第14話:父の戦場
陸が文教委員会で勝ち取った、ささやかな、しかし確かな一歩。
そのニュースは、大手メディアには無視されたが、彼の元には、都民からの応援の手紙やメールが、少しずつ届くようになっていた。その一つ一つが、陸の心を温め、次なる戦いへの勇気を与えてくれていた。
橘の「東京ベイフーズ」への調査は、敵の巧妙な妨害にあい、難航していた。陸は、別の角度から、敵の牙城を崩す方法はないか、模索を続けていた。
(親父なら、どうしただろう……)
陸は、都議会の、巨大な書庫へと足を運んだ。父も、かつて、この場所にいた。その事実に、陸は、不思議な繋がりを感じていた。彼は、父が所属していたという、三十年前の文教委員会の議事録を、一冊、また一冊と、紐解き始めた。
古い紙の匂い。インクで記された、無数の文字の羅列。
その中に、陸は、見慣れた名前を発見した。
『高遠 誠二』
若き日の父が、そこにいた。
陸は、息を呑んで、その発言を追った。驚くべきことに、三十年前の父もまた、陸と全く同じ問題……臨海地区における、不自然な公共事業コストについて、都の幹部を、鋭く追及していたのだ。
『――この、港湾地区における、不自然な資材調達費の高騰について、明確なご説明を求めたい!』
『背後には、特定の業者との、不適切な関係があるのではないですか!』
若き日の父の、正義感に燃える、まっすぐな言葉。だが、その追及は、ある時点を境に、議事録から、ぷっつりと、その姿を消していた。
不審に思った陸は、当時の新聞の縮刷版を調べた。そして、見つけたのだ。
父の追及が、核心に迫ろうとしていた、まさにそのタイミングで、一社の週刊誌が、父の根も葉もない、女性スキャンダルを報じていた。その結果、父は、都議会議員の辞職に追い込まれていたのだ。
(……俺と、同じだ)
敵の手口は、三十年前から、何も変わっていなかった。
陸は、さらに、議事録を読み進めた。そして、父がスキャンダルで失脚する直前、彼が、ある一つの誘いを、断っていた事実を発見する。
それは、当時の都議会で、最大の影響力を誇っていた、超党派の政策勉強会『京浜朝食会』への、参加の誘いだった。
その「朝食会」のメンバーリストの筆頭に、陸は、見慣れた二人の名前を発見し、戦慄した。
若き日の、綾小路誠之介。
そして、伊達正宗。
(そういうことか……)
「朝食会」とは、今の綾小路派の、前身。その正体は、この国の未来を蝕む、巨大な陰謀の、最初の揺り籠だったのだ。
父は、その正体を見抜き、参加を拒否した。だから、消された。三十年前に、一度。そして、今回、二度目に、命ごと。
その時、陸の脳裏に、一つの顔が浮かんだ。
浅野恭子。
彼女なら、三十年前の、この出来事について、何か知っているかもしれない。
陸は、事務所に戻ると、すぐに、浅野に渡された、あのレトロゲームのチラシを手に取った。そこに書かれた連絡先に、電話をかける。
『おかけになった電話番号は、現在、使われておりません――』
無機質なアナウンスが、陸の期待を打ち砕いた。
(なぜだ……?)
陸は、次に、彼女の私用の携帯に電話をかけた。だが、それも、同じアナウンスが流れるだけだった。
まさか。
嫌な予感が、背筋を走る。陸は、震える手で、実家の母親に電話をかけた。
「母さん、俺だ。浅野さんと、最近、連絡は取ったかい?」
『……陸? それがね…』
電話の向こうの、母・美佐子の声は、不安に曇っていた。
『先週から、何度か、お電話しているんだけど、全く、繋がらないのよ。あんなに、律儀な人が、何の挨拶もなく、突然、連絡が取れなくなるなんて。……まるで、神隠しにでもあったみたいに……』
陸は、受話器を握りしめたまま、凍り付いた。
浅野が、消えた。
敵の手に、落ちたのか? それとも……。
最悪の想像が、陸の頭をよぎった、その時だった。
『でも、そういえば……』
母が、何かを思い出したように言った。
『陸が、都議会に出るって決める、少し前に、浅野さんが、一度だけ、一人で私を訪ねてきてくれたのよ』
「えっ……?」
『ええ。とても、思い詰めたご様子でね。ずっと、仏壇の、誠二さんの写真を見つめて、何か、気になることを、ぼそぼそと、呟いておられたわ』
「気になること?」
陸は、息を呑んだ。
『ええ。私にはよく意味が分からなかったのだけれど……何度もこう仰っていたわ』
母は記憶を辿るように、ゆっくりと続けた。
『「あの時の最後のファイルは、結局どこに……」
「先生が『これだけは私の手元に置く』と仰って、金庫には入れられなかった、あの分厚い資料……」
「私が、私がちゃんとお預かりしてさえいれば、先生はあんなスキャンダルで失脚することは……」
そして最後に、浅野さんは私の手を握って、こう言ったの。
「陸さんまで、先生と同じ目に遭うわけにはいきません。私が必ず……」』
その言葉を聞いた瞬間、陸の脳裏で、全てのピースが、一つに繋がった。
浅野は、辞めたのではなかった。消されたのでも、裏切ったのでもない。
彼女は、気づいていたのだ。三十年前の父の戦いと、今の自分の戦いが、全く同じ「ゲーム」であることに。
そして、彼女は、たった一人で、探しに行ったのだ。
三十年前、父が、失脚する直前に、どこかに隠したはずの、この巨大な陰謀を打ち破るための、最後の切り札。
父が遺した、「最後のファイル」を。
陸は、浅野が事務所を去る時に自分に残していった、あの古いゲームのチラシを机の引き出しから取り出した。
そこには『必要な時に』と書かれていた。
今、陸は理解した。
浅野は消えたのではない。
彼女は30年前の真実を求めて、自ら闇の中へと踏み込んだのだ。
父が遺した「最後のファイル」。
それは朝食会の、そして現在の東京フロンティアの正体を暴く決定的な証拠。
陸は拳を握りしめた。
浅野の戦いは、まだ終わっていない。
そしてその戦いは今や、陸の戦いと一つになろうとしていた。
30年の時を超えて、父と息子、そして忠実な部下の想いが、ついに交差する時が来たのだ。
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