夢と現実と 2
少年が眠ったまま一日が過ぎた。
クロードが言うには、極度の緊張と疲れ、痛みから解放されたことで一気に反動が来たのでは。ということだった。
二、三日は眠っていてもおかしくないようだ。
今はクロードが普段使っている部屋ではなく、客間に移動している。
あの部屋は衛生面的に悪いだろうから、という理由でクレアちゃんに却下された。
部屋の主は酷く落ち込んでいたけど、しょうがないと思ってしまった。
「リオンさん、荷物はこちらに置いておきますね」
「あぁ、ありがとうクレアちゃん」
「いえいえ。それで、あの子の様子はどうですか?」
「今のところ大丈夫そうだよ。ただ眠ってるだけで」
「そうですか」
どこかほっとしたような様子でクレアちゃんは部屋から出て行った。
「傷は完治したし、あとは目が覚めるのを待つだけなんだよな」
背中の傷は跡形も無く消えていた。
ルーチェの魔法はどんな傷でも治すことが出来る。そう、傷だけなら。
身体に出来た傷は治すことが出来ても、精神的な傷を癒すことは出来ない。
精霊は侍やエルフのように死ぬという概念がない。それ故に、恐怖というものが解らないらしい。
実体を持っていない魔力だけの存在。形を創ることは出来ても器がないので人のようにはなれない。
魔力が無くなれば消える。それが精霊たちにとっての死に近いもの。
本当かは精霊たちにもよくわからないらしい。
気づけばこの世界に生まれていた、不確かな存在。それが精霊だ。
「魔法も万能ってわけじゃないしな」
未だ眠り続けている少年の近くに椅子を寄せて座る。
じっと少年の顔を見ても起きる気配は無い。
特にすることも無いので、机の上に無造作に置いてある内の一冊の本を手に取る。
実はこの本、クロードが持ってきてくれたものだったりする。変な所で気が利いているのはなぜだろう……。
手に取った本を開いてみる。
題名は「せかいとかみさま」、今で言う桃太郎とか赤ずきんちゃんみたいな有名な昔話だ。
俺も小さい頃はよく読み聞かせしてもらった。
懐かしさを感じながらぱらりとめくる。
『なにもない まっくらなせかいに ひとりのかみさまがいました。
かみさまは ひとりぼっち でした。
あるとき かみさまは おもいました、
「ひとりぼっちは とてもさみしい」
そこでかみさまは もうひとりの かみさまをつくりました。
もうひとりの かみさまはいいました。
「いっしょに せかいを つくろう」
ふたりの かみさまはまず うみをつくりました。
うみだけだと なにもすめないので つぎに りくをつくりました。
そうすると うみには さかながうまれ、
りくには どうぶつが うまれました。
それをみた かみさまは とてもうれしくなりました。
そこで やまを かわを もりを こうやを、
つぎつぎに いろいろな すみかをつくりました。
きがつくと ふたりのかみさまが つくったせかいは、
せいめいに みちあふれていました。
しぜんのゆうだいさ いのちのとうとさに かみさまは なみだを ながしました。
ふたりのかみさまの なみだから エルフと さむらいが うまれました。
かみさまから うまれた エルフは まじゅつを
かみさまから うまれた さむらいは ちからを
とくべつな のうりょくを もっていました。』
『エルフと さむらいは ちからをあわせて、
ふたつの おおきなくにを つくりました。
ひとつは エルフがすむ まのくに、
ひとつは さむらいがすむ わのくに。
ふたつのくには とても おおきくなりました。
こうして いまのせかいが つくられたのです。』
どこにでもあるような、そんな昔話。
これが、この世界では神様によって世界は創られたことになっている。
俺は別にこの考えを否定するわけではないが、真実とは思うことが出来なかった。
「神様なんて、いるわけがないのに」
今ではこの話も、二つの国によって作り替えられている。
とある戦争が理由で、この‘真実の物語’は伝えられなくなっていた。
どちらにも都合のいいように、話はどんどん捻じ曲げられていった。
その話も、一概に間違いということは出来ないのだから、なんだかおかしな話だ。
神様が本当にいるとするなら、もっとこの世界の本当の部分を見てくれ。そう思わさざるをえない。
あんたらが見ているのは表面だけ。輝かしく着飾った、嘘だらけの世界。
裏面を見もしないで、綺麗な世界だとか思ってるのなら、こんな世界壊してくれ。
もう、あんなことになる未来は見たくないんだ。
「……何、考えてんだろ」
らしくも無い。
いつまで過去に怯えているんだろう。
「馬鹿みてぇ」
呟いた言葉は、小さな部屋に大きく響いた。
「……ぅ」
「あ、」
少年の呻き声にはっ、と我に返る。
よくよく見てみれば、夢でも見ているのか、魘されているようだった。
何かから逃げようとしているのか、必死にもがいていた。
縋るように、枕の端を握り締める。
「……っ、か、ぁさ」
「!!」
泣き出しそうに歪んだ顔が、‘ ’に重なって見えて。
持っていた本を机に置いて、少年の頭をゆっくりと撫でた。
せめて、何も出来ないけど、少しでも悪夢から解放されるように。
俺が出来るのは、これくらいしかないから。
想いが伝わるように、優しく、ゆっくり、丁寧に。
「大丈夫、ここにいるから」
「一人じゃ、ないから」
その言葉は、誰に向けたものだったんだろう?