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10,絶望の断片③

 景色が歪む。

 ある一点に吸い込まれる様に、湾曲していく。


 俺の体が、唐突な浮遊感に包まれた。


「う、おわぁぁぁぁああああああああ!?」


 機体ごと、吸い込まれているのだ、この謎の湾曲の、中心へ。


『サイファー! っ、ひ…っきゃああああ!?』

「っ、セリナ!」


 歪みに飲まれる中、俺は、見てしまった。


 いつの間にか背後から迫っていた界獣が、次々に俺の後方にいたグローリー達に襲いかかるのを。


「セリナ! セリナぁぁぁぁっ!」


 グローリーを踏ん張らせるが、ダメだ。

 少しずつ、歪みの中へと吸い寄せられていく。


「ふざけんなバケモン共がぁあああああああああ!!」


 無駄だと知りつつも、コックピット内で、手を伸ばす。


『いや、いや! 助けて、サ…』


 目の前で、1機のグローリーが、折りたたまれる形で潰された。

 そのコックピットブロックから、トマトを潰したみたいに、赤い液体が飛び散る。


 何かの、偶然だろうか。


 それと同時に、セリナとの通信が、砂嵐に切り替わった。


「せ、……り、な……?」


 応答は、無い。


 ただ、ザーという、無機質で不快な音が、響く。


 浮遊感が、増す。

 歪みの中へ、吸い込まれていく。


「は、はは……」


 視界が光に包まれていく中、俺は、呆然と虚空に手を伸ばして硬直していた。

 手が、虚しく虚空を掴む。


 ……ああ、夢だ。これは。

 セリナが、死ぬはずが、無い。


 だって、あいつは、約束を破った事なんて、1度も無いんだ。

 俺がいくら約束を破っても、あいつは、絶対に約束を破った事は無かったんだ。


 絶対に待ち合わせに遅刻なんてしないし、すっぽかすなんて有り得ない。

 例え酷い風邪にかかったって、俺との待ち合わせに無理して来る様な奴だ。

 ガキの頃に「大人になったらおっぱい揉ませてあげる」なんて約束をした事を本気で後悔しつつも、泣きながらきっちり実行しようとした奴だ。


「いつまでも一緒だよ」なんて約束を果たすために、俺と一緒に軍隊に入った奴だ。


 どんなくだらない約束だって、意地でも遂行する奴なんだ。


「ははは……は、ははは……」


 互いに、生きて帰ろう。


 つい3日前の約束だ。

 もう忘れたなんて言わせない。


 だから、夢だ。


 いつまでも一緒なんだろ、互いに生きて帰るんだろ?

 あいつは、約束を破らない。

 だったら、死ぬわけ無い。


 そうだ。これは、夢なんだ。

 悪い夢だ。


 忘れろ。忘れろ。忘れろ。忘れろ、忘れろ、忘れろ忘れろ忘れろ忘れろ忘れろ忘れろ忘れろ忘れろ忘れろ今見たのは全部夢だ覚えている必要なんてないなんてくだらない夢だろうか不愉快ださっさろ忘れてしまおうそうだそれが良い良いに決まってるさぁ忘れよう俺はただ悪夢を見てしまっただけなんだ。


