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【国家反逆罪】ボンボン二世議員、政界の闇に立ち向かう  作者: 九条ケイ・ブラックウェル
第一章「永田町の死角」
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第14話:父の大事な日

画面に表示された、鍵のかかったギルド名『蝉時雨』。

「……見つけた」

陸の震える声に、浅野と遠藤もモニターを食い入るように見つめ、息を呑んだ。敵の中枢へと続く、秘密の扉。橘を失い、全ての道を閉ざされた絶望の淵で、陸が自力でこじ開けた、あまりにも大きな一歩だった。


「これが……蝉たちの司令塔……」

浅野が、信じられないといった様子で呟く。

「ですが陸さん、どうやってこの中へ…? 見てください、高度な認証プロテクトがかかっている。パスワードが必要です」

遠藤が、即座に技術的な障壁を指摘した。


陸は、興奮を抑えながら父のメモを指さした。

「親父が遺した、残りの二つの文字列。これがパスワードのはずです! 遠藤さん、試してください!」

「待ってください、陸さん」

遠藤は、陸の逸る気持ちを制するように、冷静に言った。

「下手に試すのは危険です。通常、この手のシステムは、数回間違えればアカウントがロックアウトされるか、我々のアクセス元が記録されてしまいます」

「それでも、試す価値はあります!」


陸の強い意志に、遠藤は頷くしかなかった。彼は、残されていた文字列の一つを入力する。

エンターキーを押す。

画面には、無情にも「パスワードが違います」というエラーメッセージが表示された。


「……クソッ」

陸は唇を噛む。遠藤は、もう一つの文字列を慎重に入力した。

結果は、同じだった。

「……ダメです」

遠藤が、キーボードから手を離した。

「このギルドのパスワード認証は、三回の失敗で完全にロックアウトされる仕組みのようです。もう、試行はできません」


専門家による、事実上の敗北宣言。事務所は、再び重い沈黙に包まれた。希望の扉を見つけたと思った瞬間、その扉は、目の前で固く閉ざされてしまったのだ。時計の針は、とうに深夜を回っていた。

陸は、疲れ切った浅野と、悔しさを滲ませる遠藤の顔を見た。

「……今日は、もう終わりにしましょう。皆さん、疲れている。一度頭を冷やして、明日また考えましょう」

リーダーとして、陸はそう言うしかなかった。その日は、重い空気のまま、解散となった。


議員宿舎の、がらんとした自室に戻っても、陸は眠ることなど到底できなかった。

橘は逮捕され、世間からのバッシングは止まらない。最後の希望だった父のメモも、意味をなさない文字列の羅列にしか見えない。孤立無援。その言葉が、ずしりと陸の肩にのしかかる。

陸は、車の鍵を手に取り、部屋を飛び出した。タクシーを拾い、運転手に告げた行き先は、幼い頃から住んでいた世田谷の実家だった。父の書斎に、何か、何か手がかりが残っているはずだと、藁にもすがる思いだった。


深夜、音を立てないように玄関のドアを開けると、リビングの明かりが点いていた。

「……陸? どうしたの、こんな時間に」

パジャマ姿の母・美佐子みさこが、心配そうな顔で立っていた。父が亡くなってから、彼女はずいぶん痩せたように見える。

「母さん、ごめん、起こした? ちょっと調べたいことがあって、親父の書斎を…」

「まあ……」

美佐子は、陸のやつれた顔と、目の下の深い隈を見て、痛ましげに眉をひそめた。

「ちゃんと、食べているの? いつでも帰ってきていいのよ。無理だけは、しちゃダメだからね」

「うん、大丈夫だよ。ありがとう」

優しい母の言葉が、今はかえって胸に突き刺さる。陸は多くを語らず、父の書斎へと向かった。その背中に、母が寂しそうに呟いた。

「誠二さんも、よくこうして夜中に一人、書斎に籠もっていたわ。あなた、本当に、あのお父様にそっくりになってきたわね……」


父の書斎は、時が止まったように、静まり返っていた。

陸は、そこに答えがないことを悟っていた。父は、こんな分かりやすい場所にヒントを残すような男ではない。途方に暮れた陸は、ふと、父の寝室が気になり、足を踏み入れた。生前の父の、最もプライベートな空間。

ベッドサイドのテーブルの引き出しを、そっと開けてみる。中には、古い万年筆や愛用していた腕時計に混じって、一冊だけ、ビジネス雑誌が収められていた。数年前に発行された、ごく普通の雑誌だ。

だが、その一冊は、表紙が擦り切れ、ページが手垢で汚れるほど、何度も、何度も読み返されたことが一目で分かった。

(親父が、こんな雑誌を……?)

