04
「重たいですから降ろしてくださいったら!」
「どういたしまして、これでも軍人の端くれです。貴女お一人を抱える事など造作もありません。それに貴女は羽のように軽くて、手を離すと飛んでいってしまいそうで」
「もういいです、わかりましたから少し黙って下さい」
本当に迎えに出てきてくださってた王様と王妃様のやや後ろから、それはそれは嬉しそうにあたしを横抱きにした王子様がお城の中をすたすた進んでいく。
中肉中背のあたしが羽とか何の冗談だ!見てる人がみんな笑ってるじゃないかああああ!
ていうかめっちゃ人だかりが見えるんですけど、もしかしてこの王宮中の人が集まってきてませんか!?
「新居へ花嫁を抱えて入るのは花婿の特権ですからね」
「新居って、ずっと住んでるとこでしょうが!恥ずかしいんで降ろしてください、ほらみんな見てるじゃないですか!」
「貴女にとっては新居でしょう?私の美しい花嫁を皆にも見せてやりたいのです。もう少しだけ我慢していただけませんか、愛しいイーニド?ああ、私がこの日をどれほど待ち望んでいたか…どうしたら貴女にこの喜びを伝えられるのでしょう」
ふっつーに名前呼んでくれればいいのになぜ余計なものが毎回前につく!
もう何回聞いたろうこの単語。飽きもせずとよく言うなあ王子様。
「エセルバート様、その…ご自分で仰ってて恥ずかしくありません?」
「ご気分を害してしまったのなら申し訳ありません。私の乏しい語彙では貴女への愛をこれ以上の言葉でうまく言い表す事ができないのですよ。その薔薇の顔に湛えられた朝露のような麗しい瞳で見つめられると私の心の内は募る愛しさで溢れ、貴女を讃える言葉を考える余裕すらなくなってしまうのです。ああ、こんな事なら剣ばかり取らずもっと書を読んでおくべきでした。不調法な私をどうか許して下さいませんか私の愛しい人」
「いやその語彙がどうのとかじゃなくてですね」
しれっと十倍返しするのやめてくんないかな…なんかもういろんな意味で諦めよう、うん。
「…許すんで少し黙って下さい。あと危ないんでちゃんと前見て下さいね」
「私の事を心配して下さるのですか?ああ、貴女という方はなんと優しくて残酷なのでしょう。私の心はもうこれ以上ないほど貴女に奪われているというのに更」
「はいストップ、わかりましたからどうかお静かに」
もうダメだ、これ以上聞いてたら脳が耳から流れて出てしまう。
耳まで真っ赤になった状態でそっと指を王子様の唇にあてて言葉を封じると、驚いた次の瞬間蕩けるような笑顔を向けられてしまった。返り討ちである。
「初めて貴女から私に触れて下さいましたね愛しいイーニ…」
「あーっ、エセルバート様あそこは何ですか?工事中に見えましたけど何か建築されてるんでしょうか」
真正面から立ち向かうだけ無駄だと悟ったあたしは話題をそらす事にした。
おあつらえ向きに回廊から工事中の建物が見えたので必死でそっちに話を振る。
「あれは建築中ではなく使っていなかった離宮を改装している途中なのですよ。父上と母上が私たちの新居にするんだと張り切ってしまって」
「はい?」
あれって昨日や今日に始まった工事じゃないように見えるんですけども…。
「修道院から戻ってすぐに着工させたので間取りなどの改装はだいたい終わっているのですが、内装は貴女のお好みを聞いてからと思いまだ手をつけていないのです」
マジでか!王様と王妃様フライングすぎだろう、あたしがオーケーしなかったらどうするつもりだったんだ!
しかも離宮いっこまるっと改築って、たかが庶民を迎えるのにどんだけ金かけてくださりやがりますか恐ろしい…。
「子供ができれば手狭になりますのでこちらへ移る事になるでしょうが、それまでは二人であの離宮で暮らしましょう。私たち専用の厨房も作る予定なので、壁紙や家具の他にオヴンや流し台などの見本帳も持ってこさせています。あとで二人で相談して貴女がお好きなものに決めましょうね」
えーと、どう見積もってもうちの店十件分はある広さに見えるんだけど子供ができたら手狭になるとか意味がわからないんですけど。
でもそれよりなにより厨房ってナニ!結婚しても自分で料理して構わないって事なの?
