかったことに気づく。
「あとは、将軍にお任せするしかないけど……」
「大丈夫だよ。将軍なんだから」
「ふふ。なにそれ」
根拠なく断言するウィルに、思わず小さな笑いを漏らす。
「でも、そうよね。将軍だもの」
そうだ。ここまできたら、あとは彼を信じるしかない。
確かにブライスは強い。
質は違えど、バゼランに引けをとらない武を誇っている。
けれどあの大きな背中を見ていると、不思議と、彼なら大丈夫だと信じられる。
「始まるぞ」
ウィルが示した方を見れば、話を終えたらしいブライスも戻り、再びバゼランと対峙していた。
□□□□□
「お説教は終わったのかい?」
「ああ。先の非礼、詫びをさせていただきたい」
そう言うと、ブライスは頭を下げた。
これまでの言動からわかってはいたが、やはり誠実な騎士である。
「気にすんな。ここは戦場だ。何があっても不思議じゃない」
「そうか……大した度量だな」
事前に備えていたこともあり、肝こそ冷やしたものの事実としてさほど気にしていないバゼランからすれば、その評価はピンと来なかった。
むしろ、敵であれ一本筋を通すこの男の方こそ、大した器であるとすら思う。
(しかしまあ、世界は広いってことか……おもしれえ)
武蔵といい、このブライスといい。
自分より一回りも二回りも若い奴らが、自分と互角に闘ってくれる。
アルティア一の豪傑などと呼ばれているが、それが如何に狭い世界での話であるかを、バゼランは今更ながら思い知った。
だからこそ、年甲斐もなく心が弾んだ。
これからまだまだ、まだ見ぬ強者と武を競えるのかと想像するだけで。
将軍としては不謹慎であると承知しているが、武人としては本心が疼いてしまったのだから仕方がない。
「これ以上待たせるのも申し訳ない。始めよう」
「おう、そうだな」
だがそれも、ここで敗れたら終いである。
バゼランは気を引き締めると、愛用の斧槍を構えた。
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ぞわり、と。
ルーミンの背筋を悪寒が通り抜けていく。
「ラピュセルさま……」
「? どうかしたの?」
堪らず話しかけると、バゼランとブライスの一騎討ちを見つめていたラピュセルが、心配そうにこちらを見た。
不安が声音で伝わったらしい。
「どこかに、悪い人がいる……かも」
「どこかわかる?」
物心ついた時から、ルーミンは悪しき者が近くにいると、それを敏感に感じ取れた。
それはラピュセルも承知しているため、怪訝な顔などすることなく尋ねてくれる。
「わかりません……でも」
「……マーチルとウィルに、警戒するよう伝えて。ルーミンが怯えていることも」
「はっ!」
ラピュセルが兵に命じるのを聞き、自分の不安が表情に出ていたことを知る。
「ありがとう。教えてくれて」
「…………」
ラピュセルの優しい笑顔にも、ルーミンは頷くことでしか返すことができなかった。
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鋼と鋼のぶつかり合う音、飛び散る火花。
互いの一撃は全て必殺。一度でも直撃すればそれで終わる。
だが、その一撃が入らない。互いに幾度か極浅く、かすり傷を受けているだけだ。
もうどれだけの時を闘っているのかわからなくなってきていた。
わかっているのは、そろそろ決着を着けたいという欲求と焦り。恐らく相手のバゼランも同じだろう。
「……長くなってきたな。そろそろ決着したいところだが」
「奇遇だな。俺も同じことを考えてたぜ」
やはりそうだったようで、揃って苦笑する。
一騎討ちは長くなり過ぎると、当人たちのみならず周りの兵士たちまで疲弊する。
そうなると、当然その後の戦闘に支障が出てしまうため、早めの決着が本来は望ましい。
だが今回の一騎討ちは、互いの実力が見事なまでに伯仲していたために、異例なまでに長く闘ってしまっている。
「どうだ? 互いに次の一撃を持って決着とし、その勝敗をもってこの戦も決着とするというのは」
「構わん。むしろ願ったりだ……あくまでこの戦は、だがな」
兵力の少ないアルティア軍にとってはそうだろう。
バゼランからすれば、自分が敗けても次があれば、最悪あと一度は王女ラピュセルに託すことができる。
「そんじゃあ早速ーー」
「その前に、一ついいだろうか」
大上段に斧槍を構えかけたバゼランを制する。
怪訝な顔をするバゼランに、ブライスはやや逡巡しながら口を開く。
「もし貴公が勝ったら、私の部下たちを……いや、やめておこう」
「あん?」
頭を振り、言いかけた言葉を呑み込んだ。
腑に落ちないといった様子のバゼランに、ブライスは再度詫びる。
「すまぬ。些事だ、忘れてくれ」
「そうかい。ま、いいけどよ。そんじゃあ」
「ああ」
今度こそ、互いに構える。
