連れてない鉄砲隊!
この世界に来て、もう一週間ほどが経った。
前に見た横たわる私の元の体と、その周りの技術者のような人たち。
ただの夢だったのか、幻なのか、私の願望が作りだした妄想だったのか全く分からないけど、願ってみても二度と見れていない。
元の世界に戻れる気配もなく、私はどんどんとこの世界の一員となって来ている。
住めば都。
なんて言葉があるけど、確かにかなり慣れてきた。
でも、清潔な社会。
美味しい食べ物に溢れた社会。
私がいた元の社会が懐かしい。
ここの世界は決して不潔じゃないけど、私のいた世界ほど清潔じゃない。
食べ物も甘くておいしいものなんて、そんなに望めない。
元の私の父が海外出張の度に買って帰って来たポディバのチョコレート。
あまりの頻度にちょっと飽き気味になっていた。
しかも、中国に行ってもポディバ。
「なんで、中国土産がポディバなのよ!」
「中国の食べ物の方が良かったか?」
「は! いえ、いりません。ポディバでいいです」
なんて言っていたけど、今から思えば、ぜいたくだったかも。
ああ、ポディバのチョコが食べたい。
家だってぼろく、板の間に藁のようなものを敷き詰めているだけで、畳なんてない。
その上にくたびれた布団を敷いて寝る。はっきり言って、ベッドで寝なれていた私は朝起きると体が痛い。
そして、何と言っても、暇。
これでも私は受験勉強に励んでいた。つもり。本当に励んでいる人たちなら、クリスマスだって浮かれずに、勉強していたはず。
ああ、クリスマス会なんて行っていた私への罰?
なんて、沈んだりもしちゃうけど、今日はちょっとうれしいイベントがある。
なんと、今日はあの信長様が鉄砲隊やら、長槍部隊やらを従えて、富田の正徳寺であの隣国美濃を治めている舅でもある斎藤道三と対面する日だ。
このエピソードは有名だ。
鉄砲隊を含む軍勢の威容に、道三は気圧されたと言う。
信長様がその軍勢を従えてやって来るのを見ようと、道の端でずぅぅぅぅっと立って待っている。
何時から? なんて事まで、私が知っている訳がない。
ねねの父親、今は私の一応父親に聞いても、刻限までは知らないと言われた。
見逃したら、一生の後悔。
この世界に飛ばされてきてしまった以上、これは見逃せない。
そわそわ。わくわく。どきどき。
体がリズムを刻むように、左右に揺れる。
そんな私の気分をぶち壊す声が聞こえてきた。
「これで、この国も蝮のものになっちまうわ」
「だな。蝮に殺されに行くとは。本当に大うつけだわい」
あの時と一緒。
大好きな、尊敬する信長様を侮辱する声に、私の心の中に怒りの炎がめらめらと燃え上がってきた。
「あんたらねぇ。
信長様を何だと思ってるのよ!」
信長様を侮辱した男たちを睨み付けて言った。
「なんだ、この娘っ子は?」
男たちは戸惑った表情で私を見た。
「いい!」
私は人差し指だけを突き立てた右手を振りながら、そんな男たちに向かって言った。
「信長様はね。大軍勢を連れて行かれるのよ。
蝮の道三が舌を巻くようなね」
ピシッと言ってやった。また少し威張り気味に体をそらして男たちを見た。
「ぷっ、ぷっくくくくく」
男たちはお互い顔を見合わせて、笑い始めた。
失礼な奴ら。足でも踏んづけてやろうかと思ったけど、それは止めた。
「今に見てなさいよ!」
人差し指をびしっと突き出して言ってやった。
「娘っ子、お前こそ見てみた方がいいんじゃないか?」
そう言うと私の真似をするかのように、びしっと人差し指を突き出して、道の向こうを差した。
「何よ?」
そう言って、視線を向けてみた。
人が行きかう道。その向こうから、やってくる馬はあの日の馬!