 だって、セリナが死ぬなんて、有り得ない。


「はは、は……はははははははは!」


 そこから先の意識は、無い。






 そうだ。


 俺は、知ってたんだ。


『サイファー?』


 あの時、もう知ってたんだ。

 それなのに、自分を騙していたんだ。

 記憶まで、操作して。


 思い出そうとする度、頭痛を引き起こしてそれを阻害した。


『サイファー、どうしたの? サイファー!』


 何もかも忘れて、能天気に振舞って、辛い現実から逃げようとしていたんだ。

 都合の悪い記憶を全部削除して、都合の良い様に補完していただけなんだ。


 知ってたくせに、馬鹿みたいに、「セリナに早く会いたい」なんて、考えていたんだ。

 知ってたくせに、あの時、扉の向こうにセリナがいる事を祈ったんだ。

 知ってたくせに、あの時、早くセリナを探しにいかなきゃ、とか考えてたんだ。

 知ってたくせに、あの時、セリナもどこかで安穏と生きてたらなぁとか……


『サイファーってば!』

「……はは……」

『!』


 そうか、そうだ。

 ああ、そうなんだ。

 そういう事か。


 それが、どうした。


『サイファー……?』

「ははは、ははははははははははははは!!」

『サイファー……っ、何これ……!?』

「はははははははははははははははははははぁああああああああああっっ!」


 周囲の景色が、紅く染まっていく。

 俺の心に空いた穴から溢れる血液が、世界を満たしていく様な、そんな錯覚をする。


『サイファー!? こんなの、サイファーらしくないよ! こんな……』


 頬を、何かが伝ってる。

 何だろう。

 わからない。

 俺はどうすればいい?


