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彼女は恐る恐る鏡を覗き込む。
柔らかく色味の薄い金髪、ぱっちりとした大きな瞳は緑色。
ふっくらとした肌は白く、唇はピンク色。
「うそでしょ……」
幼女は鏡の中で呆然と呟いた。
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イリーナ・ハルベルはハルベル家の末娘である。
家族構成は父、母、兄、姉の5人家族だ。
イリーナの家族は全力で末っ子たる彼女を甘やかした。
我儘を叶え、欲しいものを惜しみなく与え、甘やかした結果、イリーナは齢3歳にして、既に肥満に両足を突っ込んだ状態にあった。
ぶっちゃけて言えば、ギリギリ「肥満」なのである。
イリーナは鏡をじっと見る。
ふっくらした手足はミニサイズのボンレスハムを彷彿とさせた。
ふっくらしたほっぺは輪郭内に無理やり収まろうと圧迫し始め、せっかくの丸い瞳が半月の形に押し上げようとしている。
着ているドレスはフリルをふんだんに使い、体型を見事に隠し……ているのか、ただでさえ丸くなりつつある身体を更に丸に見えるようなデザインだ。
今ならまだ、ドレス効果で膨張して見えるが、それさえなければ家族言う所の「ちょっとポッチャリさん」で済むだろう。
周囲の人間だってまだ、ギリギリ同意できる範囲内だ。
しかし、このまま好きな物だけを食べ、運動もほとんどせずに過ごせばソレだけでは済まなくなる。
家族は「小さい内はぽっちゃりさんでも、大きくなれば綺麗になる」などと言う根拠のない甘言を弄しているが、ポッチャリさんから綺麗になるには並大抵の努力ではすまない。
悪意なき怠惰の増長に気づかず心も身体も醜く歪んで行く自分。
その片鱗を感じたイリーナはゾッとした。
このままでは、本当にあのイリーナ・ハルベルになってしまう。
そこまで考えてイリーナは我に返り、首を傾げた。
「あのって、どのイリーナ??」
結局彼女の疑問に答えは出なかった3歳のある日。
これが全ての始まりだった。
✳︎
イリーナには時折「お告げ」が降りる。
それはいつも唐突にやってくる。
それは感情だったり、映像だったり、言葉だったり様々だ。
初めての「お告げ」は3歳の時だった。
甘やかしに甘やかされた環境に「危機感」という名の「お告げ」が降りた。
肉を減らし、お菓子はほんのちょっとだけ減らした。苦手な野菜も積極的に食べるよう心がけた。
今迄は使用人や兄や父に抱いてもらい、出ていた庭も、自分の足で歩くようになった。
父と兄は涙目だったが、使用人のどこかホッとした表情が忘れられない。
恐らく、止まる事を知らない家族の溺愛に比例するように肥え太っていく自分を心配していたのだろうと思う。
形の見えない「危機感」だけであったなら、甘える事しか知らないイリーナは、3日以内に努力を放り出し、再び怠惰な人生に突き進んでいた事だろう。
しかし、イリーナは垣間見てしまったのだ。
未来の自分を。
イリーナを抱きかかえる人間が一人から二人に増え、日増しに更に肥え太り、最終的には屈強な男達のミコシにふんぞりかえる姿を。
ミコシに担がれ、それだけ自分は素晴らしいのだ、と、この世界を治める女王様にでもなったつもりでいる愚かな姿。
家族の言うところの「オトナになったらキレイになる」どころか、滑稽にさえ見えたそれは「危機感」を通り越して「恐怖心」にまでイリーナの中で達してしまった。
直後、対処しようのない未来への恐怖にイリーナは当然ながら大泣きした。
慌ててとんで来た家族を罵り、全身を使って暴れ、力の限り泣き叫んだ。
癇癪を起こして泣き出したイリーナにうろたえ、オロオロするばかりの家族を全員部屋から追い出し、気の済むまで泣いた。
翌日、スッキリしたイリーナに降りた「お告げ」は苦行以外の何物でもなかったが、他に選択肢はなかった。
食事の時間、大嫌いな野菜を無理矢理口に詰め込み始めた娘に家族全員が目を丸くした。
庭の散策に乳母と手を繋いで歩き出したその姿に父と兄は涙と共に崩れ落ちた。
礼儀作法をキチンと習いたいと母に頼めば、まだまだ甘やかしたい盛りの母は、それでも娘の我儘に涙をのんで了承した。
お茶の時間にお菓子を一枚、姉の皿に移したら、本気で心配された。
そして努力を怠ることはたまにあったが、それでも頑張った2年。
ほっぺの肉は顔面への圧迫をやめ、ボンレスハムは調理場に下がる腸詰程度には収まった。
丸さを強調しつつあった身体は年相応の5歳児並になれたと思う。
イリーナを抱き上げる使用人が屈強な使用人にレベルアップする事がなかった事にイリーナはホッとした。
だが、イリーナの前に立ちはだかる問題はそれだけではなかったのだ。