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第6話 見えない壁

「本当に、お一人でよろしいのですか」

議員会館の重々しい扉の前で、浅野恭子が心配そうに陸の顔を覗き込んだ。これから向かう事務所の主は、父・高遠誠二が生前、最も激しく対立してきた政敵の一人だ。

「大丈夫ですよ。これは、俺自身の戦いですから」

陸は浅野に頷きかけると、一つ深呼吸をして、扉をノックした。


『民自党 鬼頭剛太郎』


プレートに刻まれたその名前は、建設族のドンとして長年永田町に君臨する長老議員のものだ。父が「クリーンな政治」を掲げて公共事業の見直しを断行するたび、この鬼頭が族議員の代表として猛然と抵抗してきた。二人はまさに犬猿の仲だった。

「入れ」

中から、ドスの利いた声が響く。陸が扉を開けると、紫煙のもうもうと立ち込める部屋の奥、巨大な革張りの椅子に、鬼頭剛太郎きとう ごうたろうがふんぞり返っていた。まるで巨大なヒキガエルのような男だ。


「……ほう。高遠のところの、ボンボンか。何の用だ」

鬼頭は、値踏みするような目で陸を睨みつけた。事務所の壁には、彼が大臣だった頃の写真や、地元建設業界からの感謝状がこれみよがしに飾られている。

「お忙しいところ、恐れ入ります。本日は、鬼頭先生にご相談したいことがあり、参りました」

陸は、持参した資料を取り出し、鬼頭の広大な机の上に広げた。

「現在、国会で審議中の『重要経済基盤の安定供給確保法案』についてです」

「ああん? インフラ法案だと? なんだ小僧、親父と同じように、公共事業にケチをつけに来たのか」

鬼頭が、不機嫌そうに葉巻の灰を落とす。


「いえ、逆です」

陸は、きっぱりと言った。

「私は、この法案が通ることによって、鬼頭先生方が長年かけて築いてこられた、我が国の建設・インフラ業界の体制そのものが、根底から脅かされる危険性について、ご警告に参りました」

陸は、鬼頭の専門分野である「利権」に的を絞って、冷静にプレゼンテーションを始めた。

「この法案では、運営権が外資、特に中国系の企業に渡る可能性があります。彼らは潤沢な資金を背景に、日本の企業を排除し、資材の調達から現場の作業員に至るまで、全てを自国のサプライチェーンで固めるでしょう。そうなれば、先生の地元の建設会社の仕事は、どうなりますか?」

陸の言葉に、鬼頭の眉がぴくりと動いた。自分のシマが荒らされる。その一点において、彼の利害は陸と一致するはずだった。

「さらに言えば、これは一度きりの話ではありません。港湾、通信、そして電力。一度明け渡した利権は、二度と日本の手には戻ってこない。これは、先生方が守ってこられた業界全体の、死活問題です」


陸が話を終えると、鬼頭はしばらく黙って葉巻をくゆらせていた。その目に、一瞬、貪欲な計算の色が浮かんだのを陸は見逃さなかった。金の匂いに、この男は誰よりも敏感なのだ。

だが、鬼頭は老獪だった。

「……面白いことを言うじゃねえか、高遠の小僧」

彼は、ゆっくりと煙を吐き出した。

「だがな。その法案を推し進めているのが誰だか、分かって言っているのか。内閣官房長官、伊達正宗だぞ。お前、あの伊達に喧嘩を売るってのか」

その言葉には、明確な脅しの色が滲んでいた。

「あんたの親父は、正義感が強すぎた。だから、伊達に睨まれて、あっけなく消された。お前も、親父の二の舞になりたいのか?」


陸は、背筋が凍るのを感じた。鬼頭は、父の死の真相を知っているわけではないだろう。だが、永田町の力学として、伊達に逆らった父が「消された」と認識しているのだ。それが、この世界の現実だった。

「私は、父が正しいと信じた道を、進むだけです」

「青臭いな」

鬼頭は、心底つまらなそうに鼻を鳴らした。

「伊達に逆らって、俺に何の得がある? お前の見え透いたお世辞に乗って、この鬼頭剛太郎が泥船に乗るとでも思ったか」


結局、鬼頭は「協力する」とも「しない」とも言わなかった。

「面白い話だった。少し考えさせてもらうさ。さっさと帰れ」

そう言って、一方的に話を打ち切った。彼が陸と伊達を天秤にかけ、最も自分に利益のある方につこうとしているのは明らかだった。


重い足取りで事務所を出て、議員会館の長い廊下を一人とぼとぼと歩く。

最初の揺さぶりは、失敗に終わった。

鬼頭の最後の言葉が、頭の中で反響していた。

「高遠の小僧、お前は何も分かっておらん。この永田町はな、国益だの正義だの、そんな青臭いもんで動いとるんじゃない。貸しと借り、派閥の力、そして何より『長いものには巻かれろ』という空気だ。伊達は長すぎる。お前に勝ち目はない」


そうだ。自分が戦うべきなのは、伊達や瑞樹といった個人の敵だけではない。

正義や正論が、派閥の論理や個人の利権、そして強者への恐怖心の前でいとも簡単にねじ伏せられてしまう、この永達町という名の巨大なシステムそのものだ。

見えない、しかしあまりに分厚い壁。

その存在を、陸は全身で痛感していた。


だが、陸の目は、まだ死んでいない。

どうすれば、この壁を打ち破れる?

力がないなら、知恵を使う。正面から壊せないなら、どこかに綻びはないか。

ゲームプランナーとしての思考が、次の作戦を練り始めていた。絶望的な状況であるほど、燃えてくる。

陸はポケットからスマートフォンを取り出し、ある人物に電話をかけた。ジャーナリストの橘蓮司だ。

「橘さん、俺です。鬼頭はダメでした。次の手を考えます。力を貸してください」

この理不尽なクソゲー、絶対にクリアしてやる。陸は固く誓った。

最後までお読みいただきありがとうございました!

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