 わからない。


 とにかく、心臓が熱い。焼けてしまいそうだ。

 この衝動を、どうにかしなきゃ。

 苦しい。全身が弾け飛びそうだ。


 ブチまけよう。とにかく、ブチまけよう。

 この衝動に任せて、全部ブッ壊そう。


『サイファー!』


 もう、何も見えない。

 何もわからない。


 何も考えたくない。


『サイ……』



 何も、聞こえない。







「サイファーさん……遅いですね……!」


 巨大界獣と交戦するクラコ。

 先程までのやや余裕のある態度はもう見受けられない。


『ちょっぴりキツくなってきたねぇ……!』


 厄介な事に、巨大界獣の動きが、徐々にキレを増しているのだ。

 まるでさっきまでは産まれたばかりの赤子で、少しづつ能力が開花し始めている様な、そんな感じだ。


 さっきまでは明らかに動きが違う。

 殴る蹴るの単純な動きの複雑化に加え、ジャンプや回避行動も織り交ぜてきた。


「……高エネルギー反応……!?」


 ポイントは、界獣の口内。

 そこから、紫色の熱線が、クラコが駆るトゥルトゥタスへ向け放たれる。


「っ……!」


 直線的攻撃。回避は訳無い。

 問題は、こちらの攻撃が全く通じない、という点と、通じてもすぐ再生される、という事だ。


「まだですか、サイファーさん……!」


 界獣の体内に入った途端、ムルシェとの通信が途切れ、その反応もロストした。

 最悪の予想が、クラコとコタロウを襲う。


『エネルギー残量的にヴァーラヒガントゥスは撃ててあと1回……まぁガス欠墜落覚悟すれば2発は撃てるけど……』


 当然、そんなのでは手が足りない。


『不味いねどうも……! 総司令もまだ鬼と戦ってるみたいだしさぁ……!』

「弱音を吐いてはいられません」


 これ以上、サイファー達をアテにし続けて回避に徹するのは危険か。

 新たなプランを考えなければならない、とクラコは思考を回転させる。


「……ここは、退くべきですかね」


 現状、ここにある戦力で、これをどうにかできるとは思えない。


『ってもクラコちゃん、サイ達は……』

「……余り、考えたくはない事ですが……」


 界獣の体内はまさに未知。

 そこに侵入し、通信が途絶えて反応もロスト。

 リアクションも無し。


 希望的観測は難しいだろう。


「…………」


 体内へ侵入する様に指示したのは、クラコだ。

 それで、思う事がない訳ではない。

 できれば、「可能性は低い」などという考えは持ちたくない。

 今すぐ界獣の腹をカッさばいて、サイファー達を助けるプランを考えたい。


 でも、それは現実的ではない。

 指揮官の仕事は、常に変化する状況に合わせて、『最善と思われる選択』をする事。


「……ここは私が請け負います。コタロウさんは総司令の援護に」


 エスパドスの次元干渉と刀剣武装なら、この界獣をどうにかできるかも知れない。

 そのためには、総司令にさっさとこちらに来てもらう必要がある。


 その意図を汲んでくれたのだろう。コタロウは少し躊躇いつつも「了解」と返答し、この戦域から離脱した。


「……さて、更に厳しくなりますね」


 今まで2方向に分散していた攻撃が、1方向に集中する。

 ブチかますだけかまして撤退するのが基本スタイルのトゥルトゥタスで、どこまで持たせられるか。


 界獣の瞳が、トゥルトゥタスを捉える。


 来る、そう思いクラコが身構えた、その時だった。



 界獣の口から、大量の血液が溢れ出した。



「!?」

「ぼ、ふ、ぁ…?」


 界獣も、何が起きたか理解できていない様子だ。


「ぼ、ああああぁぁあああぁあああああああああああぁぁぁぁああああっ!?」


 突然、界獣がもがき出す。

 腹を押さえ、のた打ち回る。


 その理由は、すぐに判明した。


 界獣が抑える腹、その反対側。

 背中の肉を突き破り、何かが飛び出した。


「あれって……」


 それは、紅く光る人型ロボット。


「ムルシェちゃん……!?」


 装甲だけじゃない、翼やマントも紅く染まっている。

 だが、確かにそれはムルシェ・ラーゴ、そのロボット形態だ。


「聞こえますか、サイファーさん!」


 通信を送るが、返答はない。

 サイファーもムルシェも、応答しない。


「サイファーさん!」

『う、……おおおおおぁぁぁあああああああああああああああああああああああああああああああああああああっっ!!』


 サイファーの、絶叫。


 紅いムルシェが、動く。

 紅い光の尾を引いて、界獣へと突進する。


「ぼあがああああああああああ!」

『ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!』


 界獣とサイファーの雄叫びが交差する。


 界獣が振り上げた拳。

 それを、紅いムルシェはモロに食らう。


 ムルシェの装甲に、亀裂が走る。


『きゃうあぁああああああ!?』

「ムルシェちゃん!」


 通信に、ムルシェの悲鳴が乗る。


『がぁああああああああ!!!!』


 ムルシェの悲鳴に構う様子の無い、サイファーの叫び。


 界獣の拳へ、紅いマントの刃を突き立てる。

 刃はその厚い毛皮を突き破り、内から界獣の拳を切り刻む。


「ぼぅぎゅあっ!?」


 しかし、その拳もすぐ再生を開始。

 それを待つ事なく、ムルシェが動く。いや、動かされる。


 無茶苦茶にマントの刃を振り回しながら、界獣の全身を切り付けていく。


 それを叩き落とそうとする界獣の拳。

 サイファーは何を考えているのか、回避せずにその拳を迎え撃つ。


