神に代わって、お仕置きよぅ!
将軍 義昭が裏で糸引く信長包囲網。
本願寺が立ち、甲斐の武田も軍勢の動員を始めた。
うつけの殿は朝廷を使い、浅井・朝倉と和議を結んだが、一向宗徒、叡山の僧徒まで浅井・朝倉側にまわった。
そんな不穏な空気は私の周りにもビンビンに伝わって来ていた。
特に隣家のお松殿は根っからの真面目なのか、口を開けばそんな話ばかり。
今も、私の家にやって来て、アフタヌーン・ティーならぬ、ただのお話の会。
「石山本願寺が信長様を仏敵としてしまったのでは、信長様の敵は他国の兵ばかりではなく、国内にも敵を抱える事になってしまいます」
「そうですね」
そう軽く相槌を打つ。
なんだかさ、午後の主婦友たちのひと時と言えば、ランチしてぺちゃくちゃ。
ケーキを食べながら、アフタヌーン・ティー・タイムでぺちゃくちゃ。
しかも、話す内容は世間話とか、芸能界の話。そして、子供の話。
そんなイメージで、ゆるりとした時間が過ぎていく。
だと言うのに、この生活はっ!
甘いケーキも、美味しい食べ物もなく、話題はめっきし硬い。
お松殿は私なんかと違い、元々武家の育ち。
そのため、根っから真面目なのかも知れない。
思えば、私がいた本当の世界は平和ないい時代だったなぁ~。
そう懐かしく思ってしまう。
「そんな事言ってるけど、あんた、すっかりこの時代にとけ込んじゃってるよね」
頭の中の別の私が言う。
まあ、長く暮らしているので、そんな気も。
反論せず、頭の中で静かに頷いてしまうしかない。
「えっ! ねね殿も、そう思われますか?」
ぼぉーっと、勝手な思考の世界に入っていた私に、お松殿の声が届いた。
へっ? そんな顔でお松殿を見た。
「うれしいです」
両手を胸の辺りで結んで、目を輝かせている。
どうやら、さっき頭の中で頷いたつもりが、実際に頷いてしまっていたらしい。
私は何に賛同してしまったのか?
ちょっと記憶をリバース。
確か、石山本願寺の話をしていたはず。
で? 話はどこに行ってたの?
き、き、聞くに聞けない!
お松殿の話を聞いていなかっただなんて。
悩んで、口を開けない私。
にこにこしているお松殿。
薄暗い家の中にあるのは沈んだ静寂。
玄関の扉が開く音と、外の陽光がその空間を遷移させた。
笑みを打ち消して、玄関に目を向けるお松殿。
悩み顔を隠して平静を装っていた表情から、少しの警戒感に表情を変えて、玄関に目を向ける私。
そこにはうつけの殿が立っていた。
織田家 最大のピンチ。
そんな中、うつけの殿は岐阜に戻ってきたのは知っていたし、うつけの殿が、私の所にやって来るのは珍しい事じゃない。
時々は手ぶらで、時々は私のためにプレゼントを持って。
私としても、それは喜ばしい事。
と言っても、プレゼント目当てで待っている訳でもなければ、人妻となってしまった私が昼顔見せてる訳でもない。
私の知らないところで、うつけの殿に勝手な事されちゃあ困るってだけ。
「ねね。息災か?」
今回の第一声はこれだった。今日は手ぶらだ。
「おお、お松もいたのか」
お松殿に気付いたうつけの殿がお松殿に笑みを向けた。
「信長様」
そう言ったお松殿の横顔は輝いているように見えちゃう。
「信長様。今日は何用で」
私は輝かない表情で、うつけの殿にたずねた。
「まずはねねに、越前攻めの事を詫びねばのう。
浅井には声をかけなかったのだが、まさか背後を突いてくるとはのう。
おかげで、サルを死地へ追いやりかけてしもうた」
「いえ。
遅かれ早かれ、朝倉は滅ぼさねばならぬ相手ゆえ、いつかはそうなる運命だったと思いますし、藤吉郎の殿とて、武人の務め」
「そう言うてくれると助かると言うもの」
いえいえ、そんな事言えるのも、サルは生きて帰ってくるだろうと思っている事と、相手がサルだからであって、本当に好きな人なら、そんな事言えたりなんかしないかも。
とりあえず、そんな事は顔にも出さず、にこにこしてみせる。
「で、今日は何用で?」
もう一度そう言いながら、私は頭の中の引き出しから、この時期と思われる信長様の動向ネタを片っ端から引き出す準備をしていた。
「ねねは、仏罰と言うものを信じるか?」
それか! 叡山焼き討ち。そう私はふんだ。
「信じませんねっ!」
きっぱり言った。
これはうつけの殿に叡山焼き討ちの戸惑いを断つためだけじゃない。
私の本音。
クリスマスと結婚式はキリスト教。
葬儀は仏教。
その実態は、無神論者、無宗教者。
この世には神も無ければ仏も無い。
それが私の考え。そして、たぶんこれが真実。
「ええっ!?」
お松殿の驚きの声が響いた。
何を驚いているの?
