第32章「プロの視点」
ピンポーン――。
夕方の静かな住宅街に、インターフォンの音が響いた。
ステラはリビングで楽譜をまとめながら小走りで玄関に向かう。
ドアを開けた瞬間、彼女の目が大きく見開かれた。
「……えっ!? な、なんでセナさんがレイと一緒にいるの!?」
驚きの声はまるで裏返った鳥の鳴き声。
レイが苦笑いで頭をかきながら答える。
「いや、その……ついてきちゃったんだよ」
「そうよ!」
セナは胸を張って前に出る。
「今日オフだから様子を見に来たの!二人きりだと危険だから!」
「き、危険って……」
ステラの頬が一気に赤く染まる。
「レ、レイと私が二人きりだと何が危険なのよ!」
「そ、それは……そっちの方がよくわかってるんじゃない?」
セナは顔を赤らめわざとらしく目を細めて言う。
「な、なっ……!?」
ステラは顔を真っ赤にして足を踏み鳴らす。
「変なこと言わないでよ! 私たち幼なじみなんだから!」
「幼なじみだからこそ危ないんじゃない!」
セナが人差し指を突きつける。
「……お、おい、二人とも」
レイが間に割って入る。
「ここは防音室で練習するために来たんだ。変な誤解すんなって」
「そ、そうだよね! 私はピアノを、レイはバイオリンを。純粋に音楽を合わせるだけだもん!」
ステラが慌てて胸を押さえる。
「ふんっ……」
セナは両腕を組んで椅子取りゲームの敗者みたいに膨れる。
「でも私は監視役としてここに座らせてもらうから」
「か、監視役って……」
レイはげんなりした顔をしながら玄関を上がった。
ステラはじとっとセナを睨みながら小声でレイに囁く。
「……なんで連れてきたの、レイ」
「お、俺だって止めたけど勝手についてきたんだ!」
「……ほんともう!」
ステラはぷいっと顔を背けるが、耳まで真っ赤だ。
防音室のドアの前に来ると、セナがすかさず先に中へ入ろうとした。
「ちょ、ちょっと! そこは私の練習部屋なんだから勝手に入らないでよ!」
「何言ってるのよ!」
セナは堂々と腕を組み、顎を上げる。
「この私が来てあげたの!ありがたく思いなさい!」
「な、なにそれっ!? 別に感謝なんて……!」
ステラはもじもじと髪をかき上げる。
「練習は真剣勝負なんだから、茶化されたくないの!」
「ふんっ、私が茶化すですって? 笑わせないで!」
セナは勝ち誇ったように微笑む。
「私が見てる以上、あなた達が変な方向に行かないよう、きっちり監視してあげるのよ!」
「そ、それが茶化してるって言ってるの!」
レイは二人の間で完全に板挟み。
「……はぁ、俺今日練習になるのかこれ」
セナとステラは同時に振り返り、声を揃えて叫んだ。
「なるに決まってるでしょ!」
こうして、ステラの家で、レイたちの練習(?)は幕を開けるのであった。
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ピアノの余韻とバイオリンの響きが静かに消えていく。
ステラは肩で息をし、レイは弓を下ろして額の汗をぬぐった。
「……ふぅ。どうだ、セナ?」
レイが真剣な表情で尋ねると、セナは椅子にふんぞり返り、腕を組んでいる。
「そうね……」
わざとらしく目を閉じ、顎に手を当てて考えるふりをする。
数秒の沈黙のあと、彼女はゆっくりと口を開いた。
「二人の個人の技術は、まぁ認めてあげるわ」
「……まぁ、って何!!“まぁ”って!!」
ステラがすかさず噛みつく。
「けど――」
セナはわざとタメを作り、人差し指をピンと立てる。
「肝心の“息”は合ってないわね。まるでお互いぶつかり合ってる感じ」
レイは静かに頷いた。
「……なるほど。確かに、自分でも弾いてて少し違和感あったんだ。ありがとう、セナ」
「ちょ、ちょっとレイ!? なんでそんな素直に受け入れるの!?」
ステラが慌てて立ち上がる。
「だってプロの歌手の意見だろ? 参考になるに決まってる」
「うっ……! そ、そんなの私だって音楽科ピアノ専攻なんだからわかってるよ!」
ステラは頬をぷくっと膨らませ、バンと鍵盤を叩きそうになる。
セナは優雅に足を組み替え、にやりと笑った。
「ふふん♪ 少なくとも、私の耳にはぶつかり合いに聞こえたの。観客だってそう思うかもしれないわね?」
「む、むぅ~~っ! くやしい!!」
ステラは顔を真っ赤にして、ピアノ椅子の上でジタバタと足を動かす。
「まぁでも――」
セナはわざとらしく肩をすくめる。
「ケンカ腰なところは、逆にお笑いコンビとしては息ぴったりだったわよ?」
「音楽ユニットであってお笑いコンビじゃないから!」
ステラが机を叩いて叫ぶ。
レイは苦笑いを浮かべながら、静かに弓を持ち直した。
「……まぁいい。もう一回やってみよう。セナ、ちゃんと見ててくれ」
「いいわよ。何度でも。せいぜい私を“うん”と言わせてみなさい」
セナは女王様のように言い放つ。
「っ……もう! 絶対見返してやるんだから!」
ステラの指が、悔しさをバネに再び鍵盤の上に置かれた。
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夜の住宅街。
月と星空が輝く中、レイとセナが並んで歩く。
「今日はありがとな、セナ。お前本当に仕事へのプロ意識凄いんだな。」
レイがふっと口を開くと、セナはびくっと肩を震わせた。
「えっ!? な、なによ急に!」
「ほら、色々的確なアドバイスしてくれただろ? ステラと俺の演奏のこと。」
レイは笑いながら言う。
「最初はユニットをただ解散させたいのかと思ってたけど、やっぱりなんだかんだちゃんと力になってくれたな。助かったよ。大丈夫……絶対に中途半端にはしないから。」
「う、うぐっ……」
レイの見透かされたような発言にセナは耳まで真っ赤に染まり、慌てて顔を背ける。
「この前あんたが私のダンスの振り付けを手伝ってくれたから……その、お返しをしただけ!」
「ふぅーん……つまり“貸し借りを帳消しにした”ってことか?」
「そ、そう!それだけ!真剣にやっても売れなくて早く解散してほしいと思ってるわよ!!レイは私のものなんだから!!」
セナは強く頷き、胸を張る。
「私が優しいとか、そういう勘違いはしないでよね!」
レイはふと笑った。
「はいはい、わかったよ……でも、やっぱり助かったのは事実だから」
「っ……!」
セナは足を止め、じっとレイを睨みつける。
「……レイ」
「ん?」
「そ、そうやって素直にお礼言われると……やりづらいのよ!」
セナは顔を赤くしたまま、わざとそっぽを向いて叫んだ。
レイは苦笑いで頭をかきながら歩き出す。
「悪い悪い。でもまた頼むかもしれないから、そのときはよろしくな」
「ふ、ふんっ……!」
セナは腕を組み、夕陽を背に答える。
「ま、まぁ……レイの頼みならね!ステラちゃんのためじゃないから!」
「お手柔らかにな」
「容赦なんてしない!」
セナは高らかに言い放つ。
その横顔は、照れ隠しで赤くなりながらもどこか誇らしげに輝いていた。




