ラビリオ・グラースのはじまり
ラビリオ・グラースはグラース家の一人息子である。
ラビリオはおっとりした両親のもと、ごく一般的に育った。
つもりである。
今まで比較対象となる相手がいなかったので分からないが。
そんなラビリオにとって、両親とは、愛すべき存在であると同時に、理解に苦しむ存在であった。
言い表すとするなら、「鈍く、聡い」だ。
一見おっとり夫婦の両親は何処かズレているくせに妙な所で鋭い。
故にその掴み所の無さから周囲の人間から一目置かれるようになり、今に至る。
そんな両親の元ですくすく育ったラビリオは、ある日突然、言い知れない不安に襲われた。
それは、父の元に訪れた客人の一言がきっかけだった。
『お宅の息子さんは……その……随分まともですね』
それは随分失礼極まりない一言だった。
しかしその客人は、嫌味で言った訳ではなかったのは敏感な子供心にすぐに解った。あの両親の息子が余りにもまともだった為、ただ純粋に驚いたに過ぎなかった。
父はにこにこ笑って言った。
『そりゃあ、私の息子ですから』
客人はなんとも言えない表情を無理矢理笑顔の中に押し隠し、そそくさと帰っていった。
その時ラビリオは思った。
自分は、まともに育っているのだろうか、と。
✳︎
ラビリオは自身の環境について、幼いなりに考えた。
自分は恵まれていると思う。
5歳から教育を始めて1年、家庭教師の先生からは色々学んだ。
それまではラビリオの世界は、この屋敷と両親と使用人達だけで形成されていた。
教師について学ぶ内に、ラビリオの世界は広がり始めた。
礼儀を学び、いつか自分も外の世界で誰かと挨拶する事に胸を躍らせた。
文字を学び、本を読む面白さに目覚めた。
中でもラビリオを虜にしたのは勇敢な騎士や『剣聖』の英雄譚。いつか、騎士になる事を夢見て、寝る時間も忘れる程に読み耽った。
それがどうやらいけなかったらしい。
追う文字が日毎に霞むようになり始めた。
ある日、必死に目を凝らして問題を追うラビリオに、教師は恐る恐る尋ねた。
「何か、嫌な事でもあったんですか?」
いつにない教師の恐々とした声音に不思議に思い、顔を上げる。教師の顔もやっぱりぼんやりだった。
よく見ようと目を眇めてみたら、教師の肩がビクリ!と跳ねた。
しばしの沈黙。
空気は何故かどこか張り詰めたものを孕んでいた。
それを不思議に思いながらもラビリオはやっぱり霞む目を擦った。
「先生、すみません。よく見えないんです」
そこから直様医師が呼ばれ、診察を受けた。
幾つかの質疑応答を済ませた医師は後日ラビリオに眼鏡を渡した。
眼鏡をかける事でクリアな視界を取り戻したラビリオはほっと胸を撫で下ろした。
そこへ通りがかった父の一言。
「これじゃあもう、騎士になれないね」
瞬間、ラビリオは頭を鈍器で殴られたような衝撃を受けた。
父の軽〜い一言は、少年にとっては重い一言となった。
その様子に流石に慌てたのか、父が口を開いた。
「じゃあ、学者になればいいよ、ラビリオは本や勉強が好きだろ?」
それは父にとっては慰めの積りだったのかもしれない。けれど、ラビリオにとっては決定的な一言だった。
目が悪いと騎士にはなれない。
騎士になれないなら、学者になるしかない。
同年代に比べて比較的賢い部類に入るラビリオであったが、その幼さ故にそう理解した。
燻り続ける夢に蓋をし、学者を目指す。
それが後に出会う次代の女王を支え、『賢聖』の名を継ぐ「ラビオリ・グラース」の始まりだった。
(戯曲譚 『存在しない史実』より抜粋)