だめだ、こりゃ!
ぴんと少し上向きに伸ばした右腕の先。人差し指を差出す自分の姿。
決まった! 思わず、一人そう思い、悦に入る。
「本当にぃ? 田楽狭間だったらどうするの?」と、冷静な私が私の邪魔をする。
そう。その可能性だってある。
桶狭間の戦いの場所はよく分かっていないらしいので、言う前に迷った。
でも、賭けるしかない。
「なぜ、そう思う?」
うつけの殿の言葉に、ちょっと困った。
歴史でね。と言う訳にも行かない。
「た、た、たぶん、その辺りだって事よ。あとは人を放って調べてくださいっ!
義元は休憩してる可能性ありますから」
と、ちょっと詰まり気味に答えた。
その私に、うつけの殿は一度、にやりとしたかと思うと、大笑いを始めた。
「は、は、は、はははは。これは面白い」
な、な、何なのよ。
そう思っていると、うつけの殿が私をじっと見つめて言った。
「ねねは数にも弱いが、方角にも弱いようじゃ。
ねねが指している方角は南じゃ。
おけはざま山は、そちらには無いわ。
ははははは」
むっきぃー。サルじゃないけど、再び歯をむき出して怒る猿の気分。
確かに方角間違えたかも知れないけど、そんな事、今、大事な事じゃないじゃない。
それを取り立てて、私が方角にも弱いだなんて!
そんな事より、大事な事いっぱいでしょ!
私の口調は再びぷんぷん口調。
「そんな事、言ってる場合じゃないでしょっ!
今、私が言った事、実現できなきゃいけないんですよっ!
まず、今川勢に見つからずに、接近できるのですか?」
「そんな事は造作もない事。この辺りの地形は日々駆けて遊び回っておるからな」
そう言って、うつけの殿は再び笑いはじめた。
今川の大軍勢が迫っていると言うのに、何と言う余裕。
何やら、その姿を見ていると、背後に勝利の女神が舞っている気さえしてしまう。
もしかして、やってくれる?
そんな思いを抱く私に、頭の中で色んな私が言う。
「いえ。余裕なんじゃなく、ただの鈍感。バカなんじゃない?」
「何言ってんのよ。やってくれなきゃ、大変でしょ!」
「歴史が味方についてんだから、大丈夫!」
私もこのうつけの殿の勝利を信じ、頭の中で頷いた。
冷静な私が、そんな私をどこかで聞いたフレーズで揶揄する。
「あんたバカァ?」
た、た、確かに。そうかも。
ちょっと、自信なくなりそう。
そんな私を置いて、笑い声をあげながら、うつけの殿は立ち去って行った。
そして、世に名高い桶狭間の合戦は、歴史通り織田方の大勝利となった。
「やったね。佳奈!」と、自分で一つ褒めてみる。
私の願いは歴史を歪ませず、元の世界に早く戻る事。
そうやって、褒めてみたのは、心の奥にある不安を紛らわせるため。
理由は簡単。
私はうつけの殿に、今川義元との戦い方は教えたけど、その後の恩賞について、話し忘れていた。
戦いの後の恩賞。
当然、第一の功は今川義元の首を上げた毛利新助となるのが普通。
だと言うのに、歴史的には、信長様は義元が輿を止めた場所を知らせた梁田政綱を選んだことになっている。
うつけの殿が梁田を選ぶなんて事は考えられない。
せっかく、桶狭間の戦いを歴史どおり進めたのに、最後の詰めをミスってしまった。
その影響は?
そう思うと不安が心の中で沸き起こってくる。
気が気でない私は、ずっと清州のお城に居残って、うつけの殿の帰りを待っていた。
そして、私は帰って来たうつけの殿と対面した。
「なんじゃ、ねね。待っておったのか?」
「はい。勝ち戦、おめでとうございます」
とりあえず、これは言わなければならない。
そう言って、頭を下げた。
「うむ。これも、そちのおかげじゃ。
ある意味、第一の戦功はねねかも知れんな」
そう言って、大笑いを始めた。
そりゃあ、そうでしょ。と言う気持ちは抑え込んで、かぶりを振ってみた。
「全ては信長様のお力あっての事」
そこまで言って、言葉が詰まった。
頭の中では、このまま第一の戦功は誰にしたのかを聞くチャンスと分かってはいる。
けど、毛利新助と答えが返ってくるのが怖くて、言葉がでない。
うつけの殿は私の返事に満足しているのか、うんうんと頷いている。
得意げなうつけの殿。
なんちゅう、ばか。
この人にこそ、「あんた、バカァ?」と言ってみたい。
「して、第一の戦功はどなた様に?」
勢いとビブラート。
震えと怒りが入り混じった口調だった。
「ふむ。知りたいか?」
そこまで言って、うつけの殿は言葉を止めた。
じらし、じらしだ!
じらされている間、絶望を味わわずにすむ。
けど、不安の衣は脱ぎ捨てられない。
うつけの殿が口を開く。
聞いておいてなんだけど、耳を両手で塞ぎたい衝動。
喉の奥が乾く。
その瞬間をつかみきれず、私の目が大きく見開く。
「梁田政綱じゃ」
「へっ?」
全身を脱力感が襲う。今までの不安と緊張はなんだったの?
「なんじゃ? そちも驚いておるのか?」
「は、は、ははは」
笑わずにいられない。
私が何もしなくったって、歴史通りじゃない。
「やっぱ、私自身が歴史の一部に組み込まれてるんじゃない?
うつけの殿と二人で歴史が回っている」別の私が頭の中で、そう言ったのを激しく首を横に振って、振り落とす。
私が歴史に組み込まれてなんかいませんっ!
でなきゃ、肩の荷が重すぎます。
胃が痛くなっちゃいます。
「なぜか聞きたいか?
ここだけの話、他言無用じゃぞ」
やんちゃそうな顔つきで、うつけの殿が言った。
頷いて見せると、とんでもない事をうつけの殿は言った。
「わしは強い奴は嫌いでなぁ。
義元の首をはねるような武功を立てられる強い奴より、梁田のような奴に恩賞を多く与えてやりたかったまでじゃ」
「はい?」
目が点になっている私をよそに、上機嫌で馬鹿笑いのうつけの殿。
だめだ、こりゃ!
大きく肩を落として、私は何も言わず、うつけの殿のお城から去っていった。
そんな私の気持ちとは関係なく、今川義元を討ったうつけの殿は一躍戦国の世に名を轟かせ、家臣団たちからも、領民たちからも一目置かれる存在になって行った。
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