第20話:消された声
翌朝6時。師走の冷たい空気が、まだ街を支配している時間。
陸のスマートフォンのけたたましい着信音が、セーフハウスの静寂を切り裂いた。美鈴からの、緊急連絡だった。
「陸さん、大変です! テレビをつけてください、今すぐ!」
その切迫した声に、陸はソファから飛び起きた。テレビをつけると、全局が、同じニュースを、トップで報じていた。
『速報:衆議院議員・瑞樹 秀氏、今朝未明、都内の自宅で死亡』
アナウンサーが、信じられない、といった表情で、原稿を読み上げる。
「……死因は、急性心不全と見られています。享年42歳。あまりに突然の訃報に、永田町には衝撃が広がっています」
急性心不全。その言葉に、陸は、父の死を思い出し、全身が凍り付くのを感じた。
メディアは、一斉に「国会での激務による、過労が原因か」と報じている。
だが陸の脳裏に、1年前のビデオ通話での瑞樹の言葉が蘇った。
『君は分かっていない...伊達だけじゃない、綾小路だけでもない...』
瑞樹は震えながら、窓の外を何度も確認していた。
まるで、海の向こうから自分を見つめる目を恐れているかのように。
その日の午後、事務所の空気は、鉛のように重かった。
橘が、裏社会の情報網を駆使して、衝撃的な情報を掴んできた。
「瑞樹の奴、死ぬ三日前に検察に接触していた。だがな...」
橘は声を潜めた。
「俺の情報源によると、その動きは即座に北京に報告されたらしい。在日中国大使館の職員が、異常な動きを見せていたって話だ」
「つまり...」
「ああ。瑞樹は『祖国への裏切り者』として、本国から死刑宣告を受けたんだ」
テレビには、瑞樹の妻が、気丈にインタビューに応じる姿が映し出されていた。
「夫は最近、仕事のストレスで、眠れない日が続いておりました……。今はただ、私たち家族を、そっと、しておいてください」
その声は、まるで台本を読んでいるかのように、感情がなく、平坦だった。陸には、それが、悲しみに暮れる未亡人の姿には、到底見えなかった。
「陸、見てくれ」
橘がノートパソコンの画面を陸に向けた。彼は瑞樹の死の直前の行動記録を調査していたのだ。
「死の前日、瑞樹は都内にある民間の貸金庫を訪れている。そして、何かを預けた形跡が……。だが、その貸金庫は、彼の死亡が確認された直後、今朝の5時過ぎに、何者かによって、開けられている。中身はおそらく空っぽだろう」
橘が声を潜めて続けた。
「俺の情報源によると、瑞樹は検察の幹部に『日本の港湾が外国勢力に乗っ取られている証拠がある』と持ちかけたらしい」
「それで?」
「検察は慎重に検討すると答えた。その3日後に、瑞樹は死んだ」
瑞樹が、命がけで遺そうとした、最後のメッセージ。それは、敵の手に渡ってしまったのか。
万策尽きたか、と思われた、その時だった。
事務所の郵便受けに、一通の、何の変哲もない封筒が届いていた。差出人の名前はない。陸宛てだった。
中には、一枚のメモのコピーだけが入っていた。その、震えるような筆跡に、陸は見覚えがあった。瑞樹のものだ。
『高遠陸へ。
君がこれを読んでいるなら、私はもう、この世にはいないだろう。
奴らは、必ず私を消しに来る。
だが、これだけは伝えておく。
李明瑞を、調べろ。
彼が、全ての鍵だ』
李明瑞。初めて聞く名前。
そのメモを、陸は、強く握りしめた。
翌日の都議会。
議長が重々しく告げる。
「瑞樹秀衆議院議員のご逝去を悼み、黙祷を捧げます」
頭を垂れる議員たち。
綾小路派の議員たちの表情は複雑だった。
悲しみではない。
安堵でもない。
そこにあったのは、言いようのない恐怖だった。
陸は理解した。
彼らは瑞樹と同じ「商品」を中国から買っていた。
だが、その「商品」には、返品も、契約解除もできない。
一度手を出したら最後、死ぬまで支配される。
桜井が陸に近づいてきた時、その顔は土気色だった。
「高遠君...君は賢明だ。余計なことには、首を突っ込まない方がいい」
それは脅しではなく、怯えた男の忠告のようにも聞こえた。
セーフハウスに戻った陸は、父の古い資料を、もう一度、見返していた。そして、見つけてしまったのだ。
三十年前、父が都議時代に、激しく対立していた議員の一人もまた、42歳という若さで、急死していた。死因は、同じく「急性心不全」。
パターンが、同じだ。邪魔者は、消される。
そこへ、千鶴から、緊急の連絡が入った。
「陸先生、港で、奇妙な噂が流れてるんだよ……」
千鶴からの情報がそれを裏付けた。
「瑞樹議員が死んだ夜、第三埠頭に外交官ナンバーの車が数台来てたって」
「外交官ナンバー?」
「ああ。中から出てきたのは、明らかに軍人って感じの男たちだったらしい。何か重い物を海に投棄して、すぐに消えた」
美鈴が青ざめた。
「外交特権を使えば、日本の警察は手出しできません...」
「瑞樹議員は、元々『李傑』という名前でした」
美鈴がデータを示す。
「彼は1982年、中国で生まれ、10歳の時に『帰国子女』として日本に来ています。しかし...」
画面に映し出された古い記録。
「彼の『日本人の両親』は、実在しない人物でした。完璧に作られた偽の家族史」
「さらに恐ろしいのは」
美鈴の指が震えていた。
「同じパターンで日本に入国した子供が、この30年間で、少なくとも50人以上います」
「陸」
橘が、立ち上がった。
「俺が、瑞樹の自宅周辺を、もう一度、探ってみる。奴が、命がけで、貸金庫以外にも、何かを遺しているかもしれねえ」
「危険すぎます!」
「だが、行くしかねえだろ! 奴が、最後に託そうとした何かを、俺たちが見つけ出してやらなきゃ、奴は、本当に犬死にだ!」
陸は、窓の外に目をやった。
師走の冷たい雨が、東京の街をまるで洗い流すかのように激しく叩いていた。
(この国に巣食う、全ての嘘と欺瞞を洗い流すまで俺は決して止まらない)
瑞樹は二つの祖国の間で引き裂かれそして消された。
だがその死が最後の道標となった。
「李明瑞...」
陸はその名前を静かに、しかし強く呟いた。
敵の正体が、少しずつ見えてきた。
それは一人の政治家でも、一つの組織でもない。
国家そのものが、数十年かけて日本に送り込んだ、生きた兵器たちだった。
父も、その真実に辿り着いたから殺された。
瑞樹も、その呪縛から逃れようとして殺された。
次は、自分の番かもしれない。
だが陸は、恐怖よりも、静かな怒りを感じていた。
陸は、壁に貼られた父の遺影に向かって、静かに呟いた。
「あなたの死を、そして、彼の死を決して無駄にはしない」
この国を見えない侵略から守る。
それが生き残った者の使命だった。
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