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こちらでははじめまして。
姫初め2015参加のためムーンに投稿していましたがR要素0なので移転しました。
よろしくお願いします。
『ポットパイはじめました』
お世辞にも食欲をそそられるとは思えない男らしく野太い文字で書かれた張り紙が、麗しく微笑む美男美女の肖像画の横で盛大に自己主張をしている。
「ちょっとお父ちゃん!こんなもんをお二人の横に張らないでよ、台無しじゃない!」
「そこが一番目立つんだしいいじゃねえか」
「よくないわよ!まったくもう、ドアにでも張っとけばいいじゃないの!」
お母ちゃん秘伝のレシピで作るぷりっぷりのエビ入りクリームシチューを深皿に入れパイ生地で覆って焼き上げるポットパイは、海辺のこの街にある小さな食堂『海月亭』――つまりあたしの実家――の冬の名物料理。
街の人はもとより近くにある修道院を訪れる巡礼者の方や修道僧の方々もポットパイを目当てにわざわざお越しになられるほど(この辺りでは)知れ渡ってるのが密かな自慢なのだ。
それなりに有名なんだからお知らせの紙なんてドアの外に張れば済んでしまうのに、なんでこの親父はわざわざ国王夫妻の肖像画の横に張ろうとするかな。
「まったく、これだから男は。ほんっとに無粋なんだから」
ぶつくさと文句を言いつつ張り紙を剥がしながら、ついついまた肖像画に見とれてしまう。
物心ついたときからお店にあったこの肖像画はお二人のご成婚記念に売り出されたもので、婚約指輪代わりに買ってくれとお母ちゃんに強請られたお父ちゃんが奮発して買い込んだらしい。そのおかげで国王夫妻のお姿を見ようとするお客さんでしばらくは毎日満員御礼だったとお父ちゃんがほくほくしながら話してくれた事がある。
ほぼ等身大ではないかと思えるほど大きい額縁の中には美しい銀色の髪の王様と艶やかな黒髪を腰まで垂らしたこれまた美しい王妃様が描かれている。
いつ見てもなんて美しい王妃様なんだろう。でもこの肖像画だとやっぱりお髪がちょっと寂しすぎるわよねえ。ああ、あたしがお金持ちだったらお金に糸目をつけず真珠を連ねた飾り紐で黒髪を飾って差し上げるのに。豊かな髪に編み込めばきっと海の女王様のようにお美しいだろうなあ…。
「お前生まれたときからそれ見てるだろうに何回見とれたら気が済むんだよ。ヨダレ垂れてっぞみっともねえ」
はっ、いけないつい妄想しすぎてた。
「いいじゃないの、美しいものはいくら見たって見飽きないのよ!王妃様はあたしの憧れの女性なんだもの」
お父ちゃんに見られないようこっそり袖口でヨダレを拭きながら剥がした張り紙を持って戸口に向かう。
表に張り付けるために外に出ようとした瞬間、物凄い勢いで扉が開いてあたしの顔面を直撃した。
「こんにちはおじさん、イーニドはどこ!?ねえあたしめっちゃ急いでるんだけど!」
「…ああ、いるよ。扉を閉めてみりゃいいんじゃねえかな」
顔面に押しつけられてた木の扉がようやくどいたと思ったら今まで見たこともないほどめかしこんだ親友のコートニーが立っていた。
「ちょっとイーニド、なんてとこに突っ立ってんのよ!っていうかあんた支度もしてないじゃないの何してんの!」
「何言ってんのかわかんないけど、とりあえずあんたのせいでおでこと鼻が痛いのは確かだわ」
あたしはおそらく真っ赤になってるであろう鼻の頭をさすりながらそう呻いた。
「なんでそんな赤い顔してんのよ。そんな顔で王子様と会う気?」
「八割がたあんたのせいなんだけど、もしかして頭打ったのはあたしじゃなくてあんたの方なんじゃないかって気がしてきたわ。つーか何事?なんでそんなにめかしこんでんの?今日はお店はお休みだったっけ?」
