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不折のクラウ・ソラス

仮面の下の毒薬

作者: C・E・ハイル

題名通りのやや物騒なお話になっております。人が死んだりするのが苦手な方は一応お控えください。

 ――――司書は語る。


『 あるところにある大陸がありました。大陸にはルチレーテッドという王国が栄えていました。その国は騎士団と軍によって平和を保っていました。 』


  ――――フレームの両端を押し上げて眼鏡を直す司書は微笑んだ。開いた本を閉じて、図書館世界の来訪者に差し出す。


「興味が湧いたのなら、読んでみるといいですよ。この話の時期のルチレーテッド国は、まだ平和だったようです。そう、まだ、ね。原作者はC・E・ハイル。翻訳者は小田原(おだわら)鬼言(きごん)。題名は……、」



【仮面の下の毒薬】



 ――――司書は困ったように眉尻を下げて付け足した。


「彼の愚かさに気付くことは容易だとは思います。しかし、この話を読んだだけでその度合いがどの程度かということに気付くのは、困難を極めると思います」



――――――――――――



 ヴァンノーレ家は由緒正しい騎士の家である。ルチレーテッド王国に生きる者の内で、一生で一度は聞くであろうその姓は、彼にとって邪魔以外の何者でもなかった。

 ヴァンノーレ家の次男フォールは、己の生を良いものと思ったことはなかった。あまり継ぎたくもないのだが、長男のように家を継ぐことは出来ないし、姉のように軍人として成功するような魔術もなかった。自分にあるとすれば、騎士の名家ヴァンノーレの次男の称号と兄より秀でた剣術だけだった。その剣術も、同じ騎士の名家ガードナーの不良息子に惨敗する始末。彼よりも強いと聞いた男は騎士団の一番隊隊長であったが、勿論負けた。

 騎士団の三番隊隊長から上に這い上がることは、無理なのだと思い知らされた。

(剣術を頑張ったって、)

 自室に籠もるフォールは、目を細めながらも窓から差し込む斜陽を直視した。眩しい。目と共にカーテンを閉める。瞼の作り出す闇に斜陽は焼き付いていた。

(結局俺は、次男という生まれからは抜け出せないんだ)

 白いワイシャツのボタンに手をかける。沸々と湧き上がる苛立ちが脳を覆い尽くして、ボタンさえも弾き飛ばしたい衝動に駆られる。脱ぐのにいちいちボタンをとるのすら面倒臭い。何とか抑えて、フォールは着替えを始める。


 今宵は、王城にて仮面舞踏会が開かれる。


――――――――――――



 金の装飾の施された黒いファントムマスクは、目元は隠せてもフォールの顔が端正であることは隠しきれなかった。

 ルチレーテッド王にヴァンノーレの姓を賜ったヴァンノーレ家初代当主は、ルチレーテッド国とは異なる独特の文化や流儀の根付いた街・コウクウの出身であったらしい。それを証明するように、ヴァンノーレ家は皆黒髪に黒目である。フォールも勿論その通りなので、周りと違うそれらを誇った時期もあったが、今は華やかなプラチナブロンドが羨ましくて仕方がない。

 黒髪が地味な分、服は派手な色を選ぶ。血のような淀んだ赤ではない。薔薇のような鮮やかな赤。


 魔力の結晶による灯りが夜の王城を昼の王城の如く明るくさせていた。フォールが歩けば仮面の女性は彼を目で追う。ファントムマスクで隠しきれぬ魅力、マスクがあるからこその、ヴァンノーレの次男の称号がないからこその魅力に、女共は酔いしれ、仮面の一夜をフォールに捧げ、遊ばれた。ただ、それだけだった。

 フォールを夢中にさせてくれる女は中々現れない。そんな女は、こんな仮面舞踏会では見つからないのだろうか。そう思いながらも、毎回仮面舞踏会に参加する。

 そんなフォールの、ファントムマスク越しの黒い目を奪ったのは、黒髪の……フォールのそれよりもずっとずっと美しい、長い黒髪の美女だった。

 フォールは思わず立ち止まり、美女に見とれた。纏め上げられた艶やかな黒髪、白く細いうなじと数本の後れ毛、シンプルな紫色のドレス、すらりと伸びたその体つき。女性では身長の高い方に入るだろう。

