第21話:消える信頼
月曜の朝、陸が事務所に着くと美鈴が金庫の前で青ざめていた。
「陸さん、金庫が…開いています」
昨夜は確実に施錠したはず。しかも物理的な破壊の痕跡はない。
確認すると活動資金50万円が消失していた。
さらに深刻なのは支援者名簿と寄付者リストの原本も消えていたことだ。
「これは…個人情報の固まりです」美鈴の声が震える。
陸が密かに金庫の隠しスペースに保管していた父の印鑑も消えている。
「これは僕しか知らないはずの場所だ…」内部犯行の確信が重くのしかかる。
午前10時に千鶴から緊急電話が入った。
「陸先生、おかしなメールが来てる!」
港湾労働者たちに「内部告発」を装ったメールが一斉送信されていたのだ。
『高遠陸事務所の会計担当の者です。良心の呵責に耐えかねて…』
『皆様からの寄付金が、陸氏の個人的な飲食費やゲーム課金に使われています』
『証拠として、皆様の寄付額を記載します』
メールには実際の寄付額が正確に記載されていた。
「もう信用できない」「金返せ」「詐欺師」
事務所の電話が鳴り止まない。美鈴が必死に対応するが、人々は聞く耳を持たなかった。
オンライン口座を確認すると定期寄付が次々とキャンセルされていた。
「このままでは、来月以降の事務所運営費も…」
緊急スタッフ会議が開かれたが、重い空気が漂う。
「金庫を開けられるのは…」という話題を誰も口にできない。互いを疑う視線が交錯していた。
「先生、僕たちにも金庫の中身を確認させてください」
田中が真摯な態度で言う。
「疑われるのは嫌ですから、身の潔白を証明したいんです」
彼は積極的に、事務所のメンバーへの疑いを晴らそうとしてくれた。
「セキュリティカメラの死角を知っているのは内部の人間だけです」
吉見が冷静に分析する。まるで探偵のように、一つ一つの可能性を検証していく。
「そして土曜の深夜に事務所に入れるのは、合鍵を持っている人間だけ。それは…」
彼の視線が、一人一人のスタッフを順番に見ていく。
重苦しい雰囲気の中、インターンの吉田香織が差し入れを持ってくる。
「先生、こんな時だからこそ団結しないと」
手作りのお弁当を配る彼女は、まるでこの疑心暗鬼の空間には属さない、天使のような存在だった。
「私の祖父も政治家でした。『信頼は一夜にして崩れるが、築くのは一生かかる』って」
「でも先生ならきっとまた信頼を取り戻せます」
その純粋な応援に陸は少し救われた。
一方、他のボランティアスタッフの中には、怯えたように早退する者も出始めていた。
「すみません、今日は…」
彼らは何かに怯えているのか、それとも巻き込まれたくないだけなのか。
「手口がプロすぎる」
セーフハウスで報告を受けた橘が指摘する。
「金庫の開け方、メールの送信タイミング、心理的な効果…素人じゃない」
夕方、陸の携帯に見慣れた番号から着信があった。
「陸か?俺だ、篠原だ」
大学時代、ゲーム制作サークルで一緒に徹夜でプログラミングをした友人。今は朝日新聞の政治部記者をしている。
「健太?久しぶりだな」
「久しぶりじゃ済まねえぞ。お前、今すぐ確認しろ」
篠原の声は、いつもの軽い調子ではなく、緊迫していた。
「さっき、お前の事務所の『内部告発者』を名乗る奴から、うちの社会部にタレコミがあった」
「何だって?」
「『高遠陸の政治資金収支報告書に、虚偽記載がある』ってな。キャバクラ、銀座の高級寿司、しかもそれぞれの領収書の写真付きだ」
陸は息を呑んだ。
「健太、それは完全な捏造だ。」
「分かってる。お前がそんなことするわけない。だから真っ先に連絡したんだ」
篠原は声を落とした。
「だが陸、うちのデスクは記事にする気満々だ。『若手議員の不正経理』は読者ウケがいいからな」
「何とか止められないか?」
「俺も必死に止めてる。でも、領収書の写真があるから説得力があってな…」
篠原は悔しそうに続けた。
「せめて時間を稼ぐ。お前はその間に、反証を用意しろ。いいな?」
電話を切った後、陸は愕然とした。
敵の動きは、恐ろしいほど早い。
動揺している陸に美鈴が声を掛けた
「陸さん、金庫を最後に開けたのは…」
美鈴の報告に皆が息を呑む。
「電子ログを確認すると土曜の深夜2時17分でした」
「アクセスコードは...陸さん、あなたのものです」
「でも、その時間、私は自宅にいた。GPSの記録もある」
陸は震える声で言った。
「つまり...誰かが私のコードを複製したんだ」
美鈴が青ざめる。
「それができるのは、システムに精通していて、なおかつ陸さんがコードを入力する瞬間を見ることができる位置にいる人物...」
母・美佐子から心配の電話が入った。
「陸、大丈夫? ニュースで見たわ」
「母さんまで疑ってるの?」
「違うわ。政治家なんて誰かに裏切られるのが仕事よ。だからこそ信頼できる人を見極めるのが政治家の資質なのよ…」
美佐子は一呼吸置いて続けた。
「お父様も同じようなことがあったわ。支援者名簿が盗まれて、めちゃくちゃな噂を流された」
「でもね、陸。本当に怖いのは外の敵じゃない。信じていた人に裏切られることよ」
「お父様は最後まで、誰が裏切ったのか分からなかった。それが一番辛かったみたい」
人を疑うことの辛さに陸は苦しんだ。だが疑わなければさらなる被害が出る。
「これが奴らの狙いか…内部分裂させることが」
それでも一部の支援者は陸を信じ続けてくれた。
「俺たちは陸先生の人柄を知ってる」
「こんな工作に騙されるか」
それはわずかな希望の灯だった。
スタッフが帰った後、陸は一人事務所に残った。
そして金庫の前で立ち尽くす。
窓の外は師走の夜。クリスマスイルミネーションが皮肉なほど明るい。
信頼という見えない財産が、音を立てて崩れていく。
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