コートニーの家は街でも1、2を争うお菓子の有名店だ。
今日は定休日でもお祭りでもなかったはずだけど。
「おじさんから聞いてないの?これから王子様にお会いしに行くんだってば!」
「あ、そうなんだ。いってらっしゃい」
「だーかーら!あんたも行くのよ!ほんとにおじさんから何も聞いてないの?」
「えっなんであたしまで?うん全然聞いてない」
説明を求めようとお父ちゃんがいるはずのカウンターを見ると…いない。逃げたな。
「だーっ、もう!いい?今さ、修道院に国王陛下ご一家がいらっしゃってるの!それで院長様と夕餐を取られるんだけど、その夕餐に地元の料理を希望なすったんですって!それであんたんちのポットパイとうちのお菓子が選ばれたのよ!あんたとあたしはこれからポットパイとお菓子を修道院にお持ちするの、わかった?」
「あー今やっと理解できたわ。でもそれと王子様に会うのとなんの関係があんのよ」
今までも修道院に特別なお客様がいらっしゃる時に同じようなご依頼は頂いたことがあるのでそれ自体は特に驚かない。
でもする事と言えば持って行ったシチューを修道院のゴージャスな器に盛り付けてパイ皮をかぶせて焼くだけ。厨房から出る事もないし、お客様と面会する事なんてもっとない。
「だってぇ、お出ししたお菓子を気に入って下さって『この美味な菓子を作ったパティシエは誰ですか?』なーんてお呼びだしがないとも限らないじゃない?」
「…あー、うん、まあ、そうね」
王子様目当てなのか王室御用達狙いなのかよくわからないけど意気込みはわかった。
だけど王宮の料理人に田舎料理が勝てる訳がないだろうに。
これまでリアリストだと思ってたあたしの親友はとんだ夢見るアリスちゃんだった。
「わかったら早く支度しなさいよ。夕餐に間に合わなくなっちゃうでしょ」
「支度も何も、このまま行くわよ」
「はあ?!あんたあたしの話聞いてたの?王子様よ王子様!王子様にお会いするのになんでそんな普段着と料理染みのついたエプロンで行くのよ」
「オーブンの前で作業するのにあんたみたいなドレスでできるわけないでしょ。だいたい王子様に興味なんてないわよ。あたしの旦那様になる人はお婿に来てくれて海月亭を継いでくれる人じゃないとダメってあんたも知ってるでしょ?」
そもそもお目にかかること自体まずありえないけどコートニーの夢を壊すと道中がめんどくさいので黙っておいた。
「よいしょっ…と。おいイーニド、準備できたからこれ持ってけ」
シチュー入りの鍋とパラフィン紙に包んだパイ生地の入ったでっかいバスケットを持ってお父ちゃんがやってきた。
「んもー、なんであんたはそう色気がないのよ、せっかく玉の輿のチャンスかもしれないってのにさ。おじさんからもなんか言ってやってよ」
「あー?まあそうだな、父ちゃんとしては王子様なんて贅沢は言わねえから騎士様でも捕まえて嫁に行ってくれっと嬉しいんだけどなあ」
「ちょっとお父ちゃん!あたしが嫁に行ったらこの店どうすんのよ!」
「そりゃあいい婿が来てくれるに越したこたあねえけど、腕のいい料理人がいてもツラが気に入らねえって袖にしてんのはどこの誰だよ。お前の好みの男前なんざ騎士様くらいしかいねえんじゃねえの?」
「そうよねえ、イーニドって面食いだもんね」
正論すぎてあたしは言葉につまった。
「確かにそうだけどさ、それだってお父ちゃんたちのせいじゃん!だって物心ついてからというもの毎日この絵姿を見て育ったんだもん、理想が高くなっても当然じゃない?」
「あーはいはい、わかったからさっさと行ってさっさと帰って来い。コートニーちゃん、悪いがこいつの面倒頼むな」
「はーい、じゃあちょっと行ってきます。ねえあんた、ほんとにその恰好で…」
