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第7話 世論という怪物

鬼頭剛太郎への接触が失敗に終わってから数日、陸は焦りを募らせていた。永田町という巨大な壁を前に、自分がいかに無力であるかを痛感させられる毎日だった。


そんな中、陸は反撃の次の一手を打つべく、ジャーナリストの橘と、議員会館の喫茶室で密かに打ち合わせをしていた。

「やはり、内側から崩すのは難しいようです。鬼頭は伊達を恐れている」


陸が切り出すと、橘はエスプレッソを一口すすり、呆れたように言った。

「だろうな。あのタヌキ親父、あんたが帰った後、すぐに伊達に尻尾を振って『高遠の息子が嗅ぎ回ってますぜ』とチクったに違いねえ。これで、向こうもあんたを明確な敵だと認識したはずだ。そろそろ、何らかの反撃が来るぞ。覚悟しとけ」


橘の言葉に、陸はゴクリと喉を鳴らした。

「……で」と橘は続けた。「あんたから電話があった通り、鬼頭のような内側の連中がダメなら、外堀から埋めるしかない。週刊誌でインフラ法案の危険性をぶちまける準備を進めてる。これを見ろ」


橘は、週刊誌のゲラ刷りをテーブルの上に広げた。見出しには『あなたの年金が、中国に食い物にされる!』という扇情的な文句が躍っている。

「年金、ですか?」

「ああ。この法案のスキームでは、運営権を得た企業がインフラ整備の名目で多額の融資を受けることになる。その融資元の一つが、俺たちの年金を運用している巨大な公的ファンドってわけだ。つまり、俺たちの知らんうちに、国民の財産が中国のフロント企業に流れ、日本のインフラを乗っ取るための資金に使われちまう。そういう構図さ」


橘の説明に、陸は愕然とした。陰謀は、国民生活の根幹にまで及んでいたのだ。

だが、この記事が世に出ることはなかった。

その日の夕方、陸が事務所で次の戦略を練っていると、テレビから聞き覚えのある声が聞こえてきた。野党・新生党のエース、瑞樹 秀が、緊急の記者会見を開いていたのだ。

橘の「反撃が来る」という予言が、あまりにも早く現実のものとなった。


フラッシュの嵐の中、瑞樹は悲痛な面持ちでマイクの前に立った。

「本日、私がここにおりますのは、ある同僚議員の、あまりに卑劣な言動を、皆様にお伝えするためです」

その言葉に、陸は嫌な予感を覚えた。


「信頼できる複数の筋から、私の耳に、断じて看過できない情報が入りました。与党の高遠 陸議員が、私の政策を『日本の伝統を壊すものだ』と批判するだけに留まらず、私の出自に関して、極めて差別的な発言を繰り返している、とのことです。これは、議論ではありません。ヘイトスピーチです!」


会見場は、騒然となった。

陸は、全身から血の気が引いていくのを感じた。

(……なんだと?)


会ったこともない。瑞樹とは、一度も直接話したことすらないのだ。これは、完全な、悪意に満ちた捏造だ。伊達への揺さぶりに失敗した陸を、今度は瑞樹がメディアを使って社会的に抹殺しにきたのだ。


瑞樹は、カメラに向かって悲痛な表情で訴えかける。

「私は、このような差別的な考え方と、国会議員として、一人の人間として、断固として戦います!」


その夜から、陸への攻撃が始まった。

テレビのニュース番組では、コメンテーターたちが口を揃えて陸を非難した。

「信じられませんね。人の出自をあげつらうなど、政治家以前に人として失格です」

「まさに古い自民党の体質そのもの。こういう議員がいるから、政治改革が進まないんですよ」

ネットの世界は、さらに惨憺たる有様だった。


SNSには「#高遠陸の議員辞職を求めます」というハッシュタグがトレンド入りし、陸の個人アカウントには、罵詈雑言の嵐が吹き荒れた。


『差別主義者は国会から出ていけ!』

『親の七光りのくせに、何様だ』

『お前みたいなのがいるから、日本はダメになる』


顔も知らない、声も知らない、無数の人々からの悪意。

それは、これまで陸が経験したことのない、巨大な怪物だった。反論しようにも、相手の姿が見えない。何を言っても、捏造された「差別主義者」というレッテルを前に、すべてが空しく掻き消されていく。

陸は、たった一人で、匿名の国民感情という名の津波に飲み込まれようとしていた。


事務所の電話は鳴り止まず、メールサーバーは抗議のメールでパンク状態になった。後援会からも、「一体どういうことだ!」という怒りの電話が殺到する。

「……これが、世論か」


自室で、スマートフォンの画面に映し出される罵詈雑言の数々を眺めながら、陸は呆然と呟いた。

瑞樹が作り出した、巧妙なストーリー。人々は、その分かりやすい悪役に、何の疑いもなく石を投げつけてくる。インフラ法案の危険性など、もはや誰も気に留めない。完全に、世間の関心は「差別主義者のボンボン議員」というゴシップにすり替えられてしまった。

これが、“蝉”の本当の力。


人々の正義感を煽り、思考を停止させ、一つの方向に熱狂させる。

その熱狂の前では、どんな真実も無力だった。

陸は、為すすべもなく、見えない怪物に喰い尽くされていく自分を感じていた。


孤独と絶望が、じわじわと心を蝕んでいく。このまま、自分は押し潰されてしまうのだろうか。

その時、震える陸の肩に、そっと手が置かれた。振り返ると、浅野が静かな、しかし強い意志を宿した瞳で立っていた。


「陸さん。怪物と戦う時は、目をそらしてはいけません。きっと、道はあります」

その言葉だけが、陸の心を繋ぎ止める、最後の錨だった。


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