第17話 見えてはいけない数字
違和感は消えなかった。
むしろ、時間が経つほどにはっきりしていく。
あの商品だけ、動きが綺麗すぎる。
売上も在庫も、まるで“作られたみたいに”揃っている。
偶然ではない。そう断言できるだけのズレがあった。
「……やるか」
閉店後、バックヤードで一人、帳票を開く。
売上、仕入れ、在庫、廃棄。
一つずつ突き合わせる。
普通なら時間がかかる作業だったが、今は違う。
流れが頭に入っているから、どこを見るべきかが分かる。
「ここだな」
特定の商品だけを抜き出し、日別で並べる。
売上の推移は滑らかすぎるほど滑らかで、在庫もほぼ一定。
まるで、最初からそうなるように設計されているかのようだった。
「……ありえない」
小さくつぶやく。
現場はそんなに都合よく動かない。
人が買い、売れ残り、廃棄が出る。その積み重ねが数字になる。
だがこれは違う。
数字のために現実が歪められている。
「……じゃあ、どこを触ってる?」
視点を変える。
売上はレジを通る以上、完全にいじるのは難しい。
だとすれば――在庫か、仕入れか、廃棄。
「廃棄……か?」
その言葉が妙に引っかかる。
廃棄は“現場裁量”が入りやすい。
処理のタイミングをずらせば、見え方はいくらでも変えられる。
「……確認するか」
廃棄記録を引っ張り出す。
日付、数量、理由。
一つずつ目で追っていく。
最初は普通だった。
だが、ある日を境にパターンが変わる。
「……集中してるな」
特定の日に、まとめて処理されている。
しかも、その直前まではほとんど廃棄が出ていない。
「おかしいだろ」
思わず口に出る。
本来なら、少しずつ出るはずだ。
それが一気にまとめられているということは――
「数字、揃えてるな」
確信に近づく。
売上と在庫を“綺麗に見せるために”、廃棄のタイミングを操作している。
だが、それだけじゃない気がした。
「……なんのために、ここまでやる?」
単なる見栄か。評価のためか。
それとも――
「もっと大きい理由があるか」
そのとき、頭に田村の言葉が浮かぶ。
――条件がいい。
リベート。販促費。
「……そっちか」
仕入れ条件を確認する。
通常よりも明らかに優遇されている。
仕入れればするほど、店に金が入る仕組み。
「……だから回すのか」
売れるかどうかじゃない。
“仕入れること”自体に意味がある。
だから、在庫を持ち、動かし、数字を整える。
その結果、表面上は“好調な商品”に見える。
「……なるほどな」
静かに納得する。
だが同時に、違和感はさらに強くなる。
「でも、それだけか?」
そこまでして数字を整える理由が弱い。
リベート目的なら、もっと単純なやり方があるはずだ。
「……もう一つあるな」
背筋に冷たいものが走る。
何かを隠している。
そう考える方が自然だった。
そのとき、足音が聞こえた。
「……まだ残ってたのか」
顔を上げると、店長が立っていた。
「ええ、ちょっと気になることがあって」
できるだけ自然に答える。
店長は帳票に目を落とす。
「……熱心だな」
軽く笑う。
だが、その目は笑っていなかった。
「まあ、せっかくなんで」
こちらも軽く返す。
沈黙が流れる。
数秒のはずなのに、妙に長く感じる。
「……無理すんなよ」
店長が言う。
「ほどほどでいいんだよ、この仕事は」
その言葉に、少しだけ違和感を覚える。
“ほどほどでいい”
今まで聞き流してきた言葉だ。
だが、今は引っかかる。
「……そうですね」
あえて何も言わずにうなずく。
店長はそれ以上何も言わず、その場を離れた。
足音が遠ざかる。
完全にいなくなったのを確認してから、もう一度帳票を見る。
「……黒だな」
小さくつぶやく。
確証はまだない。だが、流れは見えた。
数字は嘘をつかない。
だが、その並べ方で、いくらでも意味を変えられる。
そして今、その“操作”が行われている。
「……問題は誰だ」
現場だけでは無理だ。
この規模の動きは、本社か、それに近いレベルが絡んでいる。
「……面白くなってきたな」
思わず笑う。
怖さはある。
だが、それ以上に――
「全部、見てやる」
確信があった。
この違和感の先に、何かがある。
それを掴めば――
ただの売り場の話じゃ終わらない。
ポケットのスマホを握る。
やることは決まっている。
仕入れルートの確認。
契約条件の洗い出し。
そして、この数字を作っている人間の特定。
「……逃がさねぇよ」
静かにつぶやく。
だが、そのまま視線を帳票に落とし、ふと手が止まる。
「……いや、これだけじゃ足りないな」
数字は追える。
流れも見える。
だが――決定的に欠けているものがある。
「“契約”か」
小さくつぶやく。
仕入れ条件、リベート、販促費。
すべては“取り決め”の上で動いている。
そこを理解しなければ、いくら数字を追っても、表面しか見えない。
「……なるほどな」
ゆっくりと息を吐く。
今の自分は、まだ途中だ。
見えているのは構造だけで、その“ルール”までは届いていない。
「だったら――」
ポケットからスマホを取り出す。
検索画面を開く。
指が迷わず動く。
「契約」「独占禁止法」「下請法」
見たことのない言葉が並ぶ。
だが、不思議と抵抗はなかった。
「……全部、覚えるか」
小さく笑う。
また一つ、やることが増えた。
だが、それでいい。
一つ手に入れるたびに、見える世界が広がる。
「次は……法律だな」
静かにつぶやく。
その瞬間、確信していた。
この違和感の先にあるものは――
数字だけでは終わらない。
もっと深いところで、何かが動いている。
そして、それを暴くには
“ルールそのもの”を理解する必要がある。
スマホを握りしめる。
「……全部、引きずり出してやる」
その目は、もう完全に“狩る側”に変わっていた。
【習得スキル】
・日商簿記3級(理解度:100%)
・日商簿記2級(理解度:92%)
・契約法基礎(理解度:3%)




