越前攻め
お松殿は私の思考がお松殿の話を遮断し、勝手な事を考えていた事など気づいていない。
一生懸命、私を見つめながら話し続けていた。
ごめんね。
そんな思いで、再びお松殿の言葉に耳を傾けた。
「京で遊山をされると言う事でしたですよね?
春の都で遊山。
花に囲まれた風情を想像して、羨ましく思っていたんです。
だと言うのに、遊山は名目だけで、そのまま越前に攻め込むなんて、知りませんでした」
お松殿の表情は不満と不安と驚きの3つの要素を混ぜ混ぜして、均したかのような、何とも言えない表情になっていた。
私は知っていた。
歴史として。と言うのもあるけど、これもうつけの殿から聞かされていた。
ううん。正確には相談を受けていた。
いつだったか、うつけの殿が私の所にやって来た。
その時の事が脳裏に浮かんだ。
「ねね。久しいのぅ」
うつけの殿の第一声はこれだった。
うつけと分かっていても、確かに箔がついて来ている。
そんな感じではあった。
家の薄暗い部屋の中から見える、玄関の前に立つうつけの殿の背後に輝く陽光は、天下人を約束された人のオーラとも言えそうだった。
「信長様。突然、どうされたのですか?」
平伏もせず、立ったままうつけの殿を迎えた。
そんな私に、うつけの殿は気分を害した様子もなく、笑みを浮かべている。
その笑みに、とりあえず作った笑みで返すと、うつけの殿はさらに笑みを浮かべて言った。
「うむ。
ねねが教えてくれた“天下布武”の効果は抜群じゃ。
新たに加わった者たちも含め、家中の結束は確実なものとなっておる」
「それは何よりです」
「じゃがな。他の大名たちまではそうとはいかん」
うつけの殿は不思議そうな顔つきで、そう言った。
何が不思議なのか? 私には分かりゃあしませんよ!
今は戦国時代。
力のある大名なら、どうして他家に従う必要がありますか。
「朝倉など、義昭の上洛の命をも無視しておる」
「将軍様を呼び捨てですか?」
一度うつけの殿に言われたことを、逆襲して言ってみた。
「ねねに呼び捨てにされるような将軍に、どうして”様”などつけられるか」
うつけの殿が、そう言って大笑いした。
なんだか、また私、馬鹿にされた気分。
ちょっと、私のほっぺが膨らんだ。
「とにかくじゃ」
そこまで、うつけの殿が言った時、私の頭の中は歴史のデータを引っ張り出し終えていた。
朝倉攻めって、春だったよねぇ。
そろそろ、そんな時期なんだぁ。
「で、朝倉攻めですか?」
うつけの殿の言葉を遮って言った私の問いかけに、うつけの殿は静かに頷いた。
信長様はおそらく美濃と京の間を脅かす存在として、朝倉は服従させておきたかったはず。このうつけの殿は?
うつけの殿の答えには何度もがっかりさせられている。
それでも、聞いてしまう私。
「どうして、朝倉にこだわるのですか?」
「決まっておろう。
義昭の命とは、わしの命である。
だと言うのに、無視とはわしを無視した事になるではないか。
このわしを無視するとは腹が立つ」
やっぱ子供かよ。
そう思い、うんざりした表情を浮かべかけた私に、冷静な私が言った。
「ううん。
この自分の言う事を聞かない事に腹を立てると言うのは、ある意味短気な信長様と同じかも」
短気なそこだけかよ!
もっと、信長様らしいところ、似てよねっ!
そう思うと、ちょっとしたぷんぷん気分。
そんな気分が、私の言葉数を減らした。
「で?」
たった一言で、たずねた。
「うむ。
浅井長政にはお市が嫁いでおるゆえ、そのような心配は無用じゃとは思うのじゃが、もしやと言う事もないではなかろう」
「つまり、浅井が背後を突くと?」
「うむ。その可能性をねねはどう思う?