 彼女はたくさんの仮面人間達がいる開けた方に背を向け柱に寄り添い佇んでいた。憂えを帯びたその背に歩み寄る。

 その細い体を抱き締め、その白いうなじに舌を這わせたい。邪な感情を涼しげな喉の奥の奥に隠しながらフォールは声帯を震わせる。

「こんばんは、お嬢さん」

 しかし、美女はフォールを振り返るどころか、微動だにしない。フォールは再び呼びかけることはせず、少し待った。優雅に、ゆっくりと振り返る女性もいる。それだと思ったのだが、いつまで経っても美女は振り返らない。

「お嬢さん?」

 もう一度呼びかけると、美女はゆっくりとこちらを向いた。否、ゆっくりと、という言葉でなく、恐る恐る、という言葉の方が適切そうな動作ではあったが。

 憂えを帯びたそれを予想していたが、いきなり話しかけられた美女の瞳は驚き見開かれていた。白いファントムマスク越しのその瞳に、フォールは言葉を失う。燃え上がる炎のような、焼け落ちる夕日のような、緋色の瞳。その緋色の美しさに、自らの身に纏う赤が、フォールの目には酷くくすんで映った。

「わたくし、ですか?」

「えぇ」

 フォールが頷くのを見ると、美女の顔を覆っていた驚きはやがて消え去ったようだった。見つめるだけで焼き焦がされるような熱さえ秘めていそうな緋色の瞳が、その熱とは裏腹に静けさを帯び始める。静けさを取り戻した緋色の瞳は、ファントムマスクによく馴染んでいる。こうまで馴染む者はあまりいない。余程の回数仮面舞踏会に参加しているのだろうか。だとしたらフォールは見覚えがある筈。ファントムマスクをしてもその顔の美しさが伺えるような美女に、フォールが話し掛けないわけがない。

 フォールは自分の目を疑いつつも、会話を始める。

「舞踏会への参加は、今夜が初めてですか?」

「はい。なので、何をどうすればいいのか、少し……いえ、だいぶ分からなくて」

 照れ臭そうに視線を下にやりながら微笑む美女。

 女性の中では低い声、ハスキーボイスも悪くない。可愛い。フォールは心の底から思う。何かしてやりたくなる、助けてやりたくなる、頼って欲しくなる、それらの感情を胸に抱いたのは久しぶりだ。

 微笑んだフォールは美女に手を差し出す。

「…………え、あの……」

「人気の多い華やかな場所は苦手と見ました。静かなところを知っています。こちらへ」

「…………」

「遠慮はいりません」

「あ、ありがとうございます」

 美女は嬉しそうに微笑んで己の手をフォールの手に重ねる。手袋に包まれたその手を、フォールはしっかりと、しかし優しく柔らかに包み、ベランダへと向かった。



――――――――――――



「華やかな場所が苦手ならば、今夜は何故、舞踏会に?」

「こういった場所を経験してみたい、と思いまして」

「興味、ですか。……どうです、気に入って頂けましたか?」

「主催者のような口振りですね」

「ははは、まさか」

「そうなのですか?」

「違いますよ。初めてならば知ってくださいね、ここでは昼間の顔の話はタブーなのです」

「初めて知りました」

「それで、どうなのです? 気に入って頂けましたか?」

「まだよく分かりません。どういったものか、よく分からないので」

「ならば、分からないままで構いません」

「え?」

「分からない貴女の方が、美しい」

「……そ、そんな……」

「今日は、僕と共に夜を明かしませんか?」

「今夜は、いけません……早く帰らなければ、お父様に怒られてしまいます。で、ですが」

「ですが?」

「次回の仮面舞踏会も、また来ます。そのときまで、待って頂けますか?」

「勿論です」

「では、時間までここで語りませんか?」

「そうしましょう。……お名前を、伺っても構いませんか?」

「と、当然ではありませんか」

「僕は、エドウィン」

「わたくしは、トヨコです」



――――――――――――



 トヨコ。やはり、コウクウ……或いは極東の島国アキツシマの出身なのかもしれない。あの緋色の瞳はコウクウやアキツシマでも珍しいだろうが、あの黒髪は紛れもなくそこらの辺りのものだ。

