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愛執の花園  作者: 永久保セツナ


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第8話 賢い選択

 富士子がくるみを脅してから、みのり、さおり、くるみの3人娘の雰囲気が変わった。

 彼女たちは富士子に対して警戒心をあらわにし、一緒に行動することも少なくなっていく。


「ねえ……いつものハンバーガー食べに行こうよ……おごるからさ……」


「ごめん、私たち3人で買い物行くんだぁ。ハンバーガー食べ飽きちゃったしっ!」


 すっかり富士子の誘いに乗らなくなり、背を向けて歩き去っていく3人をつかもうとした手が、虚しく宙を掴む。

 普段、自分以外の人間をモブや空気としか思っていない富士子だが、流石に今回は精神的にダメージを受けていた。

 なにより、自分の許可なく、自分をチヤホヤしてくれるはずのモブたちが離れていくなど、彼女のプライドが許さない。


「このままじゃやべえわ、誰か味方につけてこっちの勢力増やさないと、数の暴力で押し負けるじゃん」


 同じ教室の日和見クラスメイトはみんな恭子側に寝返った。

 未だに菊を手中に収めていない。

 富士子はこの事実だけで、頭に10円ハゲができそうなほどストレスを感じる。


「あーホント世の中ってクソすぎ」


 思わず舌打ちが出た。

 地道に味方を増やしていくなんて、富士子はそんな泥臭い努力が大嫌いである。

 なにか、一発逆転できるチャンスを狙いたい。

 考えろ。この状況で味方につけると一番頼りになるのは誰だ?


