第22話:蝉たちの饗宴
横浜法務局から持ち帰った衝撃の事実は、セーフハウスの空気を鉛のように重くしていた。
瑞樹 秀という、一人の人間だと思っていた存在が、実は国家ぐるみで「製造」された、顔のない工作員だった。そして、その計画が何十年も前から、この国の社会に深く静かに根を張っていたという現実。
「……冗談じゃねえ」
橘は、テーブルに並べた証拠写真を見つめながら、乾いた声で呟いた。
「瑞樹が『対象No.7』なら、少なくとも他に6人の『幽霊』が、この国のどこかに紛れ込んでいるってことだ。いや、もっと……」
「ええ」と陸は頷いた。「そして、問題は、もはや瑞樹だけじゃない。父のメモにあった、他の『蝉』たちです。評論家、弁護士、文化人……彼らは、なぜ、そしてどのようにして、この売国計画に加担しているのか。それを、解明する必要があります」
絶望している暇はなかった。敵の正体が巨大なシステムであるならば、そのシステムを構成する個々の部品を、一つずつ破壊していくしかない。
陸と橘は、再びギルド『蝉時雨』の作戦掲示板に、匿名アバターでダイブした。
目的は、過去の作戦ログの解析。瑞樹以外の「蝉」たちが、どのようにして動いていたのか、その証拠を掴むためだ。
掲示板には、暗号めいたプロジェクト名が付けられた、無数のスレッドが並んでいた。
「これを見ろ、陸」
橘が、一つのスレッドを指さした。
【プロジェクト名:Nightingale】
『作戦概要:ターゲット企業T社の技術的欠陥を誇張。株価下落を誘発後、提携先であるC国企業の優位性を、経済合理性の観点から喧伝する』
スレッドの日付は、数ヶ月前。陸の記憶にも新しい、ある大手電機メーカーの株価暴落事件と、時期が一致していた。
「……あの時、テレビでT社を徹底的に叩いて、中国企業との提携こそが唯一の生き残る道だと力説していた経済評論家がいた」
陸が呟くと、橘は「ああ」と頷いた。
「大物経済評論家の、関根恭一だ。奴の番組が、パニック売りの引き金を引いた。そして、父さんのメモにあった『蝉』のリストに、奴の名前も入っていたはずだ」
点と点が、線で繋がる。関根は、ただの評論家ではなかった。市場を操り、日本の優良企業を中国に売り渡すための、巧みな「鳴き声」を上げる工作員だったのだ。
二人は、次々とログを解析していく。そのたびに、テレビやネットで見知った顔が、売国奴のリストに加わっていった。
【プロジェクト名:Hammer】
『作戦概要:日本の伝統的婚姻制度の『非人道性』を、法的観点から告発。訴訟を通じてメディアの注目を集め、保守層とリベラル層の対立を煽り、国論を二分させる』
「……人権派として有名な、小笠原麗子弁護士か」
橘が、苦々しく言った。「彼女が起こした訴訟がきっかけで、国会は瑞樹の『新しい家族の形法案』の議論で、完全に空転させられた。これも、仕組まれていたのか…」
【プロジェクト名:Pierrot】
『作戦概要:若年層向けにターゲット(高遠陸)を『時代遅れのボンボン』として嘲笑の対象に設定。エンタメ系ゴシップに紛れ込ませ、政治的思考を介さずに、嫌悪感を植え付ける』
「……『ジョニー大田』だ」
陸は、自分の名前が出ていることに、怒りよりも先に、冷たい戦慄を覚えた。ジョニー大田は、政治や社会問題を面白おかしく茶化す芸風で、若者から絶大な人気を誇る動画配信者だ。彼のチャンネルで、陸は何度も「親の七光りのくせに、人権意識ゼロのヤバい奴」として、面白おかしくネタにされていた。
「俺への個人攻撃ですら、奴らの壮大な作戦の一部だったというわけですか……」
陸と橘は、セーフハウスのホワイトボードに、次々と「蝉」たちの名前と顔写真を貼り出していった。
経済評論家、弁護士、動画配信者、大学教授、著名なコラムニスト……。
彼らは、それぞれの分野で「良識ある知識人」や「庶民の味方」として振る舞いながら、その裏では、一つの司令塔から発せられる指示に基づき、一斉に、あるいは個別に、「鳴いて」いたのだ。
ある者は、日本の経済を貶め、ある者は、日本の価値観を破壊し、ある者は、敵対者を社会的に抹殺する。
その全てが、日本という国の結束を乱し、国力を削ぎ、静かなる侵略の土壌を整えるための、壮大なオーケストラだった。
全ての分析を終えた時、窓の外では、夏の夕立が激しく地面を叩いていた。
ホワイトボードは、いつの間にか、日本を代表する「知識人」たちの顔写真で埋め尽くされていた。
陸は、その光景を呆然と見つめていた。
敵は、永田町にだけいるのではなかった。
自分たちが毎日見ているテレビの中に、読んでいる新聞の中に、そして、子供たちが見ているスマートフォンの画面の中に、当たり前の顔をして、潜んでいたのだ。
「橘さん……」
陸の声が、震えた。
「これじゃ、まるで……国全体が、奴らの戦場じゃないですか。そして、ほとんどの国民は、自分たちがその戦場にいることすら、気づいていない……」
陸は、父がたった一人で、この、あまりに巨大で、そして見えない敵と戦っていたことの絶望的な孤独を、改めて思い知らされた。
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