これまでも、色々と面白い意見を聞かせてもろうたでな。
そなたの考えを聞いてみたいと思うたのじゃ」
面白い意見ですかぁ。
思わず、苦笑いするしかない。
「は、は、ははは」
「難しい問題だよ」 頭の中の冷静な私のその言葉に、一斉に色んな私が頭の中で喋り出した。
「大丈夫だよ。って、言う意外に何があるのよ。
朝倉攻め、止められちゃったら、歴史が変わっちゃうじゃない」
「でも、それで朝倉攻めして、挟み撃ちだよ。
戻ってきたら、怒られちゃうんじゃない?」
この子供のような言動と短気さ考えると、あり得そう。
そう思った時、どこかで聞いたフレーズを怒り顔で言ううつけの殿が頭の中に浮かんできた。
「倍返しだ!」
ひぇぇぇぇ。どんな仕返しされちゃうの?
権力を持った子供が怒ったら、何しちゃうか、分かんないよぅ。
子供って、残酷な事、平気でしちゃうからねぇ。
ちょっと、ぶるぶるっと震えそうになった。
「それもそうだけど、私の信用も失墜ね」と、冷静な私。
「ちょっと、いいかな。
私、思うんだけどさ。
まじで、私とこのうつけの殿って、絡み合う形で、この歴史に組み込まれちゃってんじゃないかな?
だとしたらさ、私が言った事を信じるも、信じないも、うつけの殿。
そして、その判断は歴史の流れに沿ってんじゃないかな?」
それって、私が本当の事を言っても、朝倉攻めはしちゃうって事?
「そうそう。試してみちゃわない?」
「危険じゃない?
賭けに負けたら、歴史変わっちゃうよ」と、冷静な私。
でも、人間、冷静さって、必要だけど、熱くなる時も必要なんじゃない?
私は賭けてみたい。
一人、頭の中でそう言って、力強く頷いた。
「えぇぇぇぇっー」そう言って、否定する頭の中の私は約半分。
残りの半分は賛成って訳じゃない。迷いに迷っている。
「きっと、浅井は信長様ではなく、朝倉側につきます。
私はそう思います」
整理がつかない頭の中を無視して、私は一気に言い切った。
一気でなければ、戸惑う心が私の口を止めたはず。
「であるか」
うつけの殿はその言葉を言うと、大笑いして引き揚げて行った。
私との印象的なその言葉。
大笑いの意味は、そう言う意味なのかも知れない。
私はそう思いながら、うつけの殿の後姿を見送った。
そして、うつけの殿は私の言葉を聞き入れず、越前攻めを行った。
全く、歴史通り。私は賭けに勝ったのかも知れない。
でも、それは私とうつけの殿が絡み合って歴史を作っているとも言えるわけで、私にとっていい事なんかじゃない気がして仕方がない。
そんな複雑な気分でいる私に、お松殿が言葉を続けた。
「信長様がおられるのですから、勝ち戦となりますよね?」
お松殿の言葉に、頭の中で突っ込む私がいる。
「あのうつけの殿ですからねぇ。勝つわけないじゃないですかぁ」
まあ、うつけの殿でなく、信長様でも今回は負け戦。
結果を知ってはいても、そんな事言えるはずもない。
「そうですね。
気になるのは浅井の動きでしょうか」
「どう言う事ですか?
確かに浅井と朝倉の関係があるので、信長様に協力する事は無いでしょうけど、お市さまが嫁がれているんですから、敵対するなんて事はないんじゃないでしょうか?
そのあたりは信長様も考えておられるからこそ、越前攻めには浅井を伴わなかったんだと思います」
「そうですね」
そう言いながら、サルはうまくやっているだろうかと言う事が、ちょっと不安になる。
サルには、お市さまが陣中見舞いとして送って来る謎かけの意味を教えているし、殿を務めるようにとも言い聞かせている。
でも、ちょっと心配ぃ。
いえ、かなり心配。
そんな思いが、私の表情を曇らせた。
「どうされたのですか?
大丈夫ですよ。信長様がおられるのですから」
そう。
なんだか知んないけど、みんなうつけの殿に騙されている。
確かに実績はあるんだけど、本人と話せば分かるじゃん。うつけだって事。
でも、みんなはそう受け取っていないらしい。
そんな事を考えている時だった。
お松殿の旦那さん、利家殿が帰って来た。
お松殿からは背後だったため、背後の人の気配に、誰? 的に振り返ったかと思うと、驚いた顔つきになった。
負け戦?
お松殿はそう思ったに違いない。
利家殿の顔つきに余裕はなく、疲労が浮かんでいる。
身に着けている甲冑も汚れ、乱れていて、たった今合戦が終わったばかりと言わんばかりで、ほうほうの体で逃げ帰ってきた事を物語っていた。
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