第15話:獅子の牙
モニターの青白い光だけが、暗い議員宿舎の部屋を照らしていた。
『観測衛星『目』は、正常に稼働中』
その一文が、陸の脳内で何度も反響する。父の愛情を知った高揚感は、仲間からの裏切りという冷酷な現実に、跡形もなく消し飛ばされていた。浅野さんか、遠藤さんか。どちらかが、自分の一挙手一投足を敵に報告し、命を奪う機会を窺っている。
陸は、一睡もできなかった。
翌朝、議員会館の事務所は、昨日までとは全く違う空気に感じられた。
「おはようございます、陸さん。昨夜は、よくお休みになれましたか?」
浅野が、いつもと変わらぬ穏やかな笑みで、淹れたてのコーヒーを差し出す。その笑顔の裏に、別の顔が隠されているのだろうか。
「遠藤です。昨夜、例のギルドについて少し調べてみましたが、やはりセキュリティは鉄壁です。我々の側から、これ以上のアクションを起こすのは危険すぎます」
遠藤が、冷静な分析を報告する。その冷静さは、有能さの証か、それとも全てを知っているがゆえの余裕か。
陸は、込み上げてくる疑心暗鬼を押し殺し、努めて平静を装った。
「……分かりました。パスワードの件は、一度保留にしましょう。今は、別の角度から攻める必要があります」
彼は、わざとホワイトボードに書き出された『水源』の地図を指さした。
「北海道での一件で、敵の実行部隊の尻尾は掴みました。この線を、もっと強く押すべきじゃないでしょうか。もう一度、現地へ飛ぶことも考えないと……」
これは、罠だ。陸は、自ら餌を撒いた。裏切り者が誰であれ、この言葉に必ず反応するはずだ。
「いけません!」
即座に、しかし静かに、陸の言葉を制したのは浅野だった。
「北海道で、あれほど危険な目に遭われたばかりです。敵は、陸さんが『水源』の謎を追っていることを、すでに察知している。同じ場所に赴くのは、あまりに無謀です」
「浅野さんの言う通りです」
遠藤も、同意した。
「敵は、陸さんを罠に嵌めるのを待っているでしょう。今は動くべき時ではありません。蝉たちのネットワーク分析も、これ以上の進展は望めない。一度、全ての調査を止め、嵐が過ぎるのを待つべきです」
二人とも、陸の身を案じ、的確で、論理的な進言をしているように聞こえる。
だが、陸には、その言葉の裏にある別の意味が透けて見えた。
(……違う。二人とも、俺に調査を『やめさせよう』としている)
これ以上、敵の核心に近づかせないために。
どちらが、本当の『目』なのか。陸には、まだ判別がつかなかった。
その時だった。
陸のスマートフォンが、短い通知音と共に震えた。大手ニュースサイトからの速報だった。
その見出しを目にした瞬間、陸は全身の血が凍り付くのを感じた。
『高遠議員に政治資金規正法違反の疑い 後援会から不透明な資金』
それが、伊達 正宗からの、本格的な反撃の狼煙だった。
そして、狼煙は、それだけでは終わらなかった。
事務所のドアが、何のノックもなく、荒々しく開け放たれた。なだれ込んできたのは、黒いスーツに身を包んだ、十数人の屈強な男たち。その場違いな集団の醸し出す、ただならぬ空気に、事務所の時が止まる。
先頭にいた男が、冷徹な声で言った。
「我々は、東京地方検察庁特別捜査部です。高遠 陸事務所を、政治資金規正法違反容疑で、家宅捜索します」
地検特捜部。
その言葉の持つ圧倒的な響きに、若い秘書たちが悲鳴を上げた。男たちは、令状を突きつけると、有無を言わさず、部屋中の書類やパソコンの差し押さえを開始した。事務所は、一瞬にして戦場のような混乱に陥った。
「なんてこと……こんな……誠二先生の代から、会計はクリーンだったはずです!」
浅野は、顔面蒼白になりながらも、父の代からの重要な書類を守ろうと、検事の前に立ちはだかった。その姿は、長年仕えた主への、最後の忠誠を示しているように見えた。
一方、遠藤は、驚くほど冷静だった。
彼は、パニックに陥ることもなく、主任検事と思われる男の前に進み出た。
「我々は、捜査に全面的に協力します。ですが、法律に則り、押収する資料のリストを正確にご提示いただきたい。不当な捜査が行われることのないよう、弁護士を呼ぶ権利も要求します」
その落ち着き払った態度は、混乱した状況の中で、唯一の頼れる盾のように見えた。
陸は、ただ呆然と、その光景を眺めていた。
必死に書類を守ろうとする浅野の姿は、本物か、それとも悲劇のヒロインを演じているのか。
冷静に検事と渡り合う遠藤の姿は、有能さの証か、それとも、この事態を予期していたがゆえの余裕なのか。
もう、何も分からない。
主任検事が、陸の前に立った。
「高遠先生。あなたには後日、任意で事情聴取をお願いすることになります。ご準備を」
その言葉は、陸の政治家としての死刑宣告に等しかった。
テレビをつければ、どのチャンネルも、この家宅捜索のニュースをトップで報じていることだろう。「差別」「汚職」「贈賄」に続き、「強制捜査」。自分の名前が、地に堕ちていく。
検事たちが、父の代からの大切な資料や、自分が必死で集めた証拠のファイルが詰まった段ボール箱を、無造作に運び出していく。
父の遺産が、自分の全てが、目の前で奪われていく。
陸は、荒らされた事務所の真ん中で、浅野の涙に濡れた顔と、遠藤の氷のように冷たい横顔を、ただ、見つめていた。
父が遺した、敵の司令塔への鍵は、確かにこの手の中にある。
だが、自分の城は、今まさに、燃え落ちようとしていた。
そして、その火を放った放火犯は、自分を心配するふりをしながら、すぐ隣で、この光景を眺めているのだ。
圧倒的な絶望が、陸の心を支配した。
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