第3話 思い出した一年
「……なんでだよ」
俺は自分の腕を見つめた。
引き締まった筋肉。
どう見ても、昨日の俺の体じゃない。
なのに――
その過程の記憶が、ない。
「一年……過ごしたんじゃないのかよ……」
机のメモが頭をよぎる。
――この部屋は、一日で一年くれる。
もし本当にそうなら、
俺はこの部屋で一年を過ごしたはずだ。
だが、その記憶がない。
筋トレをした記憶も、
何かを学んだ記憶も、
何もない。
ただ結果だけが残っている。
「ふざけんなよ……」
思わずつぶやいた、そのときだった。
頭の奥に、ズキンと痛みが走った。
「っ……!?」
思わずその場にしゃがみ込む。
視界が歪む。
脳の奥をかき回されるような感覚。
そして――
流れ込んできた。
知らないはずの記憶が。
いや、違う。
これは――
俺の記憶だ。
「はぁ……はぁ……」
荒い息を吐く。
頭の中に映像が流れる。
ダンベルを持ち上げる俺。
何度も何度も、腕が震えるまで。
「まだだ……まだ終わらねぇ……!」
自分の声が響く。
次の瞬間、畳の上に叩きつけられる。
「甘い」
誰かの声。
何度も投げられる。
何度も立ち上がる。
「くそ……もう一回だ……!」
逃げ出したくなる。
何度もやめたくなる。
それでも――
俺はやめなかった。
「……なんで……」
思わずつぶやく。
こんなこと、今までの俺なら絶対にやらない。
苦しいことは避けてきた。
楽な方に逃げてきた。
それが俺だったはずだ。
なのに。
一年の俺は違った。
「やるしかねぇだろ……」
記憶の中の俺が、そう言った。
「ここで逃げたら、俺は一生変われねぇ」
胸の奥が熱くなる。
さらに記憶が流れ込む。
本を読む俺。
ノートに書き続ける俺。
眠気と戦いながら机に向かう俺。
何度も挫折しかけて、
それでも立ち上がる俺。
その全部が――
俺だった。
「……はは」
思わず笑いがこぼれた。
「俺……やってたのかよ……」
気づけば、目から涙が出ていた。
努力した記憶なんて、今まで一度もなかった。
逃げ続けてきた人生だった。
でも。
この一年だけは違う。
「……ちゃんと、やってたじゃねぇか」
拳を握る。
震えている。
でもそれは、恐怖じゃない。
確かな実感だった。
一年あれば、人は変われる。
それは間違いじゃない。
だが――
もっと大事なことが分かった。
「時間があるからじゃない……」
ゆっくりとつぶやく。
「やったから、変わったんだ」
俺は立ち上がる。
視線の先には、階段。
その先には――
親父の部屋。
「……もう一回だ」
今度は分かっている。
あの部屋は、ただのチートじゃない。
逃げられない一年だ。
それでも俺は、迷わなかった。
ドアノブに手をかける。
「次は……もっとやる」
静かに扉を開けた。




