出会いは路地裏で 2
早くこの裏路地を抜けなくては、‘奴等’に追いつかれてしまう。
今は何とか逃げ続けているが、そろそろ見つかってしまうだろう……。
まさかこんな早くに行動を移すなんて、自分の考えていたよりも事態は悪かったらしい。
「確か、この道を抜けると少し開けた場所があったはず……!」
なんとか見知った道が見えてきた。
ここで気を抜いてしまうといけない、と思い走るスピードを上げる。
表通りに出てしまえば迂闊に襲うことは出来ないだろう。これでもこの国の王子である自分を国民の目の前で殺してしまえば一気に評判が悪くなるだろう。
絶対王政であるといえども、国民全員に反乱を起こされると鎮圧することも難しい。
唯でさえ戦争を繰り返していて若い人手が少なくなっているのに税は上がる。国民の不満は募るばかりだ。
まぁ、自分は関係ないといえば直接的には関係ないだろうけど。
王子といっても五番目で、他国との政略結婚の道具にされて国と国とのパイプを繋ぐだけの存在であった。だから言ってしまえば捨て駒のような存在。
他国といっても和の国に奴隷のようなものとして渡されるのだろうけど。魔の国のエルフは魔術を使って容姿を変えることが出来るから、相手の望むものになることが出来る。
それが和の国の重鎮たちには魅力的に映るのだろう。そういう対象として。
だからそんな王子が殺されたからといって国の何かが変わるわけでもないだろう。
……このまま考え続けると悪い方向にしか進まなくなってしまいそうだな。
そんな思考を捨てるようにゆるく頭を振った。
考え事をしているあまり、周りへの注意が疎かになっていることに気がつかなかった。
「いっ!?」
「っうわぁ!?」
誰かに思い切りぶつかってしまった。
しかも結構な勢いで走っていたこともあって、派手に転んで運悪く頭を地面に強打してしまった。
思わず自分が焦っていたことも忘れて頭を抱えてしゃがみ込んだ。
「あー、大丈夫ですか?」
しばらく悶えているとぶつかったであろう人が声をかけてきた。
「だ、大丈夫です……」
痛みを堪えてなんとか返事を返した。
これは結構辛い。相手にばれないように少しだけ治癒魔術を使った。無駄遣いとかは気にしない。
「どうぞ、立てるかい?」
「あ、ありがとうございます」
差し出された手につかまろうとして顔を上げると青年の顔がよく見えた。
その髪の色は黒だった。
そのことに一瞬素で驚いてしまった。
黒い髪は侍である証拠。けれど、クライシス王国に入るには魔力があることが絶対条件だったりする。
もしかすると光の加減によってただ黒く見えただけなのかもしれない。
よくよく見てみれば黒に近い青だった。深海の底のように暗い色。
目は燃えるような紅色なのだから侍であるはずがない。
勘違いをしたことに気が付いて素直に青年の手を取った。
立ち上がらせてもらってから、自分が‘奴等’から逃げていることを思い出した。
周りを見回して怪しい人影がないことを確認して、少し安心した。
小さく息を吐き出して緊張を少し和らげようとした。まぁ、あまり変わらないのだけど。
「ぶつかってしまってすみません」
事故とはいえ、周りに注意をしていなかった自分が悪いので素直に謝る。
「いいよ、気にしないで。こっちもぼーっとしてたしね」
いかにも好青年という見た目で苦笑しながら気にしないでくれと言われた。
……この人は騙されやすそうだな。というか押しに弱そうというか、人の頼みは断れないタイプの人だな。
城にいた世話係をしていたメイドと同じような雰囲気がある。結局は裏切られたんだけどな。
「すみません、ありがとうございます」
あまり思い出したくないことを思い出してしまった。
私の味方は母様だけだ。それ以外は皆、敵だった。
今更そんなことを思い返したって過去は絶対に変わらない。私が、‘私’である限りは。
「ずいぶんと焦っていたようだったけど、どうしたんだい?」
「そ、それは……」
まさか‘奴等’に追われている途中だなんて言える訳がない。
なんとか言い訳をしないといけないと、と思っても混乱した頭ではいい考えが浮かぶはずがなかった。
