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第4章「気まぐれデート」

午後一時半を少し過ぎたネオ横浜・みなとみらいは、初夏の陽射しに包まれていた。

5月の空はどこまでも高く、海風はほんのり潮の香りを運びながら心地よく頬を撫でる。


「わぁ……!」


セナは思わず声を上げて、遠くにそびえる観覧車を見上げた。


「青空に映えて、まるで絵みたい。写真で見るよりずっと綺麗!」


横浜育ちのレイは肩をすくめる。


「まぁ、こっちじゃ見慣れた景色だな。休日は人混みもすごいけど」

「贅沢すぎるわよ。こんなの毎日見られるなんて」

「ここは初めてか?」

「ええ!セントラル東京にはよく仕事の関係で行くことがあるんだけど、こっちは初めてよ!」

「へぇ……意外だな。まぁせっかく来たししょうがないから案内してやるよ」

「ふふっ……!頼んだわよ!!今日のあなたは私の下僕なんだから!」

「なぁっ?!げ、下僕はやめろ!」


セナはレイの最後の一言を聞き流し、風に燃えるような赤髪をなびかせながら、子供のようにきょろきょろとあたりを見回す。

そのはしゃぎぶりに、レイは思わず笑ってしまった。普段ステージで見せる完璧な歌姫の姿とはまるで別人のようだ。


二人は赤レンガ倉庫の前へと歩みを進めた。レンガの温かな色合いと初夏の光が重なり、まるで時間がゆっくり流れているように見える。

セナは雑貨店のウィンドウを覗いては、「これ素敵!」と無邪気に声を上げ、レイの袖を引っ張った。


「落ち着けよ。全部見てたら日が暮れるぞ?」

「いいじゃない。私、こうやって普通に街を歩くの、ほとんど初めてなんだから」


その言葉にレイは一瞬足を止め、彼女を横目で見る。

――“世界のセナ”にとっては当たり前の自由ですら特別なんだ。

そう思うと、案内役をしている自分の時間も、少しだけ誇らしく感じられた。


「じゃあ次はランドマークタワー行ってみるか。展望台から港も街も一望できる」

「ほんと?最高ね!」


セナは目を輝かせ、初夏の風にスカートを揺らしながら小走りで先を行った。

柔らかな5月の光に包まれて、二人の歩幅はいつの間にかぴたりと揃っていた。


--

午後三時。

ランドマークタワーの展望フロア。

午後の陽射しが大きなガラス窓から差し込み、ネオ横浜・みなとみらいの街並みと碧い海が一望できた。遠くにベイブリッジが弧を描き、白い帆船のような建物がきらめいている。

レイは横に立つセナの横顔をちらりと見てから、ふと問いかける。


「そういえば……どうしてお前は歌手になろうと思ったんだ?」


セナはしばし景色を見つめたまま黙っていたが、やがて小さく息を吐き、切なげな瞳を窓の向こうに向けた。


「ある人に……憧れたからよ」

「へぇ……誰なんだ?」


レイは興味本位で身を傾ける。

そこでセナはフッとイタズラな笑みを浮かべ答える。


「教えないわよ!私の美しい思い出が汚れるわ!」

「お、お前……マジで失礼だな。いいじゃねーか」

「……もうしょうがないわね!こんなサービスめったにしないんだから!」

「はいはい」


そこでセナは視線を落とし、静かに言葉を紡いだ。


「私ね……10歳の頃、両親が交通事故で亡くなったの」


レイは驚きに目を見開くが、何も言わずに耳を傾ける。


「すごく落ち込んだわ。もう全てがどうでもよくなるくらい……自殺だって考えた。でもね……」


セナは自嘲気味に作り笑いを浮かべる。


「ある日たまたまテレビのニュースで私と同じくらいの年の男の子が“天才バイオリニスト”として紹介されているのを見たの。その演奏する姿に、生きる希望をもらえたのよ。あのとき、音楽の力って本当にすごいんだって心から思った。私は楽器は全然できなかったけど……歌だけは得意だったから、せめて歌で誰かを救えたらいいなって」


それに対してレイは優しく微笑みセナに向かって尋ねる。


「その彼とは会えたのか?」


セナは首を横に振り、目を細め、記憶をたぐり寄せるように答える。


「ううん、昔のことで名前も顔も思いだせなくて……でもあの儚げで美しい演奏姿だけは覚えてるわ」


レイは話を聞き終わった後、ふと考える


(……まさかな)


だがそんな奇跡はあり得ないだろうと思い、すぐに平静を装う。


「ふぅん……でもまぁ、お前も人の音楽で感動とかするんだな。てっきり自分の歌以外は興味ないかと思ってた」

「わ、私だっていいなと思ったものには感動するわよ!」


セナはそれ以上はそのことには追及せず、ただガラス越しの横浜の景色に目を戻した。

窓に映る彼女の横顔は、どこか儚げで、しかし揺るぎない決意を秘めていた。

それから話がかわる。今度はセナからレイに尋ねる。


「そういうあなたはどうしてダンスを?」


レイは少し考える素振りを見せ、それから迷いなく答えた。


「純粋に……好きだからだな。好きなことを仕事にしたいって思ったんだ。それに、ステージでずっと輝いていたい。パフォーマンスが終わった後の観客の拍手喝采――あれほど甘美で、俺にとって価値のあるものは他にないんだ」


セナはその言葉に静かに頷き、窓の外の空に視線を向けた。


「わかるわ……その気持ち。一度知ってしまったら、何度でもその経験をしたくなる。まるで中毒みたいよね。私も好きだからこそ歌わずにはいられないもの。」


二人は視線を交わし、ふっと笑みを零した。

それは互いの胸にある「舞台に立つ者としての共鳴」だった。


―――


夕暮れ時。

二人は「蒼桟橋ブルーピア」と呼ばれる橋に足を運んでいた。

西の空は茜に染まり、海面は揺れる黄金の光を映している。遠くには観覧車が回り、その向こうには未来都市のように光りはじめた「コスモドリーム」の街並みが広がっていた。


セナは潮風に髪をなびかせながら、レイに振り返る。


「今日はありがとうね。すごく楽しかったわ」


レイは頷きながら、ふと思い出したように言った。


「そういえば……学校にあるネックレスのこと、忘れてたな。今から取りに行くか?」


セナは小さく首を振り、柔らかな微笑みを浮かべる。


「ううん、預かってて。あなたとはなんだか、また会える気がするの。その時に返してちょうだい」


レイは少し驚きながらも、その瞳の奥に宿る確信めいた優しさを見つめ返した。


「レイ! あなた生意気でムカつくところがあるけど……ひとつだけ、いいところがあるわ!」

「……いいところ?」


レイは首を傾げる。セナは息を吸い、力強く答えた。


「それは、私を“セナ=フォスター”として見ないことよ!」


レイが目を丸くする間もなく、セナは少し照れ隠しするように笑った。


「これは今日付き合ってくれたお礼」

「……へっ?」


そう言って、セナは背伸びをしてレイの頬に軽くキスを落とす。

そして一歩下がり、ひらひらと手を振りながら、夕陽に染まる橋の先へと歩き去っていった。

残されたレイは、頬に残る温もりを指先でなぞりながら、海の向こうに広がるきらめきを静かに見つめるのだった。

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