裏切りのサル
「お前様、どうなされたのですか?」
お松殿がそう言って、利家殿に駆け寄った。
「越前攻めは失敗だった。浅井が裏切った」
お松殿にも、利家殿にも悪いけど、私は頭の中で一人、大きく頷いた。
歴史通り!
私がいる事に気付いた利家殿が、私を見つめたかと思うと、一瞬目を逸らした。
ためらっている。そう感じた。
その後、覚悟を決めたのか、疲れた足取りで私の前にやって来た。
「あ、あ、ねね殿」
サルがうまく殿を買って出た。そう言う事だろう。それだけに、言いにくいのだろう。
「ここは、芝居しないと!」
「そうそう。夫の身を案じる妻だよ!
演じきってこそ、仮面夫婦!」
頭の中の私の意見に従い、私も驚いた顔を作り上げる。
「サ」
危ない、危ない。心の中でいつも言っているサルと言う言葉が出そうになっちゃった。
「藤吉郎はご一緒ではないのですか?」
「ねね殿。藤吉は」
言いにくそうにした。
殿と言えば、かなりの被害を出す事はもちろん、全滅する可能性だってある。
私の知っている歴史では、サルは何とか生きて戻って来る事になっているけど。
そう思った時、マジでサルが心配になった。
生きて戻って来てくれなきゃ、歴史が狂っちゃうよ~。
「困るのはそこかよ!」と、別の私が突っ込んでくる。
でも、そう。困るのはそこ!
100%の自信で私は答える事ができる。
とは言え、心配で私の顔が「ひぇぇぇ~」と情けない顔になったのは事実。
利家殿はそんな私の表情を見逃していなかった。
「だ、だ、大丈夫。藤吉は無事だ。
ただ、殿を殿より仰せつかったので、遅れておるだけじゃ。
あの藤吉の事だ。何の心配も要らぬわ」
どうやら、私の表情からサルが亡くなったと思ったと誤解したようだ。
利家殿はそう言うと私を元気づけようとしてか、大笑いを始めた。
「殿ですか」
弱々しく言ってみる。
完全に危険な任務に就いたサルの身を案じているかのよう。
「いやはや。心配は要らぬ、要らぬ。
あの藤吉の事じゃ。はははは」
利家殿はそう笑いながら、家の中に消えて行った。
「ねね殿。大丈夫です。
私も藤吉郎殿なら、やってくれると信じております」
お松殿もそう言って、利家殿の後を追って、家の中に消えて行った。
そして、サルは利家殿よりもぼろぼろな姿で帰って来た。
「やったじゃん! 私に、サルも!」
歴史通りに進んだ事に、思わず歓喜せずにいられない。
「お疲れぇぇぇ」
普段は私の体に触れさせもしないと言うのに、思わずサルの右手を両手でつかんでしまった。
「ねね。死ぬかと思うたわ」
「殿、お疲れ様でしたぁ」
マジ、心からそう言った。
私が歴史通りに進めるために、サルに殿を買って出るよう言った訳で、それを実行し、地獄のような中、戦い帰って来たサルに、それくらいするのは当たり前だと思っていた。
「しかし、全てはうまく行ったのですね。
今日は腕によりをかけて、馳走しますよ」
それも本心だった。労いは必要でしょ。
そう思っている私に、サルはかぶりをふった。
「いや、それがな」
何? どう見ても、全てがうまくいったようにしか見えないけど。
と言っても、私が見ているのは利家殿の姿と言葉、そして目の前のサルの姿だけ。
それはこの戦のほんの一部とも言えないほどの一部。
「何が?」
私は私の知らない何かを聞きたかった。
もしも、歴史が歪んでいたら。そんな思いから。
「実はな」
そう言って、サルはその時の話を始めた。
金ヶ崎城を落した夜の幔幕の中。
かがり火が揺らめく中、お市さまの使者が陣中見舞いを持ってこられた。
両端を紐で縛った小豆入りの袋。
挟み撃ちを暗示するお市さまよりの贈り物。
ねねの言った通りのものが送られてきた。
それを受け取った信長様は思案気な顔を見せた。
「殿、手前はその贈り物の意味が分かります」
そう信長様に申しあげようとしたところ、信長様が申された。
「京へ帰る」
そのため、言葉は「殿、手前は」で遮られてしまった。
柴田殿が真意を信長様にたずねられた。
「わしの大嫌いな小豆を入れた袋の両端を縛っておる。
この敦賀平野で袋のネズミ。そう言う事じゃ」
そう言って、その袋をぽいと柴田殿に投げ渡し、馬に颯爽とまたがった。
「サル。自ら殿を買って出るとは殊勝なり。
達者でいろ」
信長様はそう言うと、数騎を従え、疾風のごとく京を目指して駆け出して行った。
「信長様は誤解したんだぁ。
でも、元々そのつもりだったんだから」
私の言葉にサルはかぶりを振った。
「ねね。正直に言うが、わしは殿に浅井の裏切りまでは告げるつもりじゃったが、殿は言う気は無かったんじゃ」
「はいぃぃぃ?」
私は目が点。あれほど、私が言ったのに、私を裏切って、殿を務める気が無かっただなんて。
掴んでいたサルの手を投げ捨てるように離した。
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