その上に乗っているのは、小汚い服装と奇抜な行いで世を偽って生きる信長様。
「憧れの信長さまぁぁぁ」
私は両手を胸の辺りで結んで、目を輝かせた。
「はっ!」
しかし、すぐに私は異変に気付いた。
信長様の前に軍勢がいない。
「あれ?」
そう言って、首を伸ばすかのような仕草で、信長様の後ろに目を向けた。
すぐ後ろにも軍勢はいない。
「あれぇぇぇ」
情けない声が出てしまった。
「どうだ、娘っ子。どこに大軍勢がいるんじゃ?」
「いやいや。あのうつけの殿には、あれでも大軍勢じゃ。
うつけに従う酔狂な者など、そうはおらんからな」
男たちはそう言い終えたかと思うと、大笑いを始めた。
悔しい。これは何かの間違い。ここにいられない。
私は信長様の所まで、駆け始めた。
ちょっと目の前の景色が歪む。
訳の分からない事に巻き込まれていた不安を信長様を思う事で、必死に抑え込んでいた。
それが外れた気がした。
「信長さまぁぁ」
泣きべそをかきながら、信長様の数m前にたどり着いた。
「ねね殿、どうなされました」
サルが持っていた信長様が乗る馬の轡を離して、両手を広げて私の前に立ちはだかった。
このままではサルの胸に飛び込んでしまう。
「ストォォォップ」
めいっぱい気合を入れた。あの変な箱を踏んづけた事で、こんな事になった反省が効いたのか、サルの胸に飛び込む、いや吸い込まれる直前で停止した。
「ねねどのぅ」
サルが情けない声を上げた。これが関白になる男なのかよ?
「はぁぁぁぁ」
思わず深いため息をついてしまった。
いや、それどころじゃない。今日は「蝮の道三」と初のご対面のはず。
どうして、軍勢を引きつれていないのか?
もしかして、事情が変わったの?
それを確かめたくて、信長様を見上げた。
小さな体の今の私には、高い馬の背。そこにまたがる信長様。
「信長さまぁぁ」
半べそのような声だった。
「なんじゃ。そちは浅野の家のねねと言うらしいの」
ああ! 私の名前を憶えていてくれた! ちょっと小躍りしたい気分。
「いや、ねねと言うのはあんたの名前じゃないだろ」と、右手の甲で胸の辺りをぺしっと叩いたイメージで、一人突っ込みする私。それはおいておいて。
「はい。さようでございます。
ところで、信長様。今日は道三様とのご対面の日ではないのですか?」
憧れの信長様と会話している!
胸はもうばくばく状態で、破裂して倒れてしまうかも知れない。
「よう知っておるのう。今から、向かうところよ」
「はい?」
目が点になった。何かの聞き間違い?
「今から、向かわれるのですか?
違いますよね?」
「何を申しておる。今から、向かうのじゃ」
「お供は?」
「見えぬのか? サルがおるではないか」
「へい。殿」
サルが信長様に顔全てをしわくちゃにした笑みを向けた。
全くもって、意味が分かんない。歴史と違うのはなぜ?
歴史では伝わらなかったけど、実は今日はこれから何かの都合で延期になって、信長様が軍勢を率いて行くのは別の日とか?
うーん。どう言う事?
小首を傾げながら、たずねてみた。
「いや。あのう、相手は蝮ですよ?」
「ははは。何を申すかと思えば」
信長様は豪快に笑いながら、そう言い放った。
きっと、「そのような事承知の上じゃ。蝮の道三など何するものぞ!」 そんな感じの事を言うんだと期待した私は、信長様の豪快さに魅かれる気分。
「相手は人間じゃ」
真顔で信長様は言った。
「はい?」
「知らぬのか? 斎藤道三はわしの舅殿。人間じゃ」
蝮などと言われているが、自分から見ればただの人間。そう言っているんだろう。
私は一人そう納得して、二、三度頷いてみた。
でも、何か不安。
「自分を騙してる場合じゃないんじゃない?」 そう私の中の冷静な私がつぶやいた。
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今日は予定通りの水曜朝7時の予約更新です。
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