 確かに、あのマントの刃は界獣の拳を切り裂ける程に威力が上がっている。

 だが、瞬間的に粉微塵に刻める訳では無い。


 刻まれながらも直進する拳が、ムルシェに直撃。

 装甲の亀裂が、更に広がる。


『あうっ……』

「ムルシェちゃん! っ……サイファーさん! 何を考えているんですか!?」

『い、いいの……クラコ……!』

「!」

『……私、頑張るから……!』


 ムルシェはそのダメージを気にせず、全速力で舞う。

 いや、舞わされている。


『こいつ、サイファーを泣かせた……! サイファー、ずっと、ずっと泣いてる……』


 だから、


『サイファーが泣き止むまで……私は、サイファーのために戦ってあげるの!』


 サイファーのために、サイファーの思うままに、戦う。


『そしたらきっと、サイファー、笑って……あぁうっ……! 笑って、くれるから!』


 一撃食らうたび、悲痛な声が、ムルシェの口から溢れる。

 それでも、ムルシェは飛び続ける。戦い続ける。

 強制されている。でも、望んでいる。

 サイファーのために。


 そのアイカメラから、血の様な液体が、溢れ落ちる。


「そんなの……そんなのおかしいですよ、ムルシェちゃん……!」


 悲鳴、雄叫び。悲鳴、雄叫び。

 その繰り返し。


 界獣が、その口から何かを放つ。

 それは、翼の生えた異形の化物達。

 全長3メートル程で、鋭い牙が生えた、蛇の様な飛行する化物。


 その群れが、ムルシェに集る。

 紅いマントの刃が、それを吹き飛ばすが、間に合わない。


 刃の防衛線を越え、化物達は何匹も、何匹も、ムルシェの装甲へかじりつき、むしり取る。


 一際大きな悲鳴が上がる。

 それでも、サイファーは戦い方を変えない。


「サイファーさん……あなたには、聞こえないんですか!? ムルシェちゃんの悲鳴が!」


 返ってくるのは、変わらぬ雄叫び。

 それでも、クラコは訴える。


「あなたには、わからないんですか!? ムルシェちゃんが……ムルシェちゃんが泣いているんですよ!?」






 壊す、殺す、切る、貫く、叩く、潰す、壊す、壊す、壊す、殺す。


 こいつだ。

 こいつが、何もかも悪いんだ。


 ぶっ壊す、ぶっ殺す。絶対、こいつだけは。


 そうだ、そうすればきっと俺は、スッキリする。

 きっと、この苦しさから開放される。


 だから早く死ね。早く壊れろ。


 苦しいのは、嫌だ。

 辛い。早く、楽になりたい。


 早く俺を、助けてくれ。


 助けて、くれ……


『……しい……ですよ……』


 何か、聞こえる。


 うるさい。俺は今、苦しいんだ。助けて欲しいんだ。

 喚いてないで俺を助けろよ。

 誰でもいいから、早く。


『……聞こえないんですか…!? ……の……悲鳴が!』


 うるさい。

 俺は、俺は、早く、この苦しみから……


『あなたにはわから……ですか!? ………ちゃんが……』


 助けてくれよ、誰か……

 親父、お袋、兄貴、リウラさん、クラコ、コタロウ、サヤカ、誰でも良い。

 助けてくれ、セリナ、お前は、お前なら、助けてくれるんじゃ……


『ムルシェちゃんが、泣いてるんですよ!?』


 ムルシェ……?





「……あ?」


 どこだ、ここは。

 雨が、俺を濡らす。


 曇天に覆われ、雨が降り注ぐ暗い更地。

 そこに、俺はただ1人立っていた。


 俺は、今まで何をしていた?

 混乱しているのか、思い出せない。


 ここは、どこなんだ。

 俺は、何でここにいるんだ。


「……痛いよぉ……」

「!」


 聞こえた、少女の声。

 悲しみに震える様な、か細い声。


 振り返れば、少し離れた場所で、ムルシェが泣いていた。

 地面に座り込んで、泣いていた。


 その小さな体のいたる所から、血を流して。


「痛いよぉ……」

「む、るしぇ……?」

「! サイファー……!?」


 俺に気付き、ムルシェはビクッと体を震わせた。

 慌てて、その頬を伝う涙を拭い去る。


「私、大丈夫だよ」

「……え……?」

「少し痛いくらい、我慢できるよ」


 その全身から溢れ出る血は、少し痛い程度の傷では無いだろう。

 熾烈に降り注ぐ雨すら、その血を洗い流せない。どんどん溢れている。


「お前……」

「だから、サイファー、泣かないで」

「!」


 雨のせいで、気付かなかった。

 俺の頬を、涙が伝っている。


「私、頑張るよ。約束だもん。ギブアンドテイク」

「約……束……」

「サイファーが私に優しくしてくれる分、私、サイファーのために戦うよ」


 ムルシェは涙を必死に堪え、歪んだ笑顔を浮かべる。


「頑張るから。だから、サイファー、そんな顔しないで。私はサイファーの力になるから」

「お前、だって、そんな……」

「サイファー、復讐、したいんだよね。あのデッカイのに」

「っ!」

「私、壊れても良いよ。あのデッカイの倒して、サイファーが笑ってくれるなら」


 復讐。


 俺は、それがしたかったのか。


 そうだ、セリナ。

 セリナが、死んだ。

 界獣に殺された。

 だから、界獣を殺したい。


 ……そのためなら、ムルシェが壊れてもいいのか?

 ムルシェが死んでもいいのか?

 ムルシェが、泣いてもいいのか?


 ムルシェは変身できる事以外、ただの少女と変わらない。

 ついさっき、そんな事を考えてたばかりだ。


 それなのに俺は復讐のために、その少女を消耗品として使い潰すのか?


「ほら、サイファー。私を使って、あのデッカイのを……」


 俺は、ムルシェのその小さな体を抱き寄せた。


「……サイファー?」


 こんな事して、何になる?

