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ラビリオはイリーナに手を引かれながら、ぽつり、ぽつり、と話し出した。
夜中にこっそり薄暗い灯りの中で本をこっそり読み耽っていた事、そのせいで、視力が極端に落ちてしまった事。
イリーナはグラース夫妻と両親の姿を探しながら、うんうんと聞いていた。
グラース夫妻が見つからなくても、両親さえ見つければ、すぐに連れて行ってもらえると思ったからだ。
そこでラビリオの話を聞いて、ふと思い付いた事を訊ねてみた。
「ラビリオさまのばあやはわるいこはばちがあたるっておしえてくれませんでしたの?」
「ばち?」
ラビリオが不思議そうに首を捻った。
男の子と女の子ではするお話は違うらしい。イリーナは寝かしつける際の兄の話を思い出していた。
『早く寝ない悪い子は、魔人のご飯にされちゃうよ』
あまりにも軽く言われたので、一瞬理解できなかったが、理解するにつれ、兄の軽い言動と笑顔に何故か言い知れぬ恐怖を覚え、逆に眠れなかった事を思い出す。
ぶるり、と背筋を登った何かを頭を振って追い払い、ばあやの言葉を思い出す。
「そうですわ。おとなのいうことをきかないわるいこは、かみさまがそのこのだいじなものをとりあげてしまうのですって」
瞬間、何かに思い当たったのか、ラビリオの表情は絶望に染まった。
「なにか、とられちゃったのですか?」
恐る恐るイリーナが尋ねれば、こくり、と肯定なのか力なく項垂れた。
そこからぽたり、と滴が地面に落ち、イリーナは慌てた。
「きし……」
「え?」
「ぼく、きしっ……なりたかったのに……」
「なればいいじゃない!」
イリーナは先生からのお作法も忘れて思わず言い返した。
まずい
イリーナの中で焦りと共にそんな言葉が浮かんだ。
「っでもっ、めがわるいとっ……なれないって……とうさまがっ……」
ぼたぼたと俯くラビリオから大粒の涙が落ちる。
「ぼくが……ばあやのっいうこときかないぃっ……わっ、わるいこだから……」
まずい まずい まずい……。
それを見て、イリーナの動悸が焦りでますます早くなる。
二人の様子に気付いた周囲がイリーナに負かされた気の弱いラビリオと見たか、ラビリオを言い負かした気の強いイリーナと見たかは定かではないが、大人達の目が痛い。
これは間違いなく双方にとって良くない事だ。
ばあやは他に何を言っていたか、イリーナは纏まらない混乱した頭で必死に考えた。
『悪い子でも……』
そうだ!
思い出した瞬間、別の思考がそれをかき消そうとして、イリーナは慌てて口を開いた。
「わるいこも、ごめんなさいってしたら、かみさまはちゃんとかえしてくれるっていってたわ!」
イリーナとは若干色合いが異なった、緑色の瞳が大粒の涙を浮かべながら、こちらをきょとん、と見つめている。
「ほんと?」
「ほんとよ!」
イリーナは大きく頷いた。
「ぼく、きしになれる?」
イリーナの心臓が一際大きく鳴った。
今この瞬間、何らかの岐路に立たされている事をイリーナは感じた。
返事は「Yes」か「No」か。
しかし、イリーナは真っ当な5歳児らしく、思考を挟まず、反射で答えた。
「もちろん、なれるわ!」
やってしまった……。
今、目の前のラビリオの涙を止める事が優先事項だった為に口にした言葉とは裏腹に生まれた後悔にイリーナは気づかなかった。
ラビリオは大きく目を開き、ぐっと歯を食いしばり、服の袖でゴシゴシと目をこすった。
「ぼく、かみさまにごめんなさいして、かえしてもらう」
「そうね!それがいいわ!」
イリーナは無邪気に微笑み頷いた。
「っ!」
ラビリオの顔にさっと朱が登る。
女の子の前で泣いてしまった事が今更ながらに恥ずかしくなったのだろうな、とイリーナは納得する。
「さ、はやくおじさまとおばさまをさがしましょう」
耳まで真っ赤にして俯いたまま顔を上げようとしないラビリオを引っ張ってイリーナは歩き出した。