「いいの!あたしは料理しに行くんだから!じゃお父ちゃん行ってくるね」
バスケットの中にはお呼ばれ用の真っ白で清潔なエプロンが入っていたのは確認済みだ。きっとお母ちゃんが気を利かせて入れてくれたんだ。お父ちゃんだけじゃここまで気づかないもんね。
呆れ気味のコートニーを尻目に重たいバスケットを引きずるようにして馬車に積み込むと、あたしたちは修道院へ出発した。
修道院への道すがら、コートニーはうきうきと髪を梳かしたり化粧を直したりと忙しく手を動かしながら同時に口も動かし続けてる。
さすがに評判の看板娘、やる事にそつがない。
「あんたさー、ほんっとに王子様に興味ないの?」
「ないわよ。どっちかって言ったらお会いしたいのは王妃様よね。だけどさ、あたしたちみたいな下々のものがご一家にお会いできる訳ないじゃない。心配するだけ無駄だって」
「わかんないわよ?だって王妃のシルヴェイン様って平民出身じゃない?孤児院や医療院なんかもよく慰問なさってるし、召使にもとってもお優しいって評判だし」
「それはあたしも噂で聞いたけどさー、お礼されるのは修道院の方々であたしたちじゃないって。そんなことよりなんで今日は髪の毛巻いてないの?いつもの縦巻きロールはどうしたのよ」
「もちろん王子様に気に入ってもらうために決まってるじゃない」
「だってあれって都で一番流行ってる髪型なんでしょ?」
「そうだけどさ…あんたほんとに何にも知らないのね。エセルバート様のお好みはシルヴェイン様みたいなストレートな黒髪と黒い瞳の女性なんですって。瞳の色は変えられないけどさ、幸い髪の毛はあんたもあたしも真っ黒だし、髪型くらいはお好みに合わせたいじゃない?」
知らなかった。王子様マザコンだったのか。
「今まで貴族のお嬢様といっぱい縁談があったのだけど、理想の女性がいなくて悉く断られたんですって。あんまりにも理想を追われるものだから回りが心配して身分は問わずに黒髪黒目の女性を集めて見合いさせるって話も出てるらしいわよ」
「それはちょっと人としてどうなの…」
確かエセルバート様自身がお母様似だって噂だったはず。それってマザコンに加えて超ド級のナルシストってヤツなんじゃないの?
お母様似なら間違いなく美しい方だろうに残念な王子様だったのか。
そんな筋金入りのマザコンなんかと結婚したいと思うヤツの気がしれない、という言葉は親友に免じて呑み込んだ。
「まあでもあんただって王妃様大好きなんだし人の事言えないじゃない」
「うっ…それ言われると辛い」
「っていうかむしろ好みが一緒って事で話が合うんじゃないの?美形の国王様推しならまだわかるんだけどなんで同性の王妃様推しなんだか。あんたもほんっと変態よねー」
「ううううるさいわね。心配しなくたってあたしの瞳は灰色だもん、間違っても見初められる事なんかないから大丈夫なの!」
「それが残念なのよねえ、あたしも青だしさー」
「って、なんで会う事前提になってんのよ。そんな事絶対ありえないから心配するだけムダだって。あっほら修道院が見えたわよ」
海を見下ろす小高い丘の上に大きな十字架のついた塔が見えてきた。
さあ、腕によりをかけておいしいポットパイを王妃様に召し上がって頂かなきゃ。
お気に召しておかわりを所望されちゃったり、王妃様付きの料理人に抜擢されちゃったりしたらどうしよう!キャー!お店なんてほっといて全力で行っちゃうわよね!
「…あたしも大概だけどあんたの妄想も相変わらず酷いわよね。口からヨダレ出てるわよ」
しまった、またいろんなものがダダ洩れだった。
パイ皮で蓋して焼くだけの簡単なお仕事しか残ってないという事はこの際置いといて、ムダに気合の入ったあたしたちの馬車は修道院の門をくぐった。