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第5話 父が遺した戦場

「調べがつきました」

週明けの月曜日。議員会館の殺風景な事務所で、浅野恭子が硬い表情で切り出した。陸が調査を命じた『重要経済基盤の安定供給確保法案』、通称「インフラ法案」についての報告だった。

「この法案は、表向きは『電力・通信・港湾といった重要インフラの老朽化対策と運営効率化のため、民間企業の活力を導入する』ことを目的としています。聞こえは良いのですが…」

浅野は資料を一枚、テーブルに置いた。

「問題は、運営権を委託する企業の選定基準が極めて曖昧な点です。特に、外資規制に関する項目が事実上骨抜きにされており、外国資本が日本のインフラ運営権を容易に取得できる道を開く、と一部では懸念されていました」

「懸念されていた、というと?」

「はい。ですが、瑞樹議員の『新しい家族法案』の騒動に隠れる形で、ほとんど報道もされず、国会でもまともな審議は行われていません。先月、伊達官房長官が主導する形で、すでに閣議決定されています」


閣議決定済み。その言葉に、陸は唇を噛んだ。螳螂は、もう蝉を捕らえる寸前まで来ている。

「親父は……この法案にどういう立場だったんですか」

「国土交通大臣として、所管事項の安全保障上の懸念から、最後まで閣議決定に反対しておられました。ですが、閣内では完全に孤立しておられた、と……聞いております」

孤立。その一言が、父の孤独な戦いを物語っていた。


その時、事務所のドアがノックされ、受付の秘書が顔を覗かせた。

「先生、フリージャーナリストの橘と名乗る方がお見えですが……」

「橘さん?」

アポイントはないはずだ。陸が訝しんでいると、ひょっこりとドアから橘蓮司本人が顔を出した。

「やあ、先生。少しは永田町の空気にも慣れましたか?」

軽薄な笑みを浮かべて事務所に入ってきた橘は、テーブルの上の資料に目をやると、にやりと笑った。

「ほう……なるほど。『螳螂』の正体は、もうお分かりになったと見える」


陸と浅野が、同時に息を呑んだ。「螳螂」は父のノートにしか書かれていなかったはずの言葉だ。

「どうして、その言葉を……」

「あんたのお父さんとは、亡くなる数ヶ月前から、情報交換をしていたんでね」

橘は、あっさりとそう言いのけた。

「高遠大臣は、この国の危機に気づいた、たった一人の政治家だった。だが、敵が大きすぎる。だから、外部の協力者として、俺のようなゴロツキを使っていたのさ」


橘はソファに腰を下ろし、表情から笑みを消した。

「陸さん、あんたが今、対峙しようとしているものの正体を、きちんと理解しておく必要がある。これは、単なる政争や利権争いの話じゃない」

彼は、一呼吸置いて、核心を口にした。

「このインフラ法案の背後にいるのは、伊達官房長官と、その伊達を操っている大国……**中国**だ」


中国。その名が出た瞬間、事務所の空気が凍り付いた。

「奴らの狙いは、この法案を利用して、日本の電力、通信、港湾といった重要インフラの運営権を、フロント企業を通じて合法的に掌握することにある。平時は、それで莫大な利益を上げるだろう。だが、本当の狙いはそこじゃない」

橘の目が、鋭い光を放つ。

「有事の際……例えば、台湾海峡で何か起きた時、奴らは日本のインフラを内部からコントロールできる。電力供給を止め、通信網を遮断し、港湾を封鎖する。そうなれば、自衛隊も米軍も身動きが取れなくなる。つまりこれは、銃弾を一発も撃ち込まずに日本を内部から崩壊させる……**『静かなる侵略』**計画なんだよ」


陸は、言葉を失った。ゲームの世界で描いてきたどんな陰謀よりも、遥かに巨大で、悪質な計画。そして父は、この国家反逆の計画に気づき、たった一人で戦いを挑んでいたのだ。

「お父さんは、自分が伊達に消される可能性も、覚悟の上だった。だから、あんたにあのノートを遺した。万が一の時、息子のあんたが遺志を継いでくれると、信じてな」

橘の言葉が、陸の胸に突き刺さる。


今まで、反発しか感じていなかった父。自分の人生を縛ろうとする、権威的な存在でしかなかった父。

その父が、誰にも理解されず、孤独の中で、命を懸けてこの国を守ろうとしていた。

込み上げてくるのは、悲しみよりも、誇らしさだった。そして、自分の無理解さを恥じる、どうしようもないほどの後悔。


「……そうか。親父は、そんな途方もないものと、たった一人で……」

陸は、強く拳を握りしめた。ゲームプランナーとしてではない。高遠誠二の息子としてでもない。一人の日本人、高遠 陸として、腹の底から決意が湧き上がってきた。

「橘さん、浅野さん。聞いてください」

陸は顔を上げ、二人を真っ直ぐに見据えた。

「俺が、親父の戦いを引き継ぎます。この国を、奴らの好きにはさせない」

その声には、もう迷いも揺らぎもなかった。ボンボンの抜け殻は完全に消え去り、戦士の顔がそこにあった。橘は満足げに頷き、浅野は涙を堪えるように、しかし力強く頷き返した。


「よし、話は決まった」

陸は、机の上に父のノートを広げた。

「闇雲に伊達官房長官に挑んでも、返り討ちに遭うだけだ。まずは、敵の足元を崩し、味方を作る必要がある」

その思考は、複雑なゲームの攻略ルートを組み立てる時のように、冷静で戦略的だった。

「このノートには、親父が警戒していた人物の名前もリストアップされている……」

陸は、指でそのリストをなぞると、ある一点でぴたりと止めた。


「まずは、この人に会いに行きます。そして、揺さぶりをかける」

陸が指さした名前に、浅野が「えっ」と驚きの声を上げた。

「しかし陸さん、その方は……お父様とは長年、敵対してきた派閥の……」

「ええ」

陸は、不敵な笑みを浮かべた。

「敵の敵は味方、とは限りません。ですが、敵の弱みを知る、最高の情報源になる可能性はある。それに、この人は金に汚いことで有名だ。そこが、今回の突破口になる」


陸が指さしていたのは、与党・民自党の長老議員にして、建設族のドンと呼ばれる男の名前だった。

最初の反撃の狼煙は、誰もが予想しない場所から上がる。

陸の戦いは、今、静かに始まった。

最後までお読みいただきありがとうございました!

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