て・ん・か・ふ・ぶっ
何言ってんのよ、この人?
そんな思いで、ほぼ思考が停止気味の私の事などかまわずに、うつけの殿は言葉を続けた。
「お濃はわしの事を嫌うておるからのう。
喧嘩もしょっちゅうじゃった。
まさしく喧嘩夫婦じゃ。
ねねにまで、知られておったとはのう。
じゃが、最近は喧嘩もせんようになったわ。
お互い顔も合わさんようになってしもうたからなぁ」
何の話?
人生相談?
「元々相談だったじゃん」と、頭の中で別の私が言った。
でも、いつの間に夫婦の相談に?
て言うか、そんな事、私の知った事じゃない!
黙り込んでいる私に向かって、うつけの殿はまだ話し続けている。
「そうじゃ。じゃから、すでに夫婦とはいえんなあ。
残念じゃが、ねね。
喧嘩夫婦と言うのは、今ではちょっとずれておる事になるのう」
「は、は、ははは」
笑うしかありません。
この人と話すと何だか、疲れちゃう。
私の大切な信長様のイメージをぐっちゃぐちゃに壊してくれたと言うだけじゃなく、普通の人として話していても疲れちゃう。
肩を落として、うつけの殿をほったらかして、帰る気になった時、また冷静な私が出てきた。
「歴史変えちゃっていいの?
この人、ほっといたら、絶対天下布武なんて言わなさそうだし、織田家瓦解しちゃうかも知んないんだよ」
でも、何だか、もういいや気分。
元の世界に帰れるかどうかだって分かんない訳だしぃ。
ちょっと自暴自棄。
「織田家瓦解して、敵に攻め込まれたら、とんでもない事になるんだよ」と、冷静な私が引き留めを計る。
「織田家では許されちゃいないけど、一般的に攻め入った雑兵、足軽の乱暴狼藉、強奪、強姦、何でもあり。
それだけが楽しみな雑兵たちだっている訳だしぃ」
嫌よ。それは!
私の望みは平和よ。平和な生活。
「じゃあ、答えはひとつなんじゃないの?」と、冷静な私が言う。
私は平和が好きです!
だから、武力なんてものは持ちません。
みんなで仲良くしましょう!
なんて事言ってたって、平和は得られない。
そんなうつけはカモにされるだけ。
この戦国時代の日本国内は、私がいた時代の世界と同じよ。
攻められないだけの武力が必要なのよ。
織田家に頑張ってもらう。
それにはうつけの殿が、ちゃんとその中心にいなければならない。
私はきりりとした顔つきで、うつけの殿に向き直った。
「違いますっ!
誰が、そんなしょうもない事言ってるんですか。
夫婦の事なんか、自分で解決してくださいっ!」
人差し指を突き出した右手をうつけの殿に向けながら、ぶんぶん上下に振り回して言った。
私の勢いに圧された訳じゃないでしょうけど、うつけの殿が黙って私を見ている。
「いいですかっ!
私が言っているのは天下布武。
言ってみてください。
て・ん・か・ふ・ぶっ」
「て・ん・か・ふ・ぶ、か?」
「そうです。
漢字分かります?」
「天下に武を布くであろう?」
そう言ったうつけの殿はなんだか得意げ。
知っているぞ! と自慢かよ!
まるで子供が、ちょっとした事を知っていて自慢しているかのようじゃない。
大きな大人。それも、殿だと言うのに。
私のぷんぷん気分が沸き起こる。
「怒っちゃ、だめだよ」と、冷静な私が頭の中で言う。
そう言われてもねぇ。
「こんな事で怒ってたら、あんたもうつけの殿と同じ、子供だよ」
冷静な私の言葉に、頭の中に天秤が浮かんだ。
片方の皿には「うつけな事ばかり言ううつけの殿」、もう一方には「ぷんぷん気分な私」。
ひぇぇぇぇ。天秤が釣り合っちゃってるよぅぅぅ。
その皿から、ぴょん! と、私は飛び降りる。
大きく深呼吸をして、心を落ち着かせた。
「いいですかぁ」
ゆっくりと、静かな口調でうつけの殿に言うと、言葉を続けた。
「今、信長様は上洛を果たせる位置にいるんです。
その信長様が発する天下って言葉だけで、人は引き付けられます。
夢を見る事ができます。
目標を持てます。
その内、足利義昭だって、信長様を頼ってこられるやも知れません」
「そんな知ってる事言って、あんた予言者気分?」と、頭の中で茶化す私がいる。
そんな邪魔者はおいておいて。
「足利義昭を伴えば、京に進む大義名分だって手に入れられます。
京を手中に収めれば、ますます天下が現実味を帯びてきます。
さすれば、誰が信長様から、離れましょうや」
うつけの殿は真剣に私の言葉を吟味しているのか、腕組みをして思案気な表情。
そして、きらりと輝くような視線を私に向けると、うつけの殿は言った。
「ねねは面白い事を言うのぅ」
分かってくれたのね?
私は満足げな表情で、頷いて返した。
「仮にも武家の棟梁、前将軍の弟君を足利義昭と呼び捨てとは」
そ、そ、そこですかっ!
私の背中の筋肉が一気に消滅したかのように力を失い、私の体は前のめりになって、倒れそうになった。
確かに呼び捨てはまずったかも知んないけど。
でも、教科書には「足利義昭」って、書かれている訳で、その後ろに敬称なんて無いんだからっ!
呼び捨てに馴染んじゃってるんだから、仕方ないじゃない。
あんたは私の憧れ、「織田信長様」だったんだから、自然と「様」付けちゃうけどさ!
たとえ、中身がうつけでもっ!
「私の話、どう聞いていたんですかっ!」
私のきっつい口調に、うつけの殿がへらへら顔で返した。
「はははは。
ちゃんと聞いておったぞ。
喧嘩夫婦の解決には至らなんだが、天下布武のう。
さすが、足利義昭と呼び捨てする女子は考える事が違う」
そう言うと、うつけの殿は大笑いを始めた。
分かってくれたんだか、分かってないんだか。
それ以前に、なんだか私、馬鹿にされてるような気も。
「ねねに相談してよかったと言うものじゃ。
わしはねねが好きじゃ。
サルにはもったいない女子じゃ」
私はうつけは好きじゃないですよぅー! と、心の中で舌を出して、あかんべーをして見せた。
そんな私の心の中の反応など知る由もないうつけの殿は、私ににこりとしたかと思うと、「大義」と、一言を残して去って行った。
はぁー。と、深く吸い込んだ息を一気に吐き出すと、全身の力が抜けた。
何だか疲れたし、さあ、帰ろう。
そう思って、一歩を踏み出した時、私の耳に女の人の声が聞こえた。
「天下とはのう」
聞き覚えのある声。お市さま。
振り返ると、うつけの殿が去った場所に、お市さまが立っていた。
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