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元・天才子役は一般人になりたい  作者: 宵月しらせ


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第20話 普通の一日

 朝……不思議な目覚めだった。

 睡眠時間はいつもの半分くらいしかないのに、なぜか頭だけははっきり冴えているような感じがする。


 少しだるさはあったけれど、すぐに愛遊に会えると思うと、いつまでもベッドの中にいるのが惜しい気がした。

 さっさと着替えて、一秒でも早く愛遊の家に行きたい。


 だが、鏡の前に立った瞬間、寝不足や昨日のジャンクフードの嵐で痛んだ肌が気になった。

 そこまで目立つほどではないが……こんな状態で顔を合わせるわけにはいかない。


 濡らしたタオルを電子レンジで温め、目の上に当てた。

 それでクマの七割方は消えたが、もう少しなんとかしたい。

 学校に行く日にするつもりはなかったが、しかたない。メイクをするか。


 そうしているうちに、ずいぶんと時間がかかってしまっていたらしい。

 部屋のドアが何度もノックされ「起きてる?」と愛遊の声がする。


 返事をしながらスマホを見れば、メイクをしている間に何件の着信があった。

 寝坊していると思われてしまったらしい。


「ごめん、ちょっといろいろあって」


「いろいろ? へぇ……」


 愛遊は俺の顔を見てにやっと笑った。


「メイクなんてしちゃって、ずいぶん気合い入ってるじゃない? 私にカッコイイと思われたいから? まぁそういうことなら許してあげようかな」


 カッコ良くではなくカッコ悪く思われたくなかったからなのだが、まぁ同じようなものか。


「そう言う愛遊もいつもより気合が入ってたメイクや髪型してるな」


「あ、やっぱりわかる? いつも通りでいいかとも思ったんだけど、なんか乗っちゃって」


「いつも綺麗だけど、今日はそれ以上だよ」


「ありがと。圭介くんもいつも以上にカッコイイよ」


 なんて会話が終わったのは、別の部屋のドアが開く音がして、急に恥ずかしくなったから。

 朝っぱらから、マンションの廊下で俺たちはなんて会話をしていたんだ――一瞬にして体温が上がり、残っていた眠気が吹き飛んだ。


 それから愛遊の家に行き、朝食を食べた。

 なんてことないごく普通の朝食。

 トーストに目玉焼き、玉ねぎの入ったコンソメスープ、レタスとトマトのサラダと、ヨーグルト。そしてコーヒー。

 愛遊が朝食担当の時、週に一回は現れる定番の組み合わせだ。


「もうすぐテストだね、自信ある?」


「たぶん前回よりは上の順位になれそうだ」


「そっか。じゃあ、私と勝負する?」


「負けたら罰ゲーム?」


「もちろん!」


 食べながらそんな話をして、片付けが終わったら学校へ向かう。

 手を繋いで……こうして歩くのも、もうすっかり慣れたものだ。

 一緒にいるのに手を繋いでいないと、逆に落ち着かないくらいだ。


★★★


 教室に入ったらそれぞれの席に行って、同性の友達と話す。

 それもいつも通りのことだが、俺は今日、どうしても早めにやっておかなければいけないことがある。


「おはよう」


 昨日うちに来たやつらが集まっているところに行き、あいさつした。


「おはよう」


 と返ってきたところで、俺はバッグから袋を取り出し、なるべく目立たないように渡した。


「教室で出すなよ」


「見えないから大丈夫だ」


 そいつは焦っていたが、騒げば騒ぐほど女子に注目されるリスクが高まるので、手早く受け取ると自分のバッグに猛烈な勢いで突っ込んだ。


「受け取ってから言うのもなんだが、もういいのか?」


「ああ……バレたから」


「早すぎるだろ……まさか、昨日オレらが帰ってから皆川さんが来たのか?」


「まぁそうだな」


「あんな時間からでも来てくれるのか……羨ましい。そりゃこんなDVDなんていらねぇよな」


 だいぶ誤解されているようだが、別にムリして解く必要もなさそうなので、そこは放っておく。

 そんなことより、大事な話を二つしなければ。


「バレて怒られた時に一枚破損しちゃってさ。別なやつを買って弁償するってことでいいかな? 二枚買うからさ、それで先輩たちに納得してもらえる?」


「破損? まぁ枚数を増やして弁償するなら、むしろ喜ばれると思うけど。どれを壊したんだ?」


「〇海〇々激似ってやつ」


「あれ壊しちゃったか……部にあるコレクションの中でも一番人気だったんだが」


「マジかよ……」


「オレも観たけど、目を細めたらそれっぽく見えるくらいには似てて、それでいてすごいエロくて最高だったんだよ。できればあれを買い直してほしいけど、絶版になっててプレミア付いてるらしいからムリにとは言えないな。でも二枚ではレートが合わないかも……もしかしたら新作三枚ってことになるかもしれないけど、それでもいいか?」