「あの…専用の厨房っていったい…」
「勝手な事をして申し訳ありません。貴女のお手を煩わせるつもりはないのですが、母上が貴女には絶対厨房が必要だと仰ってきかないものですから。母上ご自身が城内の厨房を使わざるを得ず、城の調理人達に随分と気を遣っておられましたからそのせいなのかもしれませんね」
確かに、人様の城である厨房で好き勝手するのは気を遣う。
とかってコートニーんちの厨房で好き勝手やってたあたしが言うのもなんだけども。
「調理人達の仕事をすべて取ってしまう訳にはいきませんけれど、お望みであれば貴女のお好きな時に使っていただいて構いません。たまに私や母上にも使わせて頂けるとありがたいですが、やはり厨房といえば女主人の城でしょうから…」
「いえっ全然かまいません!(王妃様でしたら)そりゃもう毎日来ていただいても!」
「お優しい貴女の事です、そう仰って下さると思っていました。母上もきっとお喜びになるでしょう」
という事は王妃様と並んで料理できるチャンスもあるって事!?
ヤバい、さっさと追い返されよう計画がまた揺らいできた。
先日はゆっくり見るヒマもなかったけど真っ白なエプロンをつけた王妃様のお可愛らしさといったらとんでもない破壊力だった。
王子様の事で気もそぞろじゃなかったら確実に鼻血が出ていただろう。
あんな王妃様を横目にキャッキャウフフしながら一緒に料理できるなんて…そんな幸せがあたしの人生に降ってくるとは思ってもみなかった。
幸せすぎてぽーっとしてると、いつの間にかどこかの部屋に連れ込まれていた。
王子様とあんまり変わらないように見える男の人と、王様と同じくらいの年代のナイスミドルと美熟女が立っている。眼福だ。
しかしこれはきっと王子様にもの申す方々に違いない。
ようやく降ろしてもらえたあたしはとりあえず先手を打ってご挨拶をする事にした。
とどまるにせよ帰るにせよ、挨拶は大事だ。
たとえ王子様の腕の中からのご面会で第一印象最悪の可能性大だったとしても。
「待たせたなお前達。不肖の息子がようやく花嫁を連れて帰ってきたぞ。紹介しようイーニド、左から宰相のドミニク、侍従長のエドワード、女官長のマチルダだ」
王様が楽しそうな口調でお三方にご紹介下さった。
一番お年若な方がまさかの宰相様とは…。
驚きを押し隠して精一杯丁寧にご挨拶をする。
「初めまして、イーニド=ブレナンと申します」
にっこりと笑って返事を返してくださろうとした侍従長様と女官長様お二人を押しのけて宰相様がいきなり口を開いた。
『ようこそイーニド様、お会いできて光栄です。道中何かご不便はおありではございませんでしたか?』
宰相様の言葉は海を渡った向こうの大陸にある国の言葉だった。
あたしが黒髪だからその国の人間だと思われたんだろうか?
『お気遣いありがとうございます。殿下のおかげで何不自由なく過ごせました』
難しい言葉はわかんないけどこのくらいの会話ならなんとかなる。
いろんな国の人がお客様としてやってくる港町じゃ、多少の外国語会話ができなきゃ商売してらんないもんね。
不思議に思いながらも失礼のないようにお返事をすると、宰相様は少し考える風を見せてからまた言った。
『それはよかったです。長旅でさぞやお疲れになったでしょう』
返ってきた言葉はやはり大陸にある違う国の言葉だった。
さっきのも今のも大陸にある主な国のものだったから理解はできるけど、たぶん試されてるんだろうなあ。
そう思うとなんだかムカついてさっさと片づける事にした。
『ありがとうございます。仰る通り疲れてますので簡潔に申し上げますけど、あたしが話せる外国語は大陸の三大言語の基本会話のみで政治とかの難しい会話はさっぱりわかりません。過度な期待はしないでください。ではお言葉に甘えて下がらせて頂きます』
表面上はにこやかに、内心はむすっとしながら手っ取り早く三つ目の国の言葉でそう返事をすると、王妃様の感心したような声が緊張感をぶち壊してくださった。
「まあイーニドはずいぶんとたくさんの言葉を話せるのね」
「客商売ですから」
にっこりとそう答えるとそれまで黙っていた侍従長様が苦笑しながら言った。
「初対面でこれだけ失礼をぶちかましたドミニク相手にちっとも物怖じしないとは大したものだ。無愛想で怖かったろうに」
「客商売ですから。お客様にはいろんな方がいらっしゃいますし、この程度でしたら慣れっこです。別段失礼とも思いませんし、気にしてもいませんのでどうぞお気遣いなく」
「だそうだ。お前の評価はどうだ、ドミニク?」
愉快そうに話しかける王様に向かってにこりともせず宰相様は言った。
「そうですね、日常会話レベルとはいえ三大言語の基礎ができているのはこちらも想定外でした。多少短気なところは気になりますが、不意に予想外の言語で話しかけられても動揺せず臨機応変に即答できています。短気を抑える事を教えればさほど外交にも苦労はしないでしょう」
「だそうだ。よかったなイーニド、ドミニクの最高の賛辞をもらったぞ」
「…恐れ入ります」
あれのどこが最高の賛辞なんだかさっぱりわからない。
短気短気ってうるさいな、疲れてるとこにあんたがいらん事しかけてくるからイラッとしたんでしょーが!
