第4話 もう一度、やり直す一年
この体は、まだ足りない。
俺は鏡の前で自分の体を見つめていた。
確かに変わっている。
腹は引き締まり、腕には筋肉がついている。
中年のだらしない体じゃない。
だが――
「……こんなもんかよ」
思わずつぶやく。
頭の中には、あの一年の記憶がある。
限界まで追い込んだ日々。
吐きそうになりながら続けたトレーニング。
何度もやめたくなって、それでもやめなかった時間。
あれだけやった。
それなのに、この程度か。
「……いや」
違う。
これは「たった一年」だ。
一年でここまで変わった。
なら――
「二年やったら、どうなる?」
胸の奥が熱くなる。
今までの俺なら、ここで満足していた。
「もういいだろ」
「十分変わった」
そうやって、自分に言い訳して終わっていた。
だが今は違う。
一度“やった俺”を知っている。
逃げなかった俺を知っている。
だから分かる。
「……まだいける」
俺はゆっくりと床に手をついた。
腕立て伏せの姿勢。
だが、一年前の俺とは違う。
体が軽い。
安定している。
一回。
二回。
三回。
五十回。
百回。
まだいける。
「……こんなもんかよ」
自分でも笑えてくる。
あれだけキツかったはずの動きが、
今はウォーミングアップにしかならない。
だが――
それで終わらない。
「足りねぇな」
俺は速度を上げた。
限界まで、さらに押し込む。
百二十回。
百五十回。
二百回。
腕が焼けるように熱い。
呼吸が荒くなる。
だが、止めない。
止めたら終わる。
あの頃の俺に戻る。
それだけは――
「絶対に、嫌だ」
声が漏れる。
さらに続ける。
スクワット。
腹筋。
体幹。
全身を潰す。
逃げ場を作らない。
やめる理由を与えない。
ただひたすら、自分を追い込む。
どれくらい時間が経ったか分からない。
何日か。
何ヶ月か。
それでも、やることは変わらない。
「もう無理だ」
そう思った瞬間に、もう一回やる。
「今日はいいだろ」
そう思った日にこそ、やる。
その繰り返し。
だが――
ある日、気づいた。
「……あれ?」
体が変わる感覚じゃない。
もっと奥。
もっと根本。
「……楽しいな」
思わず口に出た。
苦しいはずなのに。
キツいはずなのに。
やめたいはずなのに。
それでも、やりたくなる。
昨日の自分を超えたくなる。
「……これか」
分かった。
今までの俺に足りなかったもの。
才能でも、時間でもない。
続けることそのものだった。
「はは……」
笑いがこぼれる。
俺はずっと勘違いしていた。
やればできる、じゃない。
やるから、できる。
ただそれだけのことだった。
そして――
一年が終わった。
気づけば、俺はまた床に倒れていた。
全身が限界だ。
だが、不思議と嫌じゃない。
むしろ、満たされている。
「……いいな、これ」
ゆっくりと体を起こす。
鏡を見る。
そこにいたのは、もう別人だった。
一年前とも違う。
最初に目覚めたときとも違う。
明らかに、さらに鍛え上げられた体。
「……やれるじゃねぇか」
小さくつぶやく。
その声には、確かな自信があった。
俺は振り返る。
親父の部屋の扉。
「次は――」
体は作った。
二年かけて、作り直した。
なら次にやることは決まっている。
「実戦、だな」
静かに笑う。
この力がどこまで通用するのか。
試してみたくて仕方がない。
俺はドアノブに手をかけた。
現実の世界へ戻る。
――次の一日へ。