ちょっと、びっくりの視線をお松殿に向けた。
声とぴったりで、お松殿は大きく目を見開いて驚いている。
なんだか、突然信じていた人に裏切られたって感じ?
も、も、もしかして、さっきまでの話と関係が?
驚いているお松殿と、戸惑う私にかまわず、うつけの殿が話を続けた。
「信じぬのはなぜじゃ?」
これは適当な答えを持ち合わせてなんかいない。
なぜと聞かれてもねぇ。
と、悩んでいると、うつけの殿が言葉を続けた。
「叡山がの浅井、朝倉をかばいだてしおってのう。
じゃと言うに、仏罰は叡山にも浅井共にもあたってはおらぬ。
つまりじゃ。
仏罰と言うものが存在すると言うなら、そして奴らが誤っていると言うなら、奴らに落ちてもいいはずじゃ。
じゃと言うに、奴らには落ちてはおらぬ。とすればじゃ」
そこまで言った時のうつけの殿の表情は真剣そのもの。
もしかして、仏罰が怖いんじゃない?
そう思えてしまう。
叡山を焼き討ちして、皆殺しした信長様とは大違いな気が。
どっちがいいのか? なんて事は答えが出せない。
平和な世界の人としてなら、叡山焼き討ちを戸惑ううつけの殿に一票。
でも、今の乱れた世には、信長様のような人が必要なのよ。
そんな事を考えていると、うつけの殿が言った。
「やつらは間違ってはおらぬのかのぅ?」
「その話、片手落ちっ!」
私は素早く反応してしてしまった。
人差し指を突き出した右手をうつけの殿に向けながら、ぶんぶん上下に振り回して、話を続けた。
「じゃあ、叡山を攻囲している信長様に仏罰は当たった?
当たってないでしょ?」
「なるほどのう。どちらも間違っていないと言うのは変じゃな。
すると、ねねが言うとおり、仏罰は無いと言う事が正しいと言う事になるのぅ」
ちょっと飛躍し過ぎな気がしない訳じゃないけど、私としてはいい方向。
「そもそも仏罰なんてものありませんし、死んだら行ける極楽浄土なんてものもありませんしっ!」
私が力を込めて言ったその言葉に、お松殿の目は点になっている。
まあ、この時代の人に、そんな事言ったら、驚いちゃうわね。
「お松はどう思う?」
そんなお松殿に、うつけの殿がたずねた。
「えっ、えー、私は」
ちょっと、悩んだ表情で、言葉を止めた。
この時代の人だもん。
本心は仏様も、仏罰も、極楽浄土もあると思っているはず。
だと言うのに、戸惑っているのはあんな事を言った私の手前?
そんな思いで、お松殿を見ていると、突然何か吹っ切れた表情をしたかと思うと、勢いよく言った。
「そう言う事ですか」
お松殿の視線は私に向いている。
私に向けられた言葉?
何?。
お松殿が私ににこりと微笑んだかと思うと、うつけの殿に視線を向けた。
「信長様。そのとおりです。
仏罰が当たっておられぬ信長様は真の仏敵ではないのです。
仏敵でもない信長様相手に戦って死んでも、極楽浄土になんて行けません。
その事を知らしめましょう」
一気にお松殿がうつけの殿にまくしたてたかと思うと、私に視線を向けた。
「ですよね? ねね殿」
な、な、何が言いたいの?