一度冷静になってしまえば、‘奴等’がいつここを突き止めてくるのかが気になって考えがさらに纏まらない。
つい、周りが気になって視線をあちらこちらへやってしまう。
「道に迷ったとか?」
「それはありえません」
これだ!と言わんばかりの笑顔で言われたことを否定した。
青年はそんな風にキッパリと否定されるとは思っていなかったらしく、しょんぼりとうな垂れた。
……そんなに凹まなくてもいいだろう。たかが子どもに否定されたくらいで。
そのおかげで張り詰めていた緊張が少しほぐれた。これには青年に感謝しないとな。
いつもの調子を取り戻し始めた私は当初の目的通りに表通りに行こうとする。
「あの、急いでいるので僕はこれで」
「あ、あぁ」
落ち込んだままの青年に声をかけてから表通りに続く道を歩き始めた。
緊張を解してくれたお礼も込めて頭を下げた。王族は簡単に頭を下げてはいけないと教え込まれていたけれど、もう王族ではないと言って良いくらいだからこれくらいならいいだろう。
さて、これからどうしようか。
宿に泊まるにしても手持ちは銀貨と金貨しかないし、もしも、指名手配されてしまえばすぐに居場所がばれて捕まるだろう。
このまま王国の外に逃げたとすれば一瞬で殺されてしまう。
……なにか良い方法はないのだろうか。
マントを羽織っていても中に着ている服は城で着ていたものだし、新しい服を買おうにも細かいお金を持っていない。
こんなことになるならもっと準備をしておけばよかった……!
「みぃーつけた」
ふと、背後から女の声がした。
全身が真っ黒な服で覆わたいかにも怪しい服装をしている奴がいるんだろう。
私を追っている‘奴等’の仲間。
まるで子ども同士でかくれんぼをしている時のように、ただ、ただ、楽しそうに声をかけてくる。
「っ!!」
思わず走っていた足を止めて、後ろを振り向いた。
「だめだよー?かくれんぼわぁ、ちゃんとかくれてないと」
ゆっくりと近づいてくる女は子どものような舌足らずなしゃべり方をしていた。
そのしゃべり方とは裏腹に似つかわしくない武器を両手に持っていたが。
「まぁ、かくれたってぇ、むだなんだけどねぇ?」
「くそ、もう追いつかれたのか……!」
「あっはは!ざぁーんねん、おうじさま。
あなたわぁ、どぉせにげられないんだよ?この‘世界’のこと、なぁーんにもしらないんだもん」
くすくすと、女は楽しそうに笑っていた。
私は逃げることが出来ないと、何も知らないからと。
心の奥底で引っかかっていたものが取れた。
「そうか、だから城の者たちは一般教養をあまり教えなかったのか!」
考えてみればおかしい事に気が付いた。王族だからといって礼儀作法だけが必要であるとは言えない。
国民を導く者として、国民の視線に立って物事を考えることが大切であると教えられていたのに、一般的な知識がほとんどない。
一般教養を教えなかったのは、この国に必要なかったから。
万が一城からの脱走を図ったとしてもお金の使い方や街の地理などをわかっていなければ逃げ出したって見つかってすぐに城へ連れ戻されてしまう。
もし、‘私’でなかったらなんの疑問も持たずにそのまま暮らしていたのだろう。
‘私’が‘僕’でなかったら気づくことはなかった。
考える、ということすら奪われていたのかもしれない。
ただ、国のために何も知らないまま死んでいた。
都合のいい人形のように使われたのだろう。
そう思った瞬間冷や汗がどっと流れた。この国はおかしい。
いや、この世界がおかしいんだ。
違う‘世界’を知っているからこそわかった。
違う‘世界’を知らないからこそわからない。
「狂ってる、この‘世界’は」
「あれぇ?きづいたの?」
女はまた楽しそうに笑い出した。
それはそれは、とても楽しそうに。愉しそうに哂っていた。
「じゃぁ、きづいちゃったんだから、殺さないと、ねぇ?」
気づいたら私は走り出していた。
あの女から逃げるためなのか、‘奴等’から逃げるためなのか。
それとも、‘ ’から逃げるためなのか。
「こんどわぁ、おにごっこするのぉ?
いいよぉー、いーっぱい、あそぼぉ?」
気づいてしまったからこそ、‘奴等’は‘私’を殺すのだろうか?