 エドウィン。やはり、ヴァンノーレなんて繋げようにも繋がらないだろう。大丈夫。問題ない。バレてはいない。バレる筈がない。

 フォールに、僕にとって、トヨコが特別に好きな存在になったときに全てを決めればいい。僕が次男と知っても好きでいてくれるように僕に依存させるか、トヨコを諦めるか。

 あの美しい髪。ほどいて、指を通したい。あの美しい瞳。僕以外の男を映さないでほしい。あの美しい唇。愛している、と言おうとするそれを、僕の唇で塞いでやりたい。あの美しいうなじ。舌を這わせたい。あの美しい肌。手と頬と舌で触れたい。

 嗚呼トヨコ。君がいるなら他のどんな女もいらない。美しく可愛い君が、好きなんだ。



――――――――――――



 前回の仮面舞踏会から何日経っただろうか。この期間に色々あった気がしたが、全てあまり大事には感じられなかった。

 ランドルフ・ワーナー率いる一番隊に所属する、騎士の名家ガードナーの不良息子であるアレクサンダー・ガードナーの騎士団脱退。王都セレスタイトの西区に建った孤児院。色々あったが、頭に残っているのは大体そのくらいだ。


 星が闇を彩り、闇が星を彩る。前回の仮面舞踏会でトヨコが佇んでいた柱に寄りかかり、彼女を待つ。様々な、実に様々な女が話しかけてきたが、不快感を与えない程度に軽くあしらった。嗚呼、なんて汚い口元。嗚呼、跪かれて乞われても舐めたくない肌。汚い。醜い。ファントムマスクの下で酷く蔑みながら、フォールはトヨコを待った。ひたすら待った。

 もしかしたら来ないのか。来られない理由でも出来たのか、フォールが不安になってきていた頃だった。

 明るい場所に来たというのに未だに夜闇に包まれているような黒髪に、いくら闇に包まれても輝きを失わないような緋色の瞳。純白のドレスに身を包んで、彼女はやってきた。魅力的なうなじや鎖骨などは隠れるデザインだったが、構わなかった。これからいくらでも見られる、そんな確信がフォールにはあった。

「お待たせしてしまいましたか?」

 媚びを売るが如き高く喧しい声でなく、トヨコのハスキーな声はフォールの耳に難なく侵入して脳にじんわりと染み込み胸にすとんと落ちる。フォールは首を振り微笑みかける。

「いいえ。それほど待ってはいませんよ。貴女がいらっしゃることを考えていたら、いつの間にか貴女がいらっしゃった」

 恥ずかしそうに目を逸らすトヨコ。相当うぶであるらしい彼女の反応は、本当に可愛らしい。どんな顔をするのだろうか、どんな反応をするのだろうか、彼女に会い話す時間が楽しみで仕方がない。そして、こうして話す時間が楽しくて仕方がない。

 トヨコを見つめるフォール。しかし、トヨコの目はフォールには向いていない。それに気付いたフォールはトヨコの視線を辿る。彼女の目は、フォールのグラスに向けられていた。飲みかけの白ワインが揺れている。

「エドウィン様は、白ワインがお好きなのですか?」

「ああ。そういうトヨコは赤が好きなようだね」

「いいえ、白ワインの方が好きです。ただ、赤ワインを貰ってしまって……断れないではありませんか」

「ふふ、トヨコは優しいね」

「フォール様は、その上を行く優しさをくださらないのですか?」

 いたずらっ子のように目を細めるトヨコ。フォールは口元に微笑を浮かべながら、自らのワイングラスをトヨコの口元に持って行く。左手でトヨコの頭を傾かせ、その口に飲みかけの白ワインを注いだ。トヨコは更に目を細める。白ワインを少し残して、トヨコはワイングラスを受け取ることで注ぐのを止めさせた。フォールは首を傾げトヨコを覗き込むように微笑む。トヨコは赤ワインが入ったワイングラスを差し出す。フォールはそれを受け取り、ワイングラスに口を付ける。

「赤ワインは、美しいですよね」

「そうですね」

「赤、といっても、血とは似ても似つきませんし」

「ですが、世界で一番美しい赤を僕は知っていますよ」トヨコが目を丸くしたのと対照的に、フォールは微笑んだ。

「それは……」

 言いかけて、目を見開くフォール。胸が苦しい。誰かに握り締められている。そう錯覚するように締め付けられている。息が苦しい。言うはずだった言葉が出ない。息しか出ない。呼吸が出来ない。吐くだけ。吸った。でも吸った感覚はない。やめろ。僕の心臓を離せ。握り締めるその手を離せ。フォールは自らの胸に爪を立てる。正装にしわが走る。ワイングラスが落ちて音を立てる。まるで、フォールのこれからを表すかのように。