内心のイラつきを押し隠して微笑みながらひたすら退出のタイミングを待つ。
とっとと出て行きたいが今夜どこに泊まればいいのかすらわからないんで勝手に出て行くわけにもいかずにじれじれしてたら女官長様がナイスタイミングで助け船を出してくださった。
「まあまあ皆様、そのくらいで。イーニド様もお疲れのご様子ですし、そろそろお体を休めて頂きましょう。イーニド様、改めまして、女官長を仰せつかっておりますマチルダと申します。わたくしがお部屋までご案内させて頂きます、どうぞこちらへ」
その言葉にほっと安心のため息をつく。
これでやっとあのお姫様抱っこから解放されるんだ。
「ありがとうございます、よろしくお願いします」
喜んで部屋から出ようとする腕をむんずと捕食者に捕まれた。
「私もお部屋までお送りしましょう」
眩いばかりの王子様スマイルに思わず後ずさってしまった。
うわあなんかめっちゃ喜んでるんですけどこの人。
今のケンカのどこに喜ぶ要素があった?
「わざわざ別にせずともエセルの部屋で十分だろう」
ちょっと、なに堂々と婚前交渉推奨とか言っちゃってんのこの王様!
「いやあのその、結婚前の男女に相応しい貞潔を持ってですね」
「そうですわ陛下。まだこれから婚約の公示と奉納が残っておりますでしょう?」
「ああ、そうだったな。全く面倒くさい、奉納が終わるまで同衾できぬ決まりなど余の代で廃しておけばよかったか」
残しておいてくれてありがとうこれからもどうぞよろしくとあたしは王様に心の底から感謝しつつ、王子様に手を引っ張られ…もといエスコートされて部屋を出た。
王子様は上機嫌で微笑みながらいろいろとあたしに話しかけてくださってるけれど緊張の糸が途切れたあたしは適当な相づちを打つ事しかできなかった。
つ、疲れた…。早くベッドに潜って寝たい。一人で。
「あのドミニクを一度で頷かせるとは…やはり貴女は私の見込んだ通りの素晴らしい女性です。貴女を伴侶に得られる私はなんという幸せ者なのでしょう」
「あのってどういう意味で…ドミニク様っていったいどんな方なんですか?」
「彼は前宰相の息子で私と同い年なのですが、この国を思うあまり全ての事に大変厳しい男なのですよ。私が貴女を伴侶にしたいと告げた時も、皆が賛成する中彼一人だけが貴女を見るまでは判断できないと言い張ってきかなかったのです。人を見る目は実に確かで気に入らない人間には視線さえくれないあの男が自ら貴女に話しかけた上に諾と言うなど、目の前で見た私ですら容易に信じられないくらいです」
「そ、そうなんですか」
そんな怖い人がオッケー出しちゃったのか、そうかー。
って、さっき王子様、あの人だけが賛成してなかったって言ったよね?
ていう事はもはや結婚に反対する人は誰もいないって事?
「そうです。これで晴れて我々は夫婦となる事ができるのです。ああ、愛しい貴女がウェディングドレス姿で私に微笑みながら歩み寄ってこられる日が来るなんて夢のようです!今から待ち遠しくてなりません」
あれ…あたしもしかして自分で結婚反対フラグへし折っちゃった…?
やらかした事に気づいてくらりと立ちくらみがしたあたしを心配した王子様が再びお姫様抱っこに走ったのは言うまでもなかった。
ご存じの方はご存じのあのマチルダさんに出世していただきました。