第20章「遠き日の思い出」
レイはゆっくりとバイオリンを構える。
弓の先端が弦に触れる前の静寂さえも、夜風とイルミネーションに吸い込まれるようだった。
ステラはピアノの前に腰を下ろし、指を鍵盤にそっと添える。
指先の緊張が伝わる――それでも瞳は希望に満ち、夜空を見上げるかのようだった。
──最初の一曲。
セナ=フォスターの切ないバラード曲。
レイのバイオリンが小さく震えながらも、哀しみと美しさを同時に湛えて響く。
ステラのピアノはその旋律を柔らかく包み込み、互いの音が呼吸を合わせるように広場に広がった。
観光客たちは自然と立ち止まり、息を呑む。
「……すごい……」
「プロの人?」
ざわめきの声が広がるが、誰も動けず、二人の音に魅了されていた。
二曲目は力強いバラード曲。
ステラの指が鍵盤を躍らせるたび、弦の響きが情熱的に変化する。
レイの弓が精密に舞い、旋律に微かな震えを加える。
音が重なるごとに、観客の輪はさらに広がり、涙をぬぐう人、スマホで録画する人、立ち尽くす人……
広場全体が、二人の音に吸い込まれるかのように静まり返っていた。
──そして三曲目。
ステラは深く息を吸い、レイに視線を向ける。
「最後に……」
鍵盤に指を落とすと、自分のオリジナル曲「月の雫」が静かに流れ出した。
透明で澄み切った旋律は、夜空から滴る光を音にしたようで、誰もが息を呑む。
レイのバイオリンが寄り添い、二人の音は一つの物語を紡ぎ、聴く者の胸を静かに震わせる。
観客は誰も声を発さず、ただ音に引き込まれていた。
子どもが母親の手をぎゅっと握り、大人は涙を拭う。
演奏が終わった瞬間、広場いっぱいに大きな拍手と歓声が湧き上がる。
ステラは息を切らし、目を輝かせてレイを見上げる。
「ありがとう……本当に夢みたい」
レイは少し目を逸らし、口元に笑みを浮かべた。
「……悪くなかった。こっちこそありがとう。おかげで吹っ切れたよ」
──その瞬間、人混みの後方で一人立ち尽くす影があった。
「……嘘よ……」
目を見開きそう呟くのはセナ=フォスター。
新曲のPV撮影を終え、観光がてら苑を訪れていたところ、偶然この演奏を目にしたのだ。
目の前に広がる音楽――ピアノとバイオリンが絡み合う旋律。
その音色は、どこか七年前の記憶を呼び覚ます。
あの日、両親を交通事故で失い絶望していた彼女。
画面越しに見た少年――天才バイオリニストとして取り上げられ、誰もが称賛する演奏に、胸が震え、心が救われたあの日の少年。
「……まさか……」
心の奥がざわつく。
レイが、今、目の前であの音を奏でている――。
ダンサーであるはずの彼が、こんなに深い音色を紡ぐなんて。
「なんで……どうして……? レイが……バイオリンを……しかもこの音は!!」
言葉に詰まり、セナは胸に手を当てて立ち尽くす。
過去と現在が重なり、懐かしさ、感動、そして少しの切なさが胸を締めつける。
知らず知らず、セナの目から一筋の涙が零れ落ちた。
あの少年――自分を音楽の道へ導いたあの少年が、今、目の前で演奏していたかもしれないという事実に、胸の奥が揺さぶられていた。