 ワイングラスを落としたことで解放された右手。伸びる先はトヨコの肩。まともに出来ない呼吸。胸に走る激痛。二つの苦痛はフォールの顔を歪める。フォールの手に力が入る。肩を掴まれているトヨコは痛いはずだ。しかしトヨコは顔色一つ変えない。苦痛に顔を歪めるフォールの顔を直視しながら、顔色一つ変えない。そう、変えないのだ。変わらぬ表情。冷たすぎる表情。

「それは、拙の瞳だ……とでも言いたかったのか?」

 ハスキーな声がフォールの胸に落ちる。静かにそう言ったトヨコの口角はつり上がっていた。絶望に見開かれるフォールの目に映るトヨコは、酷く冷たい笑みを浮かべていた。

「残念だったな、フォール・ヴァンノーレ」


挿絵(By みてみん)


 愛おしいトヨコの声を聞きながら崩れ落ちるフォール。

 着いた膝。近くなる床。霞む視界。倒れる体。冷たい床。奪われる熱。服に染み込むワイン。体に刺さるワイングラスの破片。寒いのに吹き出る汗。霞む視界。霞む視界。霞む人。愛しい人。可愛い人。美しい人。伸ばす手。空を切る手。行き先のない手。霞む手。力の入らない手。落ちる手。霞む愛しい人。闇に包まれる愛しい人。


 何で、こんなことに。折角、夢中になれる人を見つけたのに。

 視界がブラックアウトする。駆けつけてくる足音と、トヨコの悲鳴を、聞いた気がした。



――――――――――――



「あちらの方に頂いたワインを差し上げたら倒れてしまいました! どうか、どうかこの方をお助けくださいっ!」

「落ち着いてお嬢さん」

「エドウィン様ああぁぁ……」

「落ち着いて、落ち着いてお嬢さん」

「返してっ! エドウィン様を……エドウィン様を返してよぉぉおおおっ!」

「違う! 俺じゃない! 俺はそんなっ……」

「いやぁああああああああっ!」

「お嬢さんを押さえろ! おい、そいつを捕らえろ!」

「俺はやってないっ! わかってくれ、わかってくれよおおぉぉっ……」



――――――――――――



 王城にて開かれる仮面舞踏会は騒然となった。フォール・ヴァンノーレが毒殺される。黒髪の女性が参加者の一人からもらった赤ワインを飲んだことによるものであると推測されている。黒髪の女性は一般人であるらしく、何故毒入りワインを渡されたかは不明。女性が毒を入れたという疑いもあるが、女性の悲しみようからして有り得ない、と多くの声があがった。ワインを渡した男性は容疑を全面否定しているが、有罪は確定のようである。

 それ以来、王城の仮面舞踏会は開かれなくなった。





「上手くやったみたいだな」

「あの男、相当な愚か者のようだな。拙の正体に気付きもせなんだ」

「お前の演技が上手いんだよ」

「……もう二度とこんなことはやりたくはないな。あいつの気持ち悪さと言ったら類を見ん。よくもまぁあんな台詞を拙に吐ける……!」

「そりゃあ勘違いしてるからな。次も頼みたかったんだけど、どうだ?」

「死んでもごめんだな。次回はアレクサンダーに頼むかランドルフ、お前がやれ」

「はは、アレクに頼んだらお前がやれって脅されるぞ。ちなみに俺は女の子ならともかく野郎に媚び売るのは死んでもごめん」

「それは拙もだ」

「フォールが死んだから、あと何人だ?」

「お前を含めないであと二人だな」

「あと二人殺せば、騎士団は国でなく俺に従うようになる、か」

「後悔でもしているのか?」

「まさか。ルチレーテッドは俺達によって生まれ変わる。これは革命の戦だ。後悔なんて、そんなくだらないものは必要ない」



 トヨコの名前はトヨワカ。男です。

 C・E・ハイルとは、カーダ・エン・ハイルといい、クラウ・ソラスに関するいくつかの叙事詩を残した詩人です。最後の会話に出ているランドルフらが引き起こす反乱(第一次クラウ・ソラス)に続き引き起こる反乱(第二次クラウ・ソラス)の参加者でもあります。

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