陸は、不思議に思いながらページをめくった。そして、あるページを開いた瞬間、息を呑んだ。

そこには、若き日の自分の姿があった。『若手ゲームプランナー特集』と題された、数ページのインタビュー記事。大手ゲーム会社に就職し、初めてメインプランナーとして関わったタイトルが発売された頃のものだ。


父が、この記事を、こんなになるまで読んでいたというのか。

陸は、震える手で記事を読み進めた。そして、その箇所を発見した。

インタビュアーの「ゲーム開発で、何かジンクスのようなものはありますか?」という質問に対し、若き日の陸は、こう答えている。

『ジンクスですか(笑)。そうですね……テストプレイで使うログインパスワードは、いつも同じものにしています。僕の、人生が本当に変わった、忘れられない日の日付です』

その一文に、父の筆跡で、赤いボールペンの二重丸が、力強くつけられていた。


――人生が、変わった日。

その言葉を目にした瞬間、陸の脳裏に、遠い昔の記憶が、鮮やかな映像となって蘇ってきた。


あれは、中学二年生の夏だった。

陸は、なけなしの小遣いで買ったプログラミングの入門書と首っ引きで、生まれて初めて、一本のRPGを完成させた。ドット絵も、拙いシナリオも、全部自分で作った、小さな、小さな世界。

完成したのが、夜中の二時。興奮を抑えきれず、自室で夢中になってプレイしていた。

その時、不意に部屋のドアが開き、父が入ってきた。勉強もせず、こんな夜中までパソコンに向かっている。雷が落ちる、と陸は絶望した。

「……何をしているんだ?」

父の低い声に、陸は体を固くした。

だが、父は怒鳴らなかった。ただ、陸のPCの画面を、じっと見ていた。そこに映る、ドット絵の勇者が、スライムと戦っている、拙い戦闘シーンを。

やがて、父は無言で、陸の隣に腰を下ろした。そして、キーボードに手を伸ばした。

それから、どれくらいの時間が経っただろうか。父は、一言も喋らず、陸が作ったゲームを、ただひたすらにプレイし続けた。陸は、生きた心地がしないまま、固唾を飲んでその背中を見つめていた。

空が白み始め、窓から朝日が差し込む頃。父は、ラスボスを倒し、エンディング画面を見届けた。そして、ふっと息をつくと、初めて見るような、少しだけ優しい顔で、こう呟いたのだ。

「……ゲームって、楽しいんだな」

厳格な父から、自分の作った世界を、自分の生きる意味そのものを、初めて認められた瞬間だった。陸にとって、あの夜こそが、人生が始まった日だった。


「……親父……」

陸の目から、一筋の涙がこぼれ落ちた。

パスワードは、あの日付だ。父と自分だけが知る、秘密の記念日。父は、この日のことを覚えていてくれたのだ。そして、最後のメッセージとして、陸に託したのだ。


議員宿舎に戻った陸は、一直線にパソコンに向かった。

あの日の日付――20100810――を、パスワードとして入力する。

エンターキーを押した。

画面が切り替わり、陸の匿名アバターは、ついにギルド『蝉時雨』の内部へと、静かに、そして、たった一人でダイブした。


悪趣味な暗号会話が飛び交うチャットルームを抜け、陸は階層の奥深くにある「作戦掲示板」にたどり着いた。そこは、悪意のアーカイブだった。

陸を「差別主義者」に仕立て上げたシナリオ。そして――


【スレッド名:害虫ブンヤ駆除の件】

『内容:蝉の生態系を乱す害虫を確認。天敵である鷹に捕食させる手はずを整えた。これにより、我々の庭から一時的に排除成功。ただし、息子はまだ残っている。油断は禁物』


「……害虫は、橘さん…。天敵の鷹は、公安のことか」

陸の声が、暗い部屋に虚しく響いた。

「橘さんは、裏切り者なんかじゃなかった。最初から、嵌められてたんだ。俺たちを助けようとして、敵の罠に……!」

橘を疑った自分への激しい嫌悪と、彼が無実であったことへのわずかな安堵、そして友を陥れた見えない敵への燃え上がるような怒りが、陸の中で渦を巻いた。


息を荒げながら、彼は掲示板の、一番上に固定された最新のスレッドに目を走らせた。そして、その内容に凍り付いた。


投稿者:ギルドマスター『K』

件名:観測衛星『目』の定時報告と次期作戦への移行

本文:

観測衛星『目』は、現在も正常に稼働中。ターゲットの座標はリアルタイムで捕捉している。先日、『水源』ポイントへの移動を確認。『蝉』たちへの警告レベルを引き上げ、次のフェーズに移行する。衛星からの最終勧告も視野に入れよ。


「観測衛星『目』……? ターゲットの座標をリアルタイムで捕捉……?」

陸は、愕然と呟いた。

「北海道に行ったことを、知っている…。まさか……チームの中に、スパイがいるのか。俺たちのすぐ側に、敵の『目』が……」


陸は、モニターの青白い光に照らされながら、一人、暗い部屋で立ち尽くした。

父の深い愛情を知った、まさにその直後に突きつけられた、仲間からの裏切りという、冷酷な現実。

浅野恭子。遠藤圭介。

父が、そして自分が、信頼していたはずの二人。

このどちらかが、自分を監視し、全ての情報を敵に売り渡し、今まさに、自分の命を奪おうとしている。

誰にも、相談できない。誰一人、信じられない。

その完全な孤独と、すぐそこまで迫っている死の気配に、陸は、深い奈落の底へと突き落とされたような、圧倒的な絶望を感じていた。

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