「しかたない、壊したのは俺だからな。いいよ」


 弁償の話がまとまったので、もう一つの大事な話をする。


「俺はあれを観てなくて、だからすごく気になるんだが……春海楽々と夏海流々のどっちに似てた?」


★★★


 授業がすべて終わったら、愛遊と手を繋いで家に帰る。

 途中でスーパーに寄り、今日の夕食の材料を買う。

 今朝は愛遊の担当だったので、夕食は俺の担当。


「なにが食べたい?」


「今日は魚かなぁ」


「じゃあ刺身にするか」


「お刺身もいいけど、ムニエルの方がいいかなぁ」


 愛遊のリクエストに応え、鮭を買って家に帰った。

 買ってきた物を冷蔵庫にしまい、制服から私服に着替え、お湯を沸かしていると、愛遊がうちにやって来た。

 中間テストまであと少し。学校から帰ったばかりではあるが、勉強しなければ。


 三時間ほどみっちりとテスト勉強をして一区切りとし、夕食の支度にかかる。

 ムニエルの下ごしらえをしつつ、スープや副菜を準備する。

 今日は野菜を多めに食べたい気分なので、生野菜はほどほどに、量を増やしやすい蒸し野菜をメインにする。


 料理ができあがる頃には愛遊も勉強を切り上げ、盛り付けを手伝ってくれた。

 それからいただきますをして……疲れた脳に栄養が染みわたっていく快感に酔いしれた。


 食器を片付けたら、ソファーに座って一休み。


 なんか疲れたから、今日はもう勉強はいいかなぁ……。昨日はよく眠れなかったから、今日は早めに寝るか。

 そんなことを考えていると、愛遊が俺の手を握ってきた。


「本当に付き合い始めた初日なのに、恋人らしいこと全然してないね」


 そう言えばそうだ。

 学校では前から付き合っていることにしているから、本当に付き合い始めたとしてもなにも変化はない。

 家でも……元から距離が近かったせいなのか、特にこれと言った変化は見当たらなかった。


 いつも通りがすでに恋人のようなものだったということかもしれない。

 それは嬉しいようだが、うっかりすると、偽装ではない本当の恋人になったのに、なにも変わっていないなんてことにもなりかねない。

 意識的に、今までしなかったことをするくらいでいいのかもしれない。


 なにをしたらいいかわからなかったが、とりあえず手を握り返し、空いている反対の手で愛遊の頭を撫でた。


「もうちょっと特別なことした方がいいか?」


「特別って?」


「…………………………ハグとか」


「あ、結構考えた。エッチなことでもしようとした?」


「……考えなかったわけじゃない」


「正直者め。う~ん、どうしようかなぁ。まぁ今日のところは、家の中で手を繋ぐだけでいいかな。今はこれで十分に幸せだから」


 そう言って、愛遊はさらに俺の肩に頭を預けてきた。

 傍から見たら恋人っぽい様子に見えるかもしれない。

 でも、俺たちからしたら、これまでとあまり変わらない。


「いいのか、これで?」


「うん、これでいいんだよ」


 愛遊は静かで、落ち着いた声で言った。


「“これがいい”じゃなくて、“これでいい”のか?」


「これでいい。“これがいい”は完全に理想通りになった時に使う言葉。旅行とかに行くなら“ここがいい”って場所にしたいけど、普段一緒にいる時にまで理想を追い求めていたら疲れちゃうよ。完璧じゃないけど、不満はない。“これでいい”が日常では最強」


「なるほど」


「それにね――」


 握った手の上に、愛遊はさらに手を重ねてきた。


「昨日までは、これでいいのか? って心の中でずっと思ってた。今の生活は結構楽しくて、充実はしてる。でも、圭介くんのことが好きなのに、そのことを伝えられないのはどうなんだ? って思ってた。いつまで偽装カップルを続けるのか、圭介くんは私のことをどう思っているのか? 本当にこのままでいいの? って毎日考えてた。だから、“これでいい”って思える今日はとても素敵な一日なんだよ」


「そっか。たしかにそれなら今日は“これでいい”な」


「うん。これでいい。こんな日が続けば、それでいいんだよ」


 芸能界という世界を去った俺は、ずっと“普通”を求めていた。


 ――これからは普通の人になりたい。普通の人生を送りたい。


 では、普通とはなんなのか?


 考えてみれば、“普通”は難しい。

 平均点は一見すると普通だが、すべての教科で平均点ジャストを取ったなら一種の伝説になる。

 普通とは一体――この問いに、ずっと答えを出せずにいた。


 今わかった気がする。

 たぶん、今日みたいな日が、俺の求めていた“普通”なのだ。


 ただ学校に行って。

 偽装ではない恋人がいて。

 一緒に時間を過ごして。


 特別なことなんてなにもない。


「こんな一日がいい」


 と自信を持って言えるようなことは起きない。

 でも、


「こんな一日でいい」


 と納得できる一日は送れる。

 きっとそれが、俺の求めていた“普通”の形なのだ。


 こんな日が毎日続くのなら、それは俺自身が普通になれたということのはずだ。

 いつの間にか知らぬうちに、俺は望むものを手に入れていたらしい。


 まったく不思議なものだ。

 春海楽々と一緒にいた時の俺は、普通から最も離れた存在だった。

 なのに、皆川愛遊と一緒にいたら、いつの間にか普通になっていたなんて。


 もしかしたら、それは俺たちが比翼の鳥だからかもしれない。

 比翼の鳥は、片羽しか持たない伝説上の鳥。雌雄一対になることでようやく羽ばたくことができるとされる。


 二人だったから、俺たちは特別な存在として羽ばたくことができた。

 でも、一人になったら、ただ落ちていくだけだった。


 また二人になって、今度は特別ではなく普通になりたいと願ったら、普通になることができた。

 一人に戻ってしまったら……特別にも普通にもなれないなら、今度はどうなってしまうのだろう?


「これでいい」


 なんて思う一日は過ごせなくなるかもしれない。

 だから、愛遊の手を強く握った。

 これからも二人で飛んでいけるように。

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