 ムルシェの傷が治る訳じゃない。その涙が止まる訳でも無い。


 それでも、そうせずにはいられなかった。


「……ごめん……」


 俺は、馬鹿だ。

 どこまでも、馬鹿だ。

 底抜けの馬鹿だ。


 何度も、セリナに呆れられた。笑われた。怒られた。

 俺は、また、セリナに怒られる様な事を、する所だった。


「意味、無ぇじゃねぇか……!」


 復讐は、確かにしたい。

 セリナを殺した化物を、このまま放っておくなど冗談では無い。

 大事なモノを奪われて、黙っていられるか。

 絶対に殺してやる。


 でも、そのためにまた大事なモノを失っては、意味が無い。


 俺に取って、ムルシェは家族なんだ。

 この世界で唯一の家族だ。

 大事なモノ、なんだ。


「サイファー、泣かないで」

「泣いてんのは、お前も一緒だろ……!」

「私、泣いてないもん」

「嘘つけ……!」

「嘘じゃ…ないもん……」

「もう……良いんだ……!」

「!」

「もう、たくさんだ!」


 何で、飛ばされたこの世界でまで、大事なモノを奪われなきゃならない。

 今まで散々奪われただろうが。

 友達も、家族も、大切な人も、日常も、思い出の場所も、何もかも。


 その上、今度は自分から失うのか。

 俺を頼りにしてくれる、俺の事を想ってくれている、新たな、そして唯一の家族を。

 そんなの、冗談じゃない。


「もう奪わせねぇ……失わねぇ……!」


 絶対に、もうムルシェに痛い思いはさせない。

 できるできないじゃない。させない。

 俺はもう、絶対にこの子を泣かせない。


 セリナは、死んだ。でもムルシェは違う。

 失ったモノを嘆く暇なんて、俺には無いんだ。

 その時間を使って、今残っている大切なモノを守る。

 守ってみせる。


 じゃないと、きっとまたあいつに怒られちまう。


 ……でも、俺にはそんな力は無い。

 守るための力が、圧倒的に足りない。


「俺は、お前を使ったりなんか、しない」

「サイファー……でも……」

「ムルシェ!」

「!」


 俺には、守るための力が無い。

 だから、


「俺と、『一緒に』戦ってくれ」

「一緒に……」

「もう、絶対に泣かせねぇ。だから、力を貸してくれ……!」

「…………うん、いいよ」


 もう、ムルシェを泣かせない。

 そして、この子の願望も叶えてみせる。


 泣かないで。そんな顔しないで。


 ああ、上等だ。

 一撃たりとも喰らわずに、ムルシェと共にあのバケモンをブッ殺してやる。

 復讐を、完遂してやる。

 そして、心の底から笑ってやる。


「ありがとな……」


 雨が、止んだ。

 世界に、光が満ちる。


 止まない雨は無い。光が差せば闇は晴れる。


 例え大切なモノを山程失ってきたとしても、全て失った訳じゃない。

 それに気付けば、人は希望を見い出せる。

 絶望に沈もうと、一筋でも希望が見えるのなら、人は立ち上がれる。


 悲惨な運命を、理不尽な不幸を、嘆く暇は無い。

 失ったモノばかりを数え、もう無いモノを求めている暇など、ありはしない。


 そんなもん、死んだ後でいくらでも考えればイイんだ。

 死んだ後で、いくらでも後悔すればいい、嘆けばいい。


 生きてる内は、歩みを止めるものか。

 死ぬまで、ちゃんと前を向いて生きてやる。


 まずは、復讐だ。あの界獣をブッ殺す。

 そうしないと、腹の虫が収まらない。

 そんでそれが終わったら、セリナの…いや、皆の墓を造ろう。

 その墓前で、ムルシェにバレない様にあと1回だけ、泣こう。

 それで、最後にするんだ。


 俺の心の中で、ケリを着ける。

 きちんと納得しなきゃ、俺はきっと、2度と笑えないから。


 受け入れるんだ。セリナのいない現実を。


「行こう、ムルシェ」

「うん!」



 黒い嵐が吹き荒れる。

 俺のこれまでの人生で、最も重要な戦いが、始まる。


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