第3話:漂流
浅野が事務所を去ってから、三ヶ月が過ぎた。
季節は、晩秋から初冬へと移り、神田の裏通りに構えた「陸の事務所」の窓を叩く風は、日増しに冷たさを増していた。その冷たい空気は、まるで、陸たちの今の状況を映し出しているかのようだった。
つけっぱなしのテレビから、軽快な音楽と共に、爽やかな声が流れてきた。
『東京を、世界一のスマートシティに』
画面には、綾小路雅人が、クリーンな白いシャツ姿で、若者たちと笑顔で語り合っている。彼の都知事選に向けたCMだった。その爽やかな笑顔は、父・誠之介の老獪なそれとは違う、現代的で、だからこそ得体の知れない不気味さを放っていた。
「……計算され尽くした、見事なブランディングだな」
セーフハウスで、ネットニュースの画面を見ながら、橘が吐き捨てた。
「親父を批判することで、自分はクリーンだとアピールし、誠之介にまだ残っている闇のイメージから、自分だけを切り離す。とんでもねえタヌキだぜ、あの息子も」
何か裏があるはずだ。陸と橘は、綾小路雅人の周辺を徹底的に洗った。
その一方で、皮肉なことに、陸の「表の顔」であるゲームクリエイターとしての仕事は、順調そのものだった。
国会議員時代とは違う、自由な発想で生み出された彼の企画は、ある大手ゲームパブリッシャーの目に留まり、正式に新作の開発プロジェクトがスタートしたのだ。
『高遠さんの企画は、素晴らしい。今のゲーム業界に、新しい風を吹き込んでくれると確信していますよ』
オンラインでの打ち合わせで、プロデューサーから絶賛の言葉を受ける。それは、かつて自分が夢見た世界だった。純粋に、面白いものを作ることに没頭できる。その喜びを感じるたびに、陸の心は、罪悪感にも似た感情で、揺れ動いた。
このまま、ゲームの世界にだけ、生きていけたなら。
事務所には、かつての選挙戦を戦った、ボランティアスタッフたちが、今も定期的に顔を出してくれた。
「高遠先生、私達は、先生が国政に復帰される日を、ずっと待っています!」
「先生のような、本当の正義を貫ける政治家が、今の日本には必要なんです!」
彼らの、純粋な期待の言葉が、陸の肩に、重くのしかかった。
その夜、事務所には、陸と橘の二人だけが残っていた。
テーブルの上には、調査資料の山が、徒労の記念碑のように積まれている。
「クソッ、また空振りだ」
橘が、ファイルを投げ出すように言った。
「綾小路雅人がCEOを務めるIT企業の資金調達を調べたが、金の出所は、国内のクリーンなベンチャーキャピタルだけだ。どこにも中国の影はねえ」
橘は、そこで一度言葉を切り、別の資料をテーブルに叩きつけた。
「だが、おかしいんだ。雅人の会社の事業が急拡大した時期と、親父である綾小路誠之介の政治団体に、中国系の企業から、合法ギリギリの政治献金が集中している時期が、完全に一致する」
橘は、悔しそうに続けた。
「つまり、こういうことだ。親父が、政界で汚い金を集め、その金で、息子の『クリーンな』事業の成功を裏で支えている。金の流れは、親子間で巧妙に分断されてやがる。だから、雅人本人からは、直接的な証拠が、何も掴めねえ……!」
橘は、深く、長い煙草の煙を吐き出した。
「こんなんじゃ、何も変えられねえ……」
その声には、陸が初めて見る、深い疲労の色が滲んでいた。
陸は、壁に貼られた父の写真を、じっと見つめた。
その穏やかな笑顔が、お前は、本当に、このままでいいのか、と問いかけているようだった。
「……でも」
陸の声が、静かな事務所に響いた。
「諦めたら、父の死が、本当に、無駄になってしまう」
その時だった。
事務所の、古いドアを、コン、コン、とノックする音がした。
こんな夜更けに、誰だ?
陸と橘は、顔を見合わせ、一瞬で緊張に体をこわばらせた。橘が、静かに、デスクの引き出しに収められた護身用の特殊警棒に、手を伸ばす。
陸は、意を決して、ドアを開けた。
そこに立っていたのは、一人の、若い女性だった。
年の頃は、二十代半ば。少し怯えたような、しかし、その奥に、強い意志を秘めた瞳で、彼女は、まっすぐに陸を見つめていた。
「……あの」
女性は、震える声で言った。
「突然、申し訳ありません。私、あなたたちの記者会見を、テレビで見ました。私にも、もしかしたら、できることがあるかもしれない、と思って……」
彼女の言葉が、停滞していた陸たちの運命を、再び、大きく動かし始めることを、この時の陸は、まだ知らなかった。
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