第16話:既視感
十二月、東京の空気は、刃物のように冷たかった。
陸は、文教委員会の公式な視察の一員として、東京港の臨海地区を訪れていた。表向きの目的は「臨海副都心地区における、教育施設の防災体制の現地調査」。だが、陸の本当の狙いは、別にある。
「教育施設の防災を考える上で、周辺環境、特に港湾施設の災害時対応を理解することは不可欠です」
陸は、自らそう提案し、視察スケジュールの中に、強引に「港湾施設の最新オペレーションシステムの見学」をねじ込んでいたのだ。
臨海部を吹き抜ける、東京湾からの風は、凍えるように冷たい。視察に同行した他の議員たちは、皆、厚手のコートの襟を立て、マフラーに顔を埋めている。その中で、陸だけが、寒さも忘れたかのように、鋭い目で、真新しい物流センターを睨みつけていた。
そこは、国籍不明の警備員が守っていた、あの謎の倉庫群があった場所だ。今では、巨大な物流センターへと姿を変えていた。
センターの玄関では、数人の男たちが、一行を出迎えた。その中心にいたのは、運営権を新たに獲得したという新会社『東亜港湾管理』の幹部、三井と名乗る男だった。上質なスーツを着こなし、人の良さそうな笑みを浮かべている。
「ようこそ、皆様。私が、当エリアの管理責任者の三井です」
その顔を見た瞬間、陸の脳裏に、強烈な既視感が走った。
(……この男、どこかで……)
声も、立ち居振る舞いも、どこかで見たことがある。北海道で出会った、あのコンサルタント・木下か? 違う、顔が、少し違う。だが、この、腹の底を見せない、貼り付けたような笑顔。思い出せない。記憶の深い場所に、分厚い霧がかかっているかのようだ。
三井は、最新鋭のコンテナ管理システムや、自動化されたクレーンの動きを、淀みない口調で説明していく。他の議員たちは、感心したように頷いているが、陸の意識は、その説明の内容よりも、三井という男自身に、強く引きつけられていた。
視察が終わりに近づき、質疑応答の時間になった。
陸は、手を挙げた。
「三井さん、素晴らしいシステムですね。感銘を受けました」
陸は、まずそう切り出した。そして、まっすぐに、三井の目を見つめて、続けた。
「ところで、一つ、全く別の質問なのですが。……私達、以前、どこかでお会いしたことはありませんか?」
その一言に、三井の顔が、一瞬、凍りついた。完璧な笑顔が、まるで能面のように、ぴしりと固まる。
「……いえ」
彼は、すぐにいつもの人の良さそうな笑顔に戻った。だが、その一瞬の間に、陸は見た。
三井の手が、わずかに震えていたことを。
そして、こめかみに、冬だというのに、うっすらと汗が浮かんでいたことを。
「初めてお目にかかりますが。何か、人違いではないでしょうか」
その目は、笑っていなかった。動揺を隠そうとする、冷たい光が、その奥に宿っていた。
(……間違いない。こいつは、何かを知っている)
陸は、確信した。
その夜、事務所に戻った陸は、一人、事務作業に没頭していた。頭の中は、三井という男のことで、いっぱいだった。あの既視感は、一体、何だったのか。
(思い出せ……思い出せ……)
陸が、思考の海に深く沈んでいた、その時だった。
机の上の、橘との専用回線にしているスマートフォンが、短い着信音と共に震えた。橘からだった。
「陸か? 俺だ」
電話の向こうの橘の声は、興奮を抑えきれないように、弾んでいた。電話の向こうで、賑やかな年末の街の喧騒が、かすかに聞こえていた。
「例の『東京ベイフーズ』の件、とんでもねえことが分かったぞ」
「何か、掴めたんですか!?」
「ああ。掴めた、なんてもんじゃねえ。……いいか、よく聞けよ」
橘は、一度、息を呑んだ。そして、衝撃の事実を、陸に告げた。
「あの会社、登記上の住所を調べてみたらな……綾小路雅人が当選させた、あの新人議員どもの、選挙資金管理団体の住所と、全く同じビルだったんだよ」
「……!」
陸は、言葉を失った。
学校給食の、たかが15%のコストアップ。その金の流れの先にいたのは、綾小路雅人の、懐だったのだ。
「それだけじゃねえ」
橘の声が、さらに、トーンを落とす。
「そのビルの、本当の所有者を、洗ってみた。登記簿上は、日本の不動産会社だ。だが、その会社の、海外の親会社を辿っていくと……一つの名前に、行き着いた」
「……まさか」
「お前の親父さんを殺した、あの連中だ。……黒龍会だよ」
陸の脳裏に、父の最期の日々が蘇った。
赤坂のクリニック。ゆっくりと体を蝕む毒。
そして今、その同じ組織が、子供たちの給食費を通じて、東京の教育現場にまで触手を伸ばしている。
陸は、受話器を握りしめたまま、凍り付いていた。
小さな、ささやかな給食費の謎。
その糸をたぐり寄せた先に、待っていたもの。
それは、綾小路雅人と、父を殺した反社会的勢力とを、直接結びつける、あまりにも巨大で、そして、あまりにも黒い、闇だった。
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