 ――権力を持った人間。


 答えに行き着いた富士子はニンマリと笑った。

 周囲を歩いていた人間は彼女を見てぎょっとしたが、彼女には関係なかった。


 一方その頃。

 みのり、さおり、くるみの3人は、放課後の教室にいる。

 3人で買い物に出かける前に、どうしても相談したい人がいた。

 恭子と菊である。


「――そういうわけで、私たちも北波さんには迷惑をかけられているの」


 さおりがこれまでの経緯を説明すると、恭子と菊は顔を見合わせてから顎に手をやり、考える仕草をした。


「くるみさんがあの毒入りカップケーキを贈ったのも、北波さんのせいだとは聞いてるよ」


「あの女、くるみを実行犯にしたなんて、絶対許さないしっ!」


 みのりが怒りをあらわにして教室の机に握りこぶしを叩きつける。


「くるみは本当に純粋で優しくていい子で……そんな子に毒入りお菓子を作らせるなんて、マジ鬼。人間のすることじゃないっ!」


 みのりの言葉に、くるみはアワアワと困ったような、照れくさいような赤面をした。


「そ、それで、あの……西園寺さんと東条さんに助けてほしくて……」


「もちろん、見返りはあるわ。私たちが北波さんに脅されてた証言もするし、証拠もある」


 さおりはスマホを手に持ちながら画面を操作している。

 それは、富士子と一緒にバーガーショップで駄弁っているときに、さおりが密かにスマホで彼女の発言を録音して溜め込んだものだった。


「さおり、ナイスじゃん! これであの女を追い詰められるんじゃない!?」


 みのりはさおりに抱きつき、さおりは無表情のまま、みのりを受け止める。


「本当は中立を保って傍観者になりたかったけど……北波さんはあまりに酷すぎる。くるみに手を出したなら、私も北波さんの敵に回ってもいいわ」


 証拠を受け取った恭子と菊は、3人に「悪いようにはしない」と約束した。

 買い物に出かけていく3人組を見送って、恭子と菊は「これで、北波さんのまとめていたグループは遅かれ早かれ崩壊する」と話し合う。


「ただ、彼女がこれで大人しく引き下がるとも思えないけど……」


「それでも、被害者や加害者が増えないだけ、まだマシな方向には向かってるよ」


 あの3人組は、被害者でもあり、放置すればいずれは加害者にもなりうる人物たちだった。

 それを食い止めることができるのなら、それに越したことはない。

 ――ただ、富士子は水面下で悪あがきを続けることになるが、それに気付く人物は、まだいなかった。


 翌日の放課後、恭子は担任教師の南原に呼び出される。


「なにかございましたか、先生」


「まあ、そこに座れよ」


 空き教室の真ん中に、向かい合う形で置かれた机と椅子。

 恭子と南原はそれぞれの椅子に座った。

 教師は、しばらく無言で頭をボリボリと引っ掻いている。


「あの、何のお話でしょうか」


「そうだなあ……ちょっと待ってくれ、切り出し方に困る」


 南原の言葉の意味が分からず、ただ彼の発言を待った。


「あー、お前、東条とは同じ大学に行くつもりなのか」


「え? いえ。私たち、将来の進路が違いますから」


 恭子の将来の夢は獣医になること。

 菊は大学で法律を学びたいとのことだった。

 自然、進学する志望大学は全く変わってくる。


 それにしても、これは進路相談の面談なのだろうか。

 いぶかしく思っていた恭子に、南原が切り出した。


「つまり、お前はこの高校を卒業したいんだよな?」


「それは、もちろん」


「だが、単位が足りていないのは自分でわかってるか?」


 担任の発言を、恭子は一瞬理解できない。

 これまで授業に出られなかったのは、富士子に妨害された英語の授業、2コマくらいだ。

 恭子はテストの成績も上位に入る。


「単位が取得できないというのは、どういった理由でしょうか」


「理由? 理由なあ……」


 南原の話はどうにも要領を得ない。

 どう考えても、卒業させない理由を今作っているようにしか見えなかった。


「ほら……アレだよ……。今、クラスメイトとトラブルを起こしているだろう」


「北波さんのことですか? アレは彼女が勝手に絡んできて、私も困ってるんですが」


 そもそも、最初に富士子のことで相談に行って、相手にしなかったのは南原本人ではないか。

 思わず眉間にシワを寄せる。


「お前、少しは転校生に優しくしてやれよ。かわいそうだろ」


 恭子は驚いた。無気力で怠惰な南原が、富士子を心配するなんて、明日は隕石でも降ってくるのではないか。

 同時に、これは南原の善意ではない、とも直感している。

 南原は面倒なことはしたがらない。クラス担任でありながらクラスに関わりたがらない。

 そんな駄目な大人の見本のような存在が、面倒臭さの塊である富士子に慈悲を与えるはずがないのだ。


「とにかく、お前はクラスで問題を起こしてるから、進級できない。それが嫌なら、北波に大人しく従え。だいたい、被害者ヅラしてんじゃねえよ。ガキの喧嘩にいちいち本気になるな」


「……先生。北波さんにいくら渡されました?」


 恭子にそう聞かれて、初めて南原は笑った。死んだ魚のような目をした男は、タバコのヤニで染まった黄色い歯を見せている。


「あいつの父親って、会社の社長やってるらしいぞ、知ってたか? 教師なんてケチな仕事の年収よりも多くもらっちまったんじゃ、手を貸さないわけにもいかんだろ」


「それ、賄賂ですよね」


 恭子の心の温度が、みるみる下がっていくのを感じた。

 前々から、頼りにならない無能な教師だと思っていたが、ここまでとは。

 呆れ、失望、幻滅……どんな言葉を尽くしても、この教師の最悪さを語り尽くせない。


「ま、そういうわけだから、悪く思わないでくれよな」


 南原は机に手をつき、ゆっくりと椅子から立ち上がる。


「教師の言うことは絶対なんだよ。お前がどんなに泣きついたって、俺が『問題児』って言えばそうなる。それがルールってもんだろ?」


 椅子に座ったままの恭子を見下ろして、ニヤッと笑った。


「どのみち、このままじゃ卒業どころか進級もできん。そうなると、お前の大好きな王子様とも離れ離れ。そうなるくらいなら、多少嫌なやつでも諦めて受け入れて生きていったほうが賢いぞ。俺は頭が良いからそういう結論になる」


 恭子は無言のまま、南原を睨むように見上げている。

 それを嘲笑うように、教師は「よーく考えとけよ。賢い選択ってやつをな」と言い残し、空き教室を出ていった。


「恭子……」


 南原が出ていったのと入れ替わるように、教室後ろのドアから菊が入ってくる。


「一難去ってまた一難、だね」


 恭子は肩を竦めた。


「菊にここまで執着する人ってなかなかいないんじゃない?」


「そうでもないよ。結構、私を刺そうとして包丁持ってくる子はいる」


「そ、そうなんだ……」


 驚く恭子を尻目に、菊は掃除用具の入ったロッカーを開けている。


「まあ、やることは変わらないよ」


 菊はロッカーに仕掛けていたカメラを取り出した。


「証拠をひたすら集める、でしょ?」


 菊は無表情で、カメラのレンズをゆっくりと拭く。


「あの人が何をしたか、全部録るよ。全部ね」


 恭子は、誰よりも頼りになるパートナーに、大きく頷いた。


〈続く〉

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