第1章「あなたと出会ったイタズラが」
西暦2400年5月1日。ここはネオ横浜・シティにある夕陽ヶ丘高校の屋上。時刻は正午。ちょうど昼休みで賑やかになり始めた頃、雲ひとつない青空の下、レイ=ヴァレンタインはコンクリートの床に寝転がり、日差しを浴びながら欠伸をしていた。
「聞いたよ!まーた屋上で授業サボってたの?」
軽やかな声とともに影が差す。
「ん?なんだステラか……」
声の主はステラ=バッカニア。金色のショートヘアは陽光を受けてきらめき、落ち着いた翡翠色の瞳にはどこか母性的な優しさが宿っている。制服のスカートの裾を押さえながら、レイを見下ろすその姿は、まるで小言を言う姉のようだった。
「ちょっと!せっかく心配してるのに!そんなんじゃ留年しちゃうよ!」
「ははっ……俺が留年?俺はこうみえて主席なんだが……」
涼しい顔で言うレイに、ステラは目を丸くした。
「そ、そういう問題じゃないの!どうして授業に出ないの?」
レイはゆっくりと身を起こし、制服のポケットからくしゃくしゃの100点と書かれたテストの答案用紙の切れ端を取り出す。それを丁寧に折り直しながら、口元にかすかな笑みを浮かべた。
「退屈だから……かな。授業でやってるのは俺の魂を揺さぶらない。あんなものはダンスじゃないな。」
最後の折り目を指先でなぞると、白い紙飛行機が形を成す。レイは屋上のフェンスの向こう、街の空へとそれを放った。風を受けた紙飛行機はふわりと舞い上がり、青空に小さな白い軌跡を描いていった。
ステラは紙飛行機の行方を追っていた視線をレイへと戻すと、呆れ半分に肩をすくめた。
「もう……!ああ言えばこう言う!……でも手は大事にしてね。あなたの手は……」
レイはわずかに目を伏せ、そして苦笑いを浮かべる。
「わかってる。だからバク転とかはしない。」
その軽口にステラは「そういうことじゃないのに」と口を尖らせたが、内心ほっとしていた。
レイは一呼吸置いて、ふと思い出したように声を上げた。
「そういえば……知ってるか? 『情熱の歌姫』セナ=フォスターがセントラル・東京でライブするらしいぞ?」
「えっ……!!嘘っ!!」
ステラの瞳が一瞬で輝きを帯びる。金色の髪まで跳ねるように動き、興奮を隠せない。
「あのセナの……? ほんとに?!」
レイはポケットから小さなチケットを一枚取り出し、ひらひらと振ってステラに差し出した。
「……ほら!」
「えっ、ちょ、ちょっと待って!これ、どうしたの?」
ステラは驚きと喜びの入り混じった声でチケットを両手で受け取る。レイは少し照れくさそうに頭をかきながら答えた。
「ダンス科の成績上位10名がボランティアで、セナのライブのバックダンサーをやることになったんだ。……で、そのご褒美にチケットを一枚もらった。」
「な、なにそれっ……!」
ステラは息をのむ。思わずレイをまじまじと見つめた。
「レイが……セナのライブでバックダンサーするの?!」
その声には驚きと羨望と、そして少しの誇らしさが混じっていた。レイは肩をすくめながら、からかうように笑った。
「まぁ、そうなるな。――よかったら来週の土曜日、暇か? 暇だったら見に来いよ。本物って奴を見せてやるからさ。」
「……! 絶対行く!!」
ステラは食い気味に答え、チケットを胸にぎゅっと抱きしめた。その頬はほんのり赤く染まっている。
レイはそんな彼女を見て、少しだけ嬉しそうに目を細めた。
--
そして、来週の土曜日。
東京セントラルドームへと続く大通りは、多くの観客で賑わっていた。ネオンの看板が昼間から煌めき、開場前から熱気が漂う。人混みの中を並んで歩きながら、ステラがそっと口を開いた。
「いよいよ、だね……」
彼女の声には期待と緊張が混じっている。レイは手をポケットに突っ込み、普段と変わらぬ調子で小さく笑った。
「--ああ。ま、見てろよ。退屈なんて言わせないからさ。」
--
東京セントラルドームの正面に立つと、圧倒的なスケールに思わずステラは息を呑んだ。
ドームの外壁には巨大なスクリーンが設置され、セナ=フォスターの姿が映し出されるたびに観客たちの歓声が響き渡る。
「じゃあ俺はもう少しで共演者の打ち合わせがあるから関係者専用の入り口から入る。お前は一般の方に並んでろよ」
レイは片手を軽く上げると、さっさと人混みを抜けて裏手へと歩いていった。
「うん!頑張ってね!」
ステラは小さく呟きながら、一般入場口の長蛇の列へと足を運んだ。
――
しばらくして、ドームの中へ。
天井近くまでびっしりと並んだ観客席。見渡す限り人、人、人。無数のライトが揺れ、ステージ中央を照らす光はまるで宝石の輝きのようだった。
「わぁ……すごい……」
思わず口から漏れる。胸の奥が高鳴り、全身が震えるような感覚に包まれていた。
巨大スクリーンに映し出される映像、耳をつんざくほどの歓声、そして今にも始まろうとするライブの熱気。
(こんな場所で……レイが、セナと一緒に……!)
その事実を思い出した瞬間、ステラの胸には誇らしさと期待がいっぺんに溢れ出し、自然と笑みがこぼれた。
--
ステージ裏。眩いライトが漏れ、観客の歓声が厚い壁を震わせる。いよいよ始まる直前、空気は張り詰めていた。レイは深呼吸をひとつしながらストレッチを続けていた。その隣で、青色の髪に銀縁のメガネをかけた長身のユーリ=ミカムラが、腕を組んでため息をつく。
「結局セナ=フォスター本人は、最終打ち合わせに顔を出さなかったな。俺たち、学生だから信用されてないんじゃないか?」
「う、うん……ぼ、僕もそう思うよ……」
緑髪で優しい雰囲気を醸し出すアルヴァン=スミスが、おどおどしたように答える。緊張で肩がすくみ、視線が落ち着かない。
「だって、こんな大舞台なのに……僕たちに期待してないってことなんじゃ……」
レイはそんな二人を見渡し、ふっと笑みを浮かべた。
「……だからこそ、見せてやろうぜ」
『え……?』
とユーリとアルヴァンが目を瞬かせる。
「俺たち学生でも、ここに立つ価値があるってな。セナが当てにしてないなら、その分以上のもんを叩きつけてやればいい。俺たちの踊りで」
その力強い言葉に、しばしの沈黙が落ちる。やがてユーリがフッと笑い、腕を組み直した。
「まったく、お前らしいな、レイ!」
「ぼ、僕も……が、頑張るよ……!」
アルヴァンは緊張で声を裏返しながらも、小さく拳を握りしめた。
その瞬間――
「ずいぶん威勢がいいじゃない!!」
艶やかな低い声が、背後から降りかかった。
三人が振り向くと、ステージ裏の入口から一人の女性が姿を現した。
真紅のドレスの裾が床を滑るように揺れ、炎のように鮮烈な長い赤髪がライトに照らされて煌めく。
挑むように整った瞳、揺るぎない自信を宿した微笑み。圧倒的なオーラを纏ったその存在感に、空気が一変する。
『情熱の歌姫』セナ=フォスター。
トップシンガーの名に相応しい、唯一無二の女王がそこに立っていた。