第30話:最後の声、最後の計画書
遠藤の、自殺として処理された、あまりにも不自然な死。
それは、陸たちに、残された時間がほとんどないことを、冷酷に突きつけていた。辞職勧告決議案が上程される本会議は、明日に迫っている。
セーフハウスの空気は、鉛のように重かった。ホワイトボードには、これまでに集めた証拠が、隙間なく貼り付けられている。伊達の圧力、瑞樹の実行部隊、綾小路の暗躍。どれも、敵を追い詰めるには十分な武器のはずだった。
だが、陸は、まだ何かが足りないと感じていた。
「親父は……」
陸は、ホワイトボードの中央に貼られた父の写真を見つめながら、呟いた。
「親父は、ただ状況証拠を並べるような、生ぬるい戦い方をする人じゃなかった。相手を完全に沈黙させる、たった一つの、動かぬ『物証』を、必ず用意する人だった。どこかに、あるはずなんだ。俺たちに遺した、最後のメッセージが……」
その時、陸の脳裏に、数日前の母の言葉が蘇った。
『あなた、本当に、あのお父様にそっくりになってきたわね。そういえば、お父様、あなたが還暦のお祝いにプレゼントした腕時計、本当に喜んでいたわ。「陸がくれた、最高のお守りだ」って、亡くなる前の日まで、肌身離さず着けていたのよ』
陸は、はっとして立ち上がった。
「橘さん、浅野さん。すみません、もう一度だけ、実家に行かせてください」
その日の夕刻、陸は、再び世田谷の実家の前に立っていた。母の美佐子は、息子の突然の帰宅に驚きながらも、静かに彼を迎え入れた。
「陸、顔色が……。少し、休んでいったら?」
「ううん、大丈夫だよ、母さん。すぐに戻るから」
陸は、父の書斎ではなく、仏壇のある和室へと向かった。そして、父の遺影の前に、静かに手を合わせる。
(親父、あんたの息子だ。あんたなら、どこに隠す……? あんたの、一番の『お守り』に…)
手を合わせ、顔を上げた、その時だった。
遺影の横に、小さな桐の箱が置かれているのに、陸は気づいた。それは、父が亡くなった後、浅野が遺品を整理し、母に「旦那様が、特に大切にされていたお品です」と言って手渡したものだった。中には、父が愛用していたカフスボタンや、古い万年筆など、ごく個人的な品々が収められていた。
陸は、その箱を手に取った。そして、中に収められていた、見覚えのある腕時計を。
陸が、父の還暦祝いに、初めてのボーナスを全てはたいて贈った、スイス製の機械式腕時計。
父は、涙を流して喜んでくれた。「ありがとう、陸。一生の宝物にするよ」と。
陸は、その腕時計を手に取った。ずしりと重い。
(還暦祝いの日、父は本当に嬉しそうだった。「陸、これは高かっただろう」「いいんだよ、父さん」「ありがとう。命より大切にするよ」)
裏蓋は、美しい機械の動きが見えるスケルトンバックになっている。陸は、精密ドライバーを手に取った。手が震える。深呼吸をして、慎重に裏蓋のネジを外し始めた。
一つ、二つ、三つ、四つ。
裏蓋が外れ、精密な機械の美しい動きが露わになる。そして、その歯車の隙間に——
「これは……」
そして、ムーブメントの歯車の、その隙間。本来なら、あるはずのない場所に、極小の、しかし確かな金属の光沢があるのを、陸は見逃さなかった。
ピンセットで慎重につまみ出すと、それは、小指の爪よりも小さなマイクロチップ…マイクロUSBメモリだった。
セーフハウスに戻った陸は、仲間たちの前で、その小さなチップをテーブルに置いた。
「……最後の、パンドラの箱だ」
橘が、ゴクリと喉を鳴らす。
遠藤がいない今、解析できるのは橘だけだった。彼は、スタンドアロンのPCに、そのマイクロUSBを接続した。
中には、二つのファイルだけが入っていた。
一つは、『日本解放計画書_最終稿.pdf』と名付けられた、PDFファイル。
開いた瞬間、三人は息を呑んだ。それは、彼らが『蝉時雨』で見た以上の、詳細かつ具体的な、日本の侵略計画書だった。
【第一段階:経済・インフラ支配】
インフラ法案を通じ、日本の電力・通信・港湾を掌握。平時は、そこから莫大な利益を吸い上げる。
【第二段階:情報・世論支配】
“蝉”の作戦により、国民の分断を煽り、国家としての意思決定能力を麻痺させる。
【第三段階:台湾有事における本土無力化】
台湾有事の際、掌握したインフラ網を、内部から完全に破壊。自衛隊と在日米軍を機能不全に陥らせる。同時に、「水源地」として買収した全国の拠点を、潜伏させた特殊部隊の兵站基地として利用する。
浅野が青ざめた。「これは……もはやテロです」
橘が拳を震わせる。「水源地買収の本当の目的がこれだったとは」
陸は静かに言った。「父は、これを止めようとして殺された」
「……軍事作戦、じゃねえか」
橘が、戦慄に声を震わせた。これは、もはや政治工作ではない。銃弾を使わない、静かな戦争そのものだった。
そして、もう一つのファイル。
ファイル名は、『最後の声』。
橘の指が、再生ボタンの上で止まった。
「これを聞いたら、もう後戻りはできない」
「分かっています」陸は頷いた。「聞きましょう」
橘が再生ボタンを押すと、スピーカーから、クリアな、しかし盗聴されたものであることが明らかな、三人の男の声が流れ出した。
伊達、瑞樹、そして、中国政府の高官。父が、命がけで録音した、密談の音声だった。
『――伊達先生、瑞樹先生。あなた方のご尽力のおかげで、計画は、最終段階を迎えようとしています』
中国高官の流暢な日本語。
『ふん。高遠が嗅ぎ回っていたのには肝を冷やしたがな。まああれもどうにかする手だてが出来た』
伊達の、傲慢な声。
『この国は、一度、生まれ変わらねばならんのだよ。そのためなら、私は、悪魔にでも魂を売る。計画が成功した暁には、国民は、私を裏切り者とは呼ばん。この国の、新しい『初代総統』と呼ぶことになるだろう!』
その声には、権力欲を通り越した、狂気が宿っていた。
そして、中国高官が、瑞樹に水を向けた。
『瑞樹同志。君のような『同胞』が、日本の国会の中枢で活動してくれていることは、我々の計画の要だ。君の働きには、党も、そして祖国も、大いに期待している』
『ご期待には、必ず応えてみせます』
瑞樹こと、李傑の、冷静で、しかし確信に満ちた声が響いた。
『私の本当の祖国のために』
音声が、途切れた。
部屋には、エアコンの低い唸り声だけが響いている。
全ての謎が解けた。
伊達の歪んだ野望、瑞樹の売国奴としての正体。そして、父が戦っていた、あまりにも巨大な敵の、本当の姿。
陸は、静かに立ち上がった。その手には、父が遺した最後の切り札が、確かに握られていた。
「橘さん、浅野さん」
陸は、二人に向き直った。その顔には、もう迷いも、恐れもなかった。
「準備は、全て整いました。行きましょう」
「どこへ?」
橘の問いに、陸は、静かに、しかし、鋼のような意志を込めて答えた。
「決まってるでしょう。――国会へ」
決戦の時は、来た。
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