私が言った言葉と似ているっちゃあ似てるけど、ちょっと違う気が。
まあ、よく分かんなかったけど、とりあえず、相槌をうった。
「ふむ。
信心深いと思うておった松までもが、そう言うか。
面白い事を言う二人じゃ。
じゃが、そち達の言う事、もっともじゃ」
うつけの殿がそう言って、満足げな表情で数度頷いた。
「二人の考え、もらっておくぞ。
今日はこれまでじゃ。
また、何かあれば話をきかせてもらおう」
うつけの殿はそう言い残して、私たちに背を向け、抑え気味の声で何か言った。
「仏罰も無いなら、わしが代わりに落としてやろうぞ」
私の耳にはそう聞こえた。
不気味な感じ。うつけの雰囲気とはちょっと違う。
「だよねぇ。うつけ風だったら、神に代わって、お仕置きよぅ! くらいがかわいいのに」と、頭の中で子供の頃に見たアニメ風のフレーズを言う別の私がいた。
お松殿はどう思ったのか。
そう思って顔を向けたけど、にこにこ顔で、私に小首を傾げてみせた。
どうもお松殿には、うつけの殿が何を言ったのか、聞き取れていない感じ。
うつけの殿の姿が見えなくなると、お松殿が言った。
「ねね殿が仏罰は無いと申された時には、驚きました」
なんで? 少し小首を傾げてみせた。
「一向一揆を力で抑えこむのは容易ではないのですから、本願寺との和睦。
それが一番の方策と言う考えに同意下ったのに、仏罰も極楽浄土も無いなんて言われるんですもの」
お松殿の言葉に、私はさっき何に同意したと思われたのか、ようやく分かった。
お松殿の考えでは歴史が変わってしまう。
うつけの殿が言ったように、お松殿は信心深いはず。
そのお松殿が、どうして私の言った事をそのまま受けたのか?
ちょっと、小首を傾げた時、お松殿の続く言葉がその理由を語ってくれた。
「前々から、ねね殿は切れるお方と思ってました」
そ、そ、それって、私がうつけの殿やサル相手によく怒ってるって話じゃないよね?
そんな思いを打ち消しながら、ちょっと引き攣り気味の笑みをお松殿に向けた。
「これも、あれですね。
信長様の性格から言って、本願寺との和解を持ちかけても、絶対にそんな事はなされない。
だとしたら、一向宗徒たちの力を削ごうと言うお考えですねっ!」
きらきらとした瞳で、私を見ている。
ちょっと違うし、これから先、うつけの殿がするであろう叡山焼き討ちと言うとんでもない事はお松殿に耐えられない事かも知れないと思い、苦笑いで返すしかない。
「は、は、ははは」
結局、お松殿の誤解もうつけの殿の背中を押した。
歴史通りの叡山焼き討ち。
そこにいてはならないはの女子供。
僧兵はもちろんとしても、そんな女子供までも切り捨てる。
地獄の業火のような赤い炎が、仏の世界であるはずの叡山を覆い、高僧もその中に消えて行った。
赤く燃え上がる炎が照らしだすうつけの殿は、「仏罰を与えられるものなら、与えてみよ!」と、不敵な笑みを浮かべながら、うそぶいていたらしい。
これは信心深い人たちの心に傷をつけただろう。
そして、一方のうつけの殿はこれだけの事をやっても、仏罰が当たらない事に、仏罰など存在しないと言う確信を持ったはず。
それはある意味、この世に自分を裁く人智を越えた力など存在しないと言う事をうつけの殿は確信したはず。
そして、その発想こそが、いずれ自分こそがこの世の仏や神であると誤った思いに遷移を遂げる元になったんじゃないかと思わずにいられない。
「じゃあ、うつけの殿を魔王に仕立て上げたのはあんたじゃん!」と、冷静な私が言った。
その言葉を聞こえないふりで、やり過ごす私だった。
今週、お気に入り入れて下さった方、ありがとうございました。
更新、頑張ります!
これからも、よろしくお願いします。




