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第15章「許嫁」

セナのネオ幕張アリーナでのライブが予定される3日前。ユーリとアオイは放課後、二人きりで夕陽が差し込む学校の音楽室にいた。大きな窓から柔らかいオレンジ色の光が射し、グランドピアノの表面がきらりと反射する。

その前に座るアオイは、黒髪をポニーテールで結い、指先を鍵盤に滑らせる。流れる旋律は繊細で、少しだけ胸を締めつけるような切なさを帯びていた。


「やっぱりアオイのピアノはいいな」


窓際に腰かけて聴いていたユーリが、長い脚を組みながら感心したように言う。


アオイは手を止め、眼鏡を指で押し上げて小さく笑った。


「ありがと。でも、まだまだよ。ところでユーリは相変わらずそんな風に色んな女の子を口説いてるの?」

「違うって。心からの感想だよ」


そう言って軽く肩をすくめる仕草も、どこかいつもの軽さとは違って、妙に真剣さを帯びていた。

少しの沈黙。アオイは迷ったように鍵盤を見つめ、それから口を開く。


「そういえばユーリ。彼女はどうしたの?」


不意を突かれた問いに、ユーリの笑顔が一瞬だけ曇った。


「別れたよ。最近な」


それ以上の説明はしない。けれどその短い言葉に、いろんな想いがにじんでいた。


アオイは目を伏せる。心臓がちくりと痛む。

――自分には許嫁がいるから。

なのに今、こんなふうに二人きりで過ごしていることが、後ろめたくて、そして少し嬉しい。


「……そっか。ユーリにしては珍しいね」


できるだけ平然を装ってそう言うと、ユーリが苦笑した。


「まあな。俺、意外と長続きするタイプなんだけどな?」


それから、ふっとアオイを見やって――わざと軽口めいた調子で続ける。


「そういうそっちは? イケメンプロダンサーの許嫁とは上手くいってるのか?」


アオイの指がピタリと鍵盤の上で止まった。

眼鏡の奥の瞳がわずかに揺れて、ほんのり頬が赤くなる。


「……そんな、いきなり聞かなくてもいいでしょ」


唇を尖らせながらも、どこか照れくさそうに横を向く。

ユーリは片手で頬杖をつき、わざとらしくニヤリと笑った。


「いやあ、気になるだろ? 幼なじみとして、な」

「……幼なじみ、ね」


アオイはぽつりとつぶやく。声は小さいのに、なぜかその言葉がユーリの胸に強く響いた。


窓の外からは、グラウンドで部活をする声が遠く聞こえてくる。

夕陽に染まる音楽室の空気は、不思議と二人だけの世界を作り出していた。

ユーリが、少しだけ真剣な声で口を開いた。


「……なあ、アオイ。もし――もしもだけど、立場とか約束とか、そういうのがなかったら……俺たち、どうなってたんだろうな」


アオイの指先が、鍵盤の上で止まる。

答えたい。けれど答えられない。

胸の奥に秘めた想いを、ただ旋律に託すように、再び鍵盤をそっと叩いた。


切なく甘い音色が、夕暮れの空気に溶けていった。

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