ブライスは剣を地面と水平に突きの構えを。
バゼランは斧槍を高く掲げ、頭上でゆっくりと旋回させる。その速度を徐々に、徐々に加速させ、やがて風圧すら発する程の速度に達した。
□□□□□
睨み合ったまま、しばしの時が流れた。
周りの兵士たちは敵味方共に静まり返り、響くのは時折吹く風と、バゼランが回す斧槍の旋回音のみ。
(さて、いつ来るやら)
バゼランの持つ技の中で最強の威力を持つこれは、迎撃として使用することで真価を発揮する。
両腕を高く上げてしまうため、移動しながら振るうには向かないためだ。
無論できない訳ではない。事実武蔵との仕合いではバゼランも動いたのだから。
ただ、今は絶対に敗ける訳にはいかない局面である。より技の強みを活かさなければならない。
自然、勝負のタイミングは相手に譲る形になる。
(だが、いつ来ようと関係ない)
斧槍のような長柄武器の利点はリーチだけではない。刃のみならず、石突きも攻撃に使えることだ。
斧槍を旋回させるという技の特性上、どうしても刃で攻撃できないことがある。
だがこの利点により、例え相手の攻めとのタイミングが合わず、刃側で斬撃ができずとも、石突きで打撃を加えることが可能なのである。
故に、ただ泰然と待ち構えるのみ。
「どうした、怖くなっちまったか?」
「まさか」
バゼランの軽口に、ブライスも不敵な笑みで返してくる。
そして、それがきっかけとなった。
「行くぞーーバゼラン・ランバード!」
「来い、ブライス・マクミアン!」
互いの名を叫び、ブライスがいよいよ大地を力強く蹴りだしてーー
「だめっ!!」
バゼランの耳に、突如ルーミンの焦りの叫びが飛び込んだ。
同時に。
予想だにしなかった光景もまた、視界に映し出される。
「ーーっ!?」
思わず斧槍の旋回を止めてしまう程の状況が、目の前にあった。
ブライスの腹部を、背後から槍が貫いていたのだ。
「……な……ん……!?」
「ブライス!?」
大人しく見守っていたレイサの悲鳴に近い叫び。
ブライスを背後から貫いたのは、あろうことかガレイル兵の一人。
[愚か者めが]
その兵士の口から発せられた声は、驚く程低くしわがれたもの。
[お主が先程、何を敵に頼もうとしておったか。わしがわからぬとでも思うたか?]
ブライスの口から、鮮血が吐き出される。
誰もが事態を理解できず、その場を動くことができないーーただ一人を除いて。
「この……老いぼれええええ!!」
憤怒の形相でローブの下からショートソードを抜いたレイサが走りだし、その兵士の首を横から斬り裂く。
裂かれた首筋から血飛沫が舞い、兵士は槍を手放して倒れ伏した。
[その意思の片鱗を見せた時点で、お主はもう裏切り者よ]
だが、その声は止まらない。
誰もがその声の主を探して視線を走らせていた。
[幸い、明日には本国から本隊が到着するでの。お主はもう用済みだ]
その声の主は、また別のガレイル兵だった。
がっくりと両腕を垂らし、虚ろな目付きで、口だけがはっきりと言葉を紡いでいる。
[まあお主もお主の部隊も奴隷の集まり故、元々捨て石だったでな。こうなることは折り込み済みよ]
倒れたブライスを抱き抱えながら、レイサが険しい目付きでその兵士をーーいや、その兵士の向こう側にいる誰かを睨んでいる。
[さて、アルティア王国の残党どもに告げておく]
その兵士の顔が、ブライスからバゼランと、そしていつの間にかバゼランの隣に並んでいたラピュセルへと向けられた。
あまりの出来事に、彼女も事態の確認のために前に出てきていたのだ。
[十日後、二度に渡り主らへの総攻撃を開始する。一度目は先発隊、そして二度目は本隊による攻撃である。数は先発隊が三万。そして本隊は七万だ]
兵士たちがどよめいた。
当然だろう。合わせて十万の軍勢が、十日後には押し寄せてくると布告されたのだ。
バゼランは思わず舌打ちした。
声の主は、明日本隊が到着すると言っていた。
つまりアルティア王国は、敵にとって先発隊に過ぎない、言わば様子見の前哨戦の段階で敗けていたのである。
この上、更に膨大に膨れ上がった敵が攻めてくると告げられたら、並の兵士では動揺するなという方が無理な話だろう。
隣のラピュセルの様子をうかがえば、顔に動揺こそ出ていないが、手綱を持つ手はきつく握られている。
[チャンスをやろう。一度目の攻撃ではあえて手を抜く。適当に戦ったら兵を退かせるゆえ、その時に考えるがいい。降伏か、滅亡かをな]
そう告げると、兵士の口は閉ざされた。
しばらくして、その兵士は夢から覚めたかのように目をしばたたかせ、自身にその場の注目が注がれていることに気がつくと訳がわからないといった様子でおろおろと慌て出す。
「さって……どうしたもんですかねえ」
「…………」
つとめて軽く言いながら、、馬上のラピュセルの顔を見上げる。
返事はなく、その唇は固く閉ざされたままだった。




