本能寺の変(前)
案内された部屋の奥、中央に陣取る信長様はいつになく、にこやかな表情。
その背後には天下人のオーラ。が、変化した献上物の山。
さすが信長様ぁ。と、言わずにいられない。
その横に座っているのは嫡男 信忠。
その左側のふすまにそうように数m前で座っているのは、信長様の弟 長益。
そして、部屋の片隅には黒人が控えていた。
これが弥助かぁ。
と思って、黒人に向けられた視線が固まっているのに気付いた信長様が言った。
「何じゃ、ねね。
弥助に驚いておるのか?
ねねは肌が黒い人間がおる事をわしに教えたではないか。
それゆえ、伴天連どもにもらったものであるが、肌の黒い人間を見るのは初めてか?」
「まあ」
そんな事は無いけど、とりあえず無難な答えで。
信長様が長益の向かいの場所を差したので、その場所に向かい、腰を下ろした。
「秀吉はいかがか、何でも高松城を水攻めにしていると聞いておるが」
嬉しそうに話しかけてきたのは信忠。
この人はサルの事を嫌ってはいない。
「そうらしいです。
なんでも、あたりのお百姓さんたちを動員して、堤を造ったと聞いております」
「何と言う事であろうか、城を囲むような堤とは」
信忠が腕組みして、何度も頷いている。
「ところで、ねね。
今日はなんじゃ」
「はい。
姫路より、長浜へ戻る途中、ちょうど上様が京におられましたので、ご挨拶に」
そう言って、信長様に平伏した。
「ふむ。
ねね。信忠ではないが、水攻めは成功するか?」
「はい。それはもちろん」
そう。それは確実。歴史の事実。
「して、その後は毛利をどう扱う?」
おおっ! その答え持ってないしぃ。
そうそう。
サルは光秀を討つために、和議結んでさっさと撤退するんだもんね。
「そうですね。
高松城が落ち、上様ご出馬となれば、あとはたやすいかと」
とりあえず、あいまいな言葉で誤魔化してみる。
そんな会話をしている内に、信長様は私に食事を用意してくださり、夜も遅くなったのでここに泊まるがよいと言ってくれた。
これは私の計画通り。
でも、その言葉と同時に、信忠が立ち上がった。
「では、父上、私はこれにて」
「信忠様も、ご一緒されては?」
信忠を引き留めると言うのも、官兵衛の策の一つ。
「いや、私は妙覚寺に宿をとっておるで」
「ですが、夜の町中を移動されるより、こちらで父上の信長様とご一緒されればよろしいのでは?」
「左様。
さればこそじゃ。
これ以上遅くなると、町衆に迷惑になろう故、そろそろ刻限かと思うておるところじゃ」
「ねね。何か気になるのか?」
信長様が割って入ってきた。
「いえ。左様な事はありませんが」
今はこれしか言えやしない。
「では、これにて。
ねね。また秀吉の戦話を聞かせてくれ」
そう言って、立ち上がった信忠に長益が言った。
「わしはここに泊まろうかと思う」
「叔父上、左様でございまするか?」
「うむ」
では、少しでも兵を残して!
そんな期待で、少し身を乗り出しそうになった。
「警護の者は連れてまいりますが、よろしいか?」
「うむ」
私の気持ちはジェットコースター。
期待から、一気に急降下のがっくし気分。
信忠の警護の兵もここに残れば、少しは心強かったんだけど、これも歴史の抵抗かも知れない。
もしかしたら、歴史を覆せない?
立ち去る信忠を見ながら、そんな不安にかられてしまう。
「さて、ではわしも」
そう言って、長益も立ち上がった。
それにつられるかのように、信長様が私に言った。
「では、ねね、今日はこれまでといたそう。
そちも寝るがよい」
だめ! このままでは、歴史通りになっちゃうかも。
そんな思いが、私の思考回路を乱した。
「上様。警護を固めてはいかがですか?」
勢いで言ってしまった。
納得させる説明もできないのに。
「なぜじゃ?
京の周りに敵などおらぬぞ」
ごもっともです。
光秀謀反なんて言う事は出来ないよぅ。
そんな事言っても信じてもらえるとは限らないし、逆に信じてもらったとして、その言葉で警備を固めると、光秀は謀反を諦めると言う事もあり得ちゃう。
そうなったら、私が嘘つきの悪者になっちゃう訳でしょ。
「だ、だ、誰かが忍び込むとか?」
乱れ気味の思考回路が出した言葉。
意味不明の疑問形で、小首を傾げてみる。
何を言っておる。そんな視線を私に向ける信長様。
少し小首を傾げたかと思うと、「おお。分かった」と言うような表情で左の手のひらの上を、右の拳で“ポン!”と叩いて言った。
「忍び込んでくる者に心当たりがあるのか?
ねねではあるまいのう?」
も、も、もしかして何か感ずいてくれた?
高まる気分で、まずは自分でない事を否定した。
「違います」
「そうじゃろうな。
して、それは何者やら」
「それは」
そこまで言ったところで、冷静な私が現れて、言葉を止めた。
「誤解してるよ。この人。絶対!
誰かが襲うって話なら、私の名前出て来やしないよ!」
ちなみに、ねねは私の名前じゃないけどね。
私は佳奈なんだからっ!
「今、それどころじゃないでしょっ!」と、冷静な私が言う。
「たとえじゃ。
それが何者であっても、一突きじゃ」
そう言って、信長様がにんまりとした。
「ですよねぇ」
私が言っている事を理解してくれて、しかも、その敵を倒すと言ってくれた。
そう思って、まずは大きく頷いた。
後はその敵は容易な敵じゃない事を言うだけ。
それを伝える前に、信長様は顎に手を当て、視線を上に向けながら、ぽそりと言った。
「一突きではないのぅ。
何度も突いてやらねばのぅ」
私の頭の中に、何度も何度も、槍を突き刺す信長様のイメージが浮かぶ。
「ま、ま、魔王ね」と、頭の中で別の私が言った。
「うーん。でも、何だか違う気がするんだよね」と言う、冷静な私の言葉に、私の口が反応した。
「何度もですか?」
「一突きでは足りぬじゃろう?
ねねは一突きでよいのか?」
「はい?
私を一突き?
どう言う意味ですか?」
「女子の話ではなかったのか?」
はい?
女の人を一突き?
何度も突く?
私の頭の中に、その答えのイメージが浮かんだ。
ひぇぇぇ。顔が真っ赤になる。
私の動揺なんて、お構いなしに、信長様が続けた。
「わしの所に女子が夜這い来るから、気を付けろと申しておったんじゃろ?」
私は腕で、両目をこすってから、信長様を見た。
昔のうつけの殿の顔?
いえ、ただのエロおやじ。
「あのう。それ、セクハラですからっ!」
「せくはらとは何じゃ?」
「今の場合は、女の私が嫌がるようないやらしい言葉を男の上様が言う事ですっ!」
「何じゃ? 嫌なのか?
和ませようと思うて、面白い話をしたつもりなんじゃが」
ひぇぇぇ。正真正銘。セクハラおやじ!
「わ、わ、私、寝ますので!
それでは失礼します!」
そう言って、部屋を駆け出した。
どきどきする鼓動はどうして?
これから起きる本能寺の変への恐怖?
じゃない。
セクハラおやじから逃れようとする恐怖感?
じゃない。
じゃあ。
浮かんだ答えを首を横にを激しく振って、振り落としながら、私の部